第18話 ルシェル、皇帝に招待状を渡す
「というわけでカイナス様。夜会の招待状です」
夜会の計画を内々に公表したその夜。
食事を終え、いつもどおりリビングルームでカイナス様との【今日のできごと報告タイム】を始めた時に、私は前もって用意しておいたカイナス様への招待状をスッと差し出した。
「……俺も招待客になるのか?」
「当たり前です。主催者は私だ、ということを強調したいんですから」
皇帝夫妻の共同企画ではない。
あくまでも私――皇妃が主体となった企画なのだ。
とはいえ、この企画に、カイナス様が必要不可欠なことも間違いなく確かなことで。
「ですので、改めて――旦那様? 私のエスコートをお願いできますか?」
そう言って、カイナス様に向かってにっこりと、手の甲を差し出す。
それを見たカイナス様は、やれやれ、とでも言いたげな様子で苦笑し、「もちろん。丁重にエスコートさせていただこう、奥様」と私の手を取り、そっとその上に口づけを落とした。
「――とは言え、実際どのくらいの人数が参加を希望しますかね……」
開催を決めたはいいが、現時点ではまだ招待状を出しただけだ。
ここから、出席の返事が何割来るかで、準備する食事や当日手配する給仕の人数も考えなければならない。
「よっぽどのことでもなければ、招待されたほとんどの貴族は出席すると思うが」
「そうでしょうか?」
「ああ」
先代の皇帝が崩御し、それに伴って先代皇妃も隠居してしまったために、ここ数年皇室女性が主催するこういった催しというのが一切行われてこなかったのだそうだ。
もちろん、有力貴族たちが主催で行う舞踏会や夜会といったものは開催されてはいたが、それと皇室主催の催しは意味するところが全く違う。
一体その二つの何が違うか――、そんなものは言うに及ばない。
確実に直系皇族に会えるということだ。
「特に、年頃の娘を持つ貴族たちは、こぞって参加するだろうな」
「――ああ」
カイナス様の言わんとすることは、聞かずともわかる。
外国から嫁いできた皇妃――つまり私だ――は、帝国内の勢力のどこにも組さない、まっさらな存在である。
そんな私に、娘を近づけて取り入ろうとするもの。
逆に、私をうまく使ってカイナス様に取り入ろうとするもの。
なんなら、私をダシに娘をカイナス様の愛妾に――、と思うものだっていてもおかしくはない。
「カイナス様」
「なんだ?」
「私は、もし――もしもこの先、カイナス様が愛妾を持ちたいと思われることがあれば、その時はその通りにしても良いと思っています」
「……」
私たちの結婚は、普通の結婚とは違う。
少なくともカイナス様は、皇族に生まれた時点で後継を残さなければいけない、という重大な責務がある。
多すぎても後々、継承者争いで大変なことになる可能性はあるが、少なくとも、生まれる子供が少ないより多い方がいい。
「ですが――、もしカイナス様が愛妾を作る際には、できれば、事前に私に一言伝えてくださいね」
まあそんなこと、言ったところで、いや、聞いたところでどうなるわけでもないのだけど。
誰に言うでもなく、胸中でひとりごちる。
――と。
「……あまりに無自覚すぎると、時にひどく腹立たしく思うものだな……」
隣から、聞こえるか否かの微かな低音で聞こえてきたのは、そんなような内容だったのだと思う。
「えっ」
と私が言ったのは、聞き返そうと思ってのものだったのか、それとも、そのすぐ後の行動に驚いたものだったのか。
隣に座っていたカイナス様が、突然ぐいっと私をソファに押し倒してきたかと思えば、そのまま覆いかぶさるように私の上に跨ってきたのだ。
逃げようにも、カイナス様の両腕の中に囲われていて、身動きが取れない。
内心の動揺を必死で押し隠しながらカイナス様を見上げていたら、その顔がこちらに向かってゆっくりと近づいてきた。
――キスを、されるかと思った。
「……ルシェル。ひとつ、忠告をしておこう」
そっと。静かに。
耳元で、心震わす低音が響く。
私の鼻先が、カイナス様の肩にくっつきそうなほどに近く――。
カイナス様の唇から吐き出される熱い吐息が、私の耳元を悩ましげにかすめていく。
「まだ、自らが純潔を保っていられるのは、こちらの好意の上に成り立っているのだと言うことを。こちらが本気で望めば――たとえ嫌だと拒んでも――いくらでも好きなようにできると言うことを」
重なる箇所から感じる、カイナス様の体温と。
その口先から発せられる言葉が相まって。
自分でも何故だかうまく説明できないけれど、私の心臓が、大きくどきりと震えた。
やがて、そっと私の上から身を起こし、離れて行こうとするカイナス様に向かって、私は必死で冷静さをかき集め、「でも、それでは本当の意味での私は手に入りません」と精一杯の虚勢でもって言葉を返す。
その言葉にカイナス様は「そうだな」と一言ポツリと呟き、背中を向ける。
「だがどうしようもない。それでも――、どうしようもなく、他の誰でもない、君を、君だけを欲しているのだから」
と、それだけ言い残して、カイナス様は書斎に消えていった。
一人残された私は、ただ――、ただただ、途方に暮れるしかなかった。
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