第30話


 新しいルールができて一週間、美沙とのスキンシップは無事継続されていた。腕を組むから始まり、「手を繋ぐ」「ハグし合う」「髪を結んであげる」といった、そこら辺の友達同士でも普通にやっていそうなことを、二人で実践した。そのたびに美沙は、目を白黒させ、あわあわと動揺し、「死ぬかも……」と物騒なことを口走った。情緒不安定になることが多く、肉体的接触で感情を安定させるのはまだ難しそうだった。


 再び美沙が家にやってきたのは金曜の放課後だった。いつも過ごしてる空き教室が珍しく使用されていたので、部屋に招いたのだ。美沙は最初、緊張の面持ちでいたが、ぷにゅるりトークを一方的に聞かせていると、次第にリラックスしてきたようで、「相変わらずマリンちゃん好きですねぇ……」と呆れた表情を浮かべた。

 私は、「さて……」と呟いた。


「スキンシップをしましょうか」

「またやるんですね」


 うへぇ、と見るからに嫌そうな顔を浮かべている。しかし、口の端を僅かに持ち上げているのを、私は見逃さなかった。なんだかんだ、美沙は私との肉体的接触を楽しんでいるのだ。だから、気後れする必要なんてなかった。


「今日することはまだ決めてないのよね。流石に手を握ったりハグしたりするのは慣れてしまったでしょ?」

「慣れてません。まったく」

「そう。マンネリを打破したいところよね……」

「話聞けよ」


 考える。

 思いのほか、肉体的接触のパターンは限られている。そもそも私は、そういうことをしてこなかった人間だ。自分の頭の中だけで考えるには限度があるだろう。

 ぷにゅるりを思い浮かべた。

 よし、あれにしよう。

 私は口を開いた。


「今日はそこのベッドで添い寝をしましょう」

「そい・ね……?」

「イントネーションが変だわ」


 頭が混乱しているらしい。

 美沙は小首を傾げたまま、理解不能、と口にした。


「二人並んでベッドに横になるだけよ。制服がちょっと皺になるかもしれないけど、明日は土曜だから問題ないわよね」

「……そ・いね?」

「だからイントネーションが変だわ」


 美沙は苦悶の表情を浮かべ「わ、わかりました」と頷いた。オッケーが出たので遠慮は不要だろう。

 布団を剥ぎ、手で寝るように促した。美沙はスカートを直してから、ベッドに横になった。天井を見上げ、表情を硬くしている。

 私も隣に横たわった。美沙の息遣いと体温を感じる。横を向くと、美沙は天井を見上げ、ぶつぶつと何か口の中で呟いているようだった。自分のベッドに他人がいることが新鮮で、面白く感じられる。しかし美沙は、全然楽しそうじゃなかった。むしろ辛そうに見える。

 ふいに指を伸ばして、白い頬をつついてみた。

 美沙が驚愕の顔を浮かべ、こちらを睨みつけてきた。


「な、何するんですか急に。許可を取ってからってルールでしょ」

「つまらなそうにしていたから。今度から気を付けるわ」

「き、緊張してるんですよ……。これ、いつまで続けるつもりですか?」


 さらに体を密着させる。美沙が「あんっ」と艶っぽい声を出した。互いの熱のすべてが伝わり合う距離だ。

 シャンプーの爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。


「杏子は部活で帰りが遅くなると言っていて両親もここのところ残業続き。だから、七時くらいまではこうしていられると思う」

「あ、あと二時間半ですね〜……なるほど~……」


 美沙が呻くように言った。

 沈黙が落ちる。

 生唾を飲む音が聴こえた。これだけ近いと、体の中のすべての音が相手に伝わってしまうかもしれない。

 これが美沙以外の人間とだったら、絶対に耐えられなかっただろう。不快に思い、ベッドから蹴り出しているはずだ。

 美沙の髪に触れる。艶々としていた。ずっと触っていたくなる。今度は「許可を取ってください」とは言われなかった。

 心が落ち着いていくのを感じる。他人と一緒にいて、ここまで落ち着くと思ったことは初めてだ。

 ふいに睡魔が襲ってくる。最近、勉強の時間を増やしていて、その疲れが今になってやってきたのかもしれない。

 私は微睡の中に落ちていった。


 ▼


 ノックの音が聴こえて瞼を持ち上げる。どうやら眠っていたらしい。

 美沙は隣で寝息を立てていた。胎児のように丸まっている。私はその頬に手を伸ばした。本当はルール違反だが、今は誰も見ていない。手を置き、顎のところまで這わせる。美沙は「んっ」と反応して、目を閉じたまま嫌そうな顔を浮かべた。

 時計を見る。七時三十分だった。三時間近く眠っていたらしい。互いに制服が乱れていた。

 上体を起こしたところで、扉が開かれ、杏子がスマホを触りながら入ってきた。


「お姉ちゃんごめん。お父さん達帰りが遅くなるから今日はウーバーを頼んでって――えっ」


 こちらの状況を理解して動きを止める。

 顔全体に気まずさを張りつけていた。ぎこちない動きで廊下に出ると、にっこりと微笑んだ。


「……ご、ごゆっくり~」


 扉が閉められる。どたどたと足音が遠ざかって行く音がした。

 美沙が目を覚ます。まだ意識は覚醒してないようで、私の手を掴んできた。むにゅむにゅと強めに揉んでくる。


「せんぱいの手、柔らかくて気持ちいい~……」

「そう」

「せんぱい好き~」

「美沙」

「なんですか?」

「ちょっと痛い」


 美沙は、ばっと手を離してから上体を起こした。


「あ! す、すみません。夢かと思って! わたし変なこと言いませんでした? 大丈夫ですか?」


 私から慌てて距離を取ろうとして壁に背中をぶつける。あがっ、と可愛らしさの欠片もない声を上げ、体を丸めた。


「――いっ……いった~……!」


 私は美沙の背中を擦ってやりながら、杏子への言い訳を頭の中で考えた。

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