第19話 ルシェルと夜会の夜
気がつけば、あっという間に夜会の当日の夜がやってきていた。
――よし。完璧。
鏡に映った自分の姿を見て、どこにも不備がないことを確かめる。
今日のテーマは『清楚系少女』。
なるべく無垢で純真な少女に見えるよう、パステルイエローのドレスを纏い、髪はアップせずに緩く編んで下ろしている。
髪には小さくて淡い色の可愛らしい小花をちらし、さながら聖女にでも見えるようコーディネートした。
気を落ち着かせるよう、大きく息を吸う。
夜会の成功を心配している、というよりは――、どちらかというとカイナス様と久しぶりにまともに接することに緊張している。
――あれから、カイナス様とはどことなく気まずい状態が続いていた。
私自身、この夜会の準備も相まって忙しく、カイナス様と過ごす時間がほとんど無くなっていたし、カイナス様も夜の報告の時間は簡単に話だけして書斎に籠る様になっていた。
いや、ごめんなさい、訂正します。
カイナス様と過ごす時間がほとんど無かったというのは、忙しかったからというだけではなく――私が、微妙に――カイナス様を避けていたからだ。
嫌いになったわけでは無い。決して。
ただ私が――カイナス様のそばにいると、なんだか妙に意識してしまって落ち着かないのだ。
隣に立たれていても、妙に気配を感じてソワソワするし、いないならいないで、今何をしているんだろうとか考えてしまう。
――こんなこと、今までなかったのに。
自分は一体どうしてしまったのだろうかと動揺した。
動揺して――仕事が手につかなくなるのを恐れた挙句、夜会が終わるまで少し距離を置こう、と決めたのだ。
だって、この夜会は失敗するわけにいかないし。
これが成功すれば、カイナス様のためにもなるんだし。うんうん。
――などと、自分に言い聞かせながら――つまるところ言い訳をしながら、ここまで来てしまったのだが。
逆に、これまで避け続けてきてしまった結果、今になって久しぶりにカイナス様と対面することにものすごく緊張している。
――大丈夫、大丈夫。
綺麗にメイクもしてもらった。美人だ美人。私は美人……!
鏡の中の自分に言い聞かせる様に、心の中で何度も繰り返す。
「よし」
小さな声で気合を入れて、立ち上がる。
今日は私の晴れ舞台。
舞台をしっかりと、盛り上げてこなければ。
それが私の――皇妃としての、大事な仕事なのだから。
――
――事実から言おう。
夜会用の正装に身を包み、髪をセットしたカイナス様は、最高に格好良かった。
一ヶ月ほど一緒に過ごしてきて、もうだいぶこの美形顔に見慣れてきたのではと思っていたけれど、とんでもなかった。
ドアの前で、私をエスコートすべく待ち構えてくれていたカイナス様が無言で私に向かって手を差し出してきてくれたが、その手を取るだけで私のドキドキが伝わらないかが怖くて仕方なかった。
内心の動揺を押し隠しながら、ニコリと笑いかける。
――はたして、私はうまく笑えていただろうか?
なんとか気を取り直して、意識を夜会の会場に戻す。
カイナス様の手を取り、夜会へ続くドアへと体を向ける。
使用人によって『ぎいぃ……』と開かれたドアから、会場内から溢れた光が漏れ出してくる。
そのドアが開ききったところで、私はおもむろに足を一歩踏み出す。
会場内からひときわ高い入り口から入った私は、すでに結構な人数が集まっているその場をぐるりと見下ろす。
それだけで、周囲の目が一斉に私に向かって集中したのがわかった。
どよめきとも、ため息ともつかない音が、会場を漂う。
そうして私は、主催として、この会場を掌握すべく、見えない様、すうっと深く息を吸い込む。
「――みなさま。本日はようこそお越しくださいました」
私の言葉に、会場がしん、と静まり返る。
「急な催しにもかかわらずお時間を作ってくださったこと、心より感謝いたします。今日のこの場は、私が皆様をもっと知りたいと思い設けた場です。堅苦しい挨拶は抜きにして、どうぞ存分にお楽しみくださいませ」
そう締めくくると、会場からわっと拍手が沸き起こる。
私は、その拍手に答えつつ、カイナス様にエスコートしてもらいながら、来客の集まるフロアへと階段を一段一段降りていく。
今日の目標は二つ。
ひとつは、来場した貴族たちに、私とカイナス様との関係が良好であることをアピールすること。
もうひとつは、今日来場している貴族、なるべく一人一人と会話することだ。
そのために、今日まで貴族名鑑を読み込み、どの家がどんな事業を手がけているか、家族構成、領地の経営状況を調べ、覚えてきたのだ。
そうして、カイナス様の手を借りながらフロアに降りてきた私の元へ、来場客たちが我先に挨拶しようと近づいてくる。
「皇妃様、本日はお招きくださりありがとうございます」
「バートランド侯爵ですね。本日はようこそお越しくださいました」
「……! 皇妃様、私をご存知なのですか?」
「ええ。バートランド領からは良質な魔導石が取れると聞いていたので、ぜひお話を聞きたいと思っていました」
実際には、自分で資料を調べて知ったのだけど。
それでも、新しくきた皇妃が自分や自分の家名についてちゃんと知っていることに、バートランド侯爵は気をよくしてくれたようだった。
そう――、今回の夜会の最大の目的。
それは、こうやって貴族ひとりひとりと交流し、「あなたたちのことはちゃんと知っている、認識している」と伝えることで、貴族たちからの信任を得ることだ。
また、会話する中で得られる新しい情報もある。
そういった情報は会話の中でしっかりと頭の中でメモしていき、情報をアップデートしていく。
途中、「皇帝陛下、少し宜しいですか?」とカイナス様に話しかける者がいたので、私はカイナス様に「一人で大丈夫だ」と目配せする。
だいぶ場に慣れてきたし、皇帝と皇妃の関係ももう十分にアピールできているだろう。
後は一人でも回していける。
それにしても、とふと思う。
グリンゼラスにいた時は、なるべく目立たない様にしていたから、こんなに注目されることも、大勢の人と一気に話す機会なんてなかった。
アルベルト様の婚約者であることがいずれ国政を担っていくのだという自覚はあったから、今回のようにグリンゼラス国内の貴族の知識も記憶してはいたけど、実際に披露したことはなく。
ほぼぶっつけで本番を迎えたけど、なんとか回していけている。
そう思うとやっぱり、私ってこういうことの適正がある方なんだなあ、ということを改めて自覚した。
――そうして、皇妃主催の夜会は、大盛況のうちに終えることができたのであった。
――
夜会が終わり、退場していく貴族たち一人一人を見送った後。
疲れ果てた私は、夜会の会場から繋がるバルコニーで、手摺にもたれかかりながら一人夜風に当たっていた。
「ルシェル」
背後から、カイナス様の呼ぶ声が聞こえて、振り返る。
少し離れたところから、正装のままのカイナス様が私を見つめていた。
私は、特に言葉を返すことはせず、カイナス様に向かってふにゃりと笑う。
「……怒っているのか?」
カイナス様が問う。
怒っている?
私が?
そう考えて、ああ、と気づいた。
カイナス様は、ここ最近私がカイナス様を避けていたことを、怒っていたと思っていたのか。
「……怒ってはいませんよ」
「そうか?」
「ええ」
端的に、短く答える。
そうして私は、動作だけでカイナス様に、隣が空いていることを示して見せる。
すると、それを察したカイナス様が、私の隣まで歩いてきた。
「流石に……疲れましたね……」
そう言って、私は隣に来たカイナス様に身をもたせかける。
後から思うと、自分でも良くそんな大胆なことをできたなと思うが、この時の私は、初めての大舞台を終えて、心身ともにすっかり疲れ切っていたのだ。
男の人の体温が暖かくて、心地よくて、なんだかやけに安心する。
「ああ。本当によくやった」
カイナス様はそう言って、カイナス様にもたせかけていない反対側の私の肩を、そっと抱きしめてくれた。
私は――、その言葉でどっと安心し、気が抜けてしまったのだ。
カイナス様にもたれかかった体勢のまま、気絶する様に眠りこけてしまったのだと言うことを、後から聞かされた。
そして、眠りこけてしまった私を、カイナス様が横抱きにして寝室まで運んでくれたらしいのだが――。
翌日、それを聞かされた私が、また赤面して悶絶し、どう言う顔でカイナス様と顔を合わせればいいのだと苦悩したのは、また別の話である。
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