第35話
人から見られることは嫌いじゃない。これまで、さまざまな場面で私は注目を集めてきた。私は、私の意志とは関係なく見られる女だったのだ。
私は、周囲から過度な期待を寄せられながら生きてきた。これほど美人なんだから中身も伴っているに違いない。頭がいいに違いない。運動ができるに違いない。
私はその期待に応えてきた。
応えるのは、そこまで苦ではなかった。尊敬されて注目を集めるのは気分がよく、何より私は完璧な自分が好きだったから、多少の努力など、どうということはなかったのだ。
でも、そんな私のせいで、美沙が傷つくのはおかしいと思った。
そんな理不尽は許せなかった。
「美沙」
後輩に声を掛ける。美沙はやはり、こちらを向こうとしなかった。
「私はあなたの傍から離れるつもりなんてない。だからもう、二度とそんなことは言わないで」
視線を横にずらしながら続ける。
「沢村さん」
彼女は肩を震わせた。いたずらの隠蔽に失敗した子供のような顔をしている。
私はゆっくりと口を開いた。
「ありがとう」
え、と周囲から困惑の声が漏れる。
沢村の前髪から、瞳が覗いていた。激しく揺れ動いている。
「私のことが好きで空回りしてしまったんでしょ。あなたの気持ちは嬉しいわ。でも、私への想いを、攻撃という形で、他者に向けてほしくない。それは沢村さんにとってよくないことだから」
「あ、あの……その」
沢村は、両手を胸の前に持っていき、あわあわとした様子で言った。
「ごめんなさい。わたし、こんなことするつもりは……」
「謝るのは私に対してじゃないでしょ」
「あっ……」
沢村は、美沙を見つめた。
「ごめん、なさい……」
小さな声だった。感情が籠っているとは言い難い。
人の本質は簡単に変わらない。それが私の考えだった。でも、ちょっとしたきっかけで変わることもあるのではないか。美沙と出会ってからは、そう感じ始めている。
このことがきっかけで良い方向に変わってほしい。私は強くそう思った。
美沙が腕を組み、はあ、と溜息をつく。
「いいよ。許す」
「あ、ありがとう」
「だた、さくらや千代田にも謝って」
「う、うん。ごめんなさい」
二人は「いいよ」と頷いた。美沙が許すなら仕方ない、という顔だ。さくらが「怖かったんだからね、もう」と膨れる。
弛緩した空気が流れた。
沢村は慌てて倒した椅子や机を直した。美沙がそれに手を貸している。
もうここに用はない。
私は生徒達の視線を振り払うようにしながら廊下を引き返した。
「せんぱい!」
階段を七段くらい上ったところで、声を掛けられた。
美沙が肩で息をしながら私を見上げてくる。
「ありがとうございました!」
頭を下げられ、私はそっぽを向いた。
「別に。たまたま通りかかっただけだから」
素っ気なく言うと、美沙は頭を下げたまま続けた。
「昨日のこともすみませんでした。また強い言葉を使ってしまって……。あんなこと言うつもりはなかったんです。ただ、どうしても不安になっちゃって……」
「いいのよ。あなたの不安に寄り添うことのできなかった私にも落ち度がある」
沈黙が流れた。
美沙は顔を上げ、沈黙を埋めるようにしながら言った。
「あの、せんぱい。これからたくさんお話しましょうね。たぶんわたし達に足りていないのは、コミュニケーションだと思うから」
確かに、美沙の言う通りかもしれない。
肉体的接触に気を取られ過ぎて、会話を疎かにしていた気がする。
私はそこでふと、ある考えに至り、口を開いた。
「明日って土曜よね」
「え、そうですけど……」
「改めてデートをしない?」
きょとんとされる。唐突だったからだろう。
私は再び提案した。
「やり直すのよ。私達のデートを」
美沙が目を見開き、硬直する。やがて私の言葉を正しく理解したのか、柔らかい笑みを浮かべて、「いいですね、それ」と頷いた。
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