第35話 とある皇帝と少女の話 〜その1〜

 ――過去の記憶をさかのぼる。


 これは、現在に至るための分岐点の話だ。


 俺がルシェルと初めて出会い――、失うまでの物語。


 


 ■■■

 



 ――戦場の喧騒から、命懸けで部下に逃されて、瀕死の状態でここまで落ち延びる。


 ――自分がもう、どこまで逃げてきたのかさえもわからない。

 

 今にも途切れてしまいそうな意識の中、気力だけで動かしていた足も、とうとう動かなくなってしまった。

 力尽き、地面に倒れ伏す。



 ――ああ、死ぬのか。



 しかしそれももう、別にどうでも良いことだった。

 死んだところで、また最初からやり直すだけだ。


 

 ――終わらない戦争を、ずっと繰り返している。



 自分が殺されたら、戦争が始まる前まで死に戻る呪い。

 何度も何度も同じ戦いを繰り返し、気が狂ってしまいそうな――、まさしく呪いだ。



 ―― 一体、いつになったら終わるのだろう。



 擦り切れた心で自嘲する。

 エドガー、ノルン、その他大勢の、大切な部下たち。

 自分がしくじるたびに、何度も何度も彼らを失ってきた。



 ――今度こそ、今度こそ。



 そんな思いで、挫けそうになる心を叱咤して何度も繰り返し。


 今回は、ようやくあともう一歩で戦争を終えられるいうところで敗北してしまった。


 またこれを最初からやり直すのかと思うと、心が病んでしまいそうだった。


 信じてもいない神に向かって、どうにかしてこのままここで死なせてもらうことはできないかと切実に願った。


 ――それが、部下たちの命を、無駄に散らしてしまうことになったとしても。




 かさり、と草を踏む音が聞こえた。




 ――追っ手だろうか。


 どうせなら、ひとおもいに殺してくれればいい。


 近づいてくる足音に比例して、次第に意識が闇に落ちていくのを感じる。


 ああ、またやり直しか――。


 そう思いながら。


 俺の意識は、そこでふつりと途絶えた。




 ■■■


 


 次に自分が目覚める場所は、帝国の皇宮にある、かつての自分の部屋だと思っていた。


 しかし――。


「う……っ」


 体を少し動かしただけで、全身に激痛が走る。


「気がついた?」

「……」


 聞き覚えのない、耳通りのいい柔らかい女の声。


 うっすらと――光に目が眩むのを感じながら瞼を開き。

 ここがどこであるかを把握するために、状況を確認することを試みる。


「ここは……」

「ここはエベリン山脈の麓です。あなたは、私の家の庭先で倒れていたの」


 声のする方へ目線だけ向けると、目元がほぼ前髪の、その上に瓶底みたいな眼鏡をかけたどこか野暮ったい少女が(少女に見えたが、もしかしたらもう少し年嵩なのかもしれない)寝台の隣に据えられた椅子にちょこんと腰掛けていた。

 

「……っ」

「動かないほうがいい。まだ傷も治りきっていないし、ここに来て丸二日は眠っていたから」


 状況を確認するために体を起こそうとするが、先ほどと同じように激痛が走り、ただ息を切らしただけで起き上がることはできなかった。


 ――死に損なった、という事か――。


 状況を理解して、思わず深い溜息をつく。

 あのままあそこで倒れていればのたれ死んでいただろうに。

 この目の前の女が、わざわざ助けてくれた、という事だ。


 本来は命が助かって喜ぶべきところを、そうではない屈折した自分のありように、内心で自嘲する。


「……私の名前はルシェル。あなた、名前は言えます?」


 瓶底眼鏡の女は、ルシェルと名乗った。


「……カイ」

「カイ……、カイさん?」

「……さんは要らない」

「じゃあ、カイ。あなた、どこの国の兵士です? 見たところ、付けていた装備の装飾はオルテニアのものみたいですけど」

「……」


 名前を偽ったのは、万が一にも自分のことを知られていては厄介だと思ったからだ。

 まさか辺境の村娘が自分のことなど知るはずもないと思いはしたが、オルテニアの装飾、という発言を耳にした瞬間、やはり侮ってはいけなかったと自らに警鐘を鳴らした。


 すっとルシェルから目を逸らし、口をつぐんで『発言する気はない』という意志を表示する。


 すると彼女は、


「そう……。言いたくないなら追求しません」


 と、思いの外あっさりと引き下がった。


「――傷が癒えて、動けるようになるまでは、ここで療養してもらって構いません。こちらも怪我人を見捨てるほど、薄情な人間ではありませんから」

「……俺が、この家に害をなすとは思わないのか?」


 あまりの不用心さに、思わず口を挟む。


「害を成せるほどの元気もないのに何言ってるんですか」

「だが、体を動かせるようになったらそうとも言い切れない」

「……それならそれで結構ですよ。ただまあやるなら、出来ればひとおもいに殺してもらえると助かります」


 こちらの返しに、ルシェルは怯えるでもなくむしろどこか可笑しげにふわりと笑った。


 その様子からは、どことなく達観した――というか、何か、人生を諦めてしまっているような空気を感じて。

 なんとはなくそこに、親近感を感じてしまった自分がいた。


「怪我が治った後はお好きなようにしてください。ここに残りたいと言うなら話は聞きますし、出ていくのならご自由に。ただ、ここから出ていくのなら、私に会ったことは誰にも言わないでください」

「……それは、なぜだ?」

「まあなんと言いますか……、日陰者とでも言うんでしょうか。あまり人目につきたくない事情がありまして」


 察するに、もともとここに住んでいた、というわけでなく、事情があってここにやって来て隠れ住んでいるというところだろう。


 そうだとすると、こちらとしても好都合だ。

 少なくとも、金銭や手柄のために、自分を兵隊に突き出す可能性は低い。


 彼女の提案通り、体が動くまではここで養生しながら様子を見るのが最適だと思った。


「一旦、今話しておかなければいけないことはそれだけです。……さて。何か食べられそうなら、お粥か何か持ってきますけど。要ります?」


 と。

 ルシェルの提案を耳にし、死んでもいいと思っていた体は、途端に空腹を訴えだす。


 生きられるとわかった途端、人というのは現金なものだ。


 大切な仲間を失ってしまったこの世界で、これ以上自分が生き続けるべきか、潔く死に戻るべきか。

 いずれにせよ、自死では戻ることはできないので誰かにやってもらうしかないのだが。

 それを踏み切ることもできずに、ぐだぐだと後回しにして、生にしがみつこうとする自分を浅ましいと思った。


「お待たせしました」


 しばらくすると、盆に載せたお粥を持ったルシェルが部屋に戻ってきた。

 なんとかして自分で起きあがろうとすると、ルシェルが「手伝いますね」と言って、こちらが体を起こすのを助けてくれる。

 そうしてなんとか、食事ができる体勢まで持ってこれた。


 だが。


 粥を掬うためスプーンを握ろうとするのだが、うまく指に力が入らず、口にする前に何度も器にスプーンを取り落とす。


 とうとう、それを見かねたルシェルが「……貸してください」とこちらに向かってスプーンを渡すよう手を差し出してきた。

 スプーンひとつまともに握れないほど弱っている自分に内心で情けなさを感じながら、震える手でルシェルにスプーンを渡した。


 スプーンに掬った粥はまだもうもうと湯気をたてていたので、そのまま口にしたら熱いと思ったのだろう。

 ルシェルが息を吹きかけて冷まそうとしてくれる。

 そうしていざこちらの口に運ぼうとした時に、こちらがなんとも言えない面持ちでそれを見つめていたのを見咎めたのか、


「……嫌なら自分で食べてくれていいんですよ」


 と、口元までスプーンを持ってきたのを止め、寸前でそんなことを言い出した。

 よく見ると、ルシェルの耳が少し赤く染まっていた。


「いや、そんなことはない。……助かる、ありがとう」


 食べさせてもらえたほうが助かるのは事実だったので、素直に礼を言い、それからは口に運ばれるまま大人しく食事をさせて貰った。


 なんだか、妙な娘に拾われてしまったな――。


 と。

 甲斐甲斐しくこちらに食事をさせてくれる娘を見ながら、そう思ったのだった。


 


 ――これが、俺とルシェルとの出会いであり。




 すべての、始まりの物語だ。


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