第33話 知っている皇帝と、知らない皇帝

 ――結婚式の翌日は、公務のスケジュールがいつもより随分と緩和されていた。


 ……。


 新婚初夜を見越して、ってことだったんですよね……。

 なんというか、すみません……。


「まあ、落ち込むことはない。もともと、昨日のあの騒動の後でというのもどうかと思っていたしな」


 むしろ文句を言いたいのはあの馬鹿王子の方だ、と。

 久しぶりに時間に余裕のある朝食を共にしながら、カイナス様がそう言った。


「いくらでも機会はある。なんといっても、お互い両想い、相思相愛の夫婦なのだしな」


 そう言って、カイナス様が悪戯っぽくニヤリと笑う。

 その言葉に、昨夜の自らの醜態を思い出し、瞬間的に自分の頬に熱がたまったのがわかった。


「……カイナス様は、両想いだってわかってから少し、意地悪だと思います……」

「そうか? それは、ルシェルが可愛すぎるせいじゃないか?」


 平然と返してくる言葉さえ、どこか甘くて。


 意地悪を言われているはずなのに、くすぐったくて胸がざわざわするのはなんでなんでしょうね……!


 ちょろい。

 自分、ちょろすぎる……!


 でも、目の前で幸せそうに笑うカイナス様を見ているだけで、幸せで胸いっぱいになる自分も確かなのであって。


 はあ、とため息をつきながら、ふと思いついた意趣返しを実行する。


「ところで……、約束の新作はいつできるんです?」


 そうなのだ。


 私はまだ、ここにきてから一度も、カイナス様の新作の原稿を見せてもらっていない。

 もともとそれに釣られてきたはずだったのに、忙しさに追われるうちに気づいたら2ヶ月も経ってしまっていた!


「ああ……、そうだな。確かに、約束は果たさなければ」


 そう言ってカイナス様は、手元のナプキンで口元を拭く。


「今できているところまででよければ、今日の夜にでも読めるようにしておこう。ただし、あまり遅くまで読みすぎないようにな」


 二日も続けてお預けを食らうのは流石に辛い、とカイナス様が軽口を叩く。


 お預け――、というのは。

 つまりのつまり。

 初夜のやり直し、ということですよね――。


 ――いや。

 いい、いいんです。

 だってね、これだけ猶予をもらっておいて、今更心の準備が、とか……。

 式も上げて、表立っても夫婦になったんですし。

 いずれ越える一線だって、私だってわかっていますよ?

 

 ……とはいえ。

 緊張しないといえばそれは嘘になる。


 だけども、それをカイナス様に見透かされて揶揄からかわれるのもなんだかしゃくに障るわけで。

 

「そういうカイナス様も、小説の準備に力を入れすぎて疲れてしまったなんてことに、ならないように気をつけてくださいね」

「ほう……」


 あっ。


 カイナス様の目が据わったのを見て、やらかした、と思った。

 つい、出来心で張り合ってしまいました――!


 え、ちょっと待って!?

 私のバカバカバカ!

 この口は! なんでそんなことを言ってしまったのか!


 しかも、生来の負けん気が良くない方に出て、やたら余裕の表情をかましてしまった!


 焦る私をよそに、カイナス様が「ふっ……」と笑いをこぼすのが聞こえた。


「なるほど……。妻が夜を楽しみにしていると言うなら、できる夫としては期待に応えければな」


 対するカイナス様も、不敵な笑みで応戦してくる。


「なんなら今日この後、明日丸一日公務をしなくてもいいくらいに仕事を済ませておくといい。可愛い妻に明日、足腰の立たない状態で仕事をさせるのも忍びないからな」


 ――と。


 私が、自らで地雷を踏み抜いてしまったと気づいた時にはもう、何もかも手遅れの状態になってしまったのであった――。




 ■■■




「……いったい誰なんですあの人を冷血皇帝とか言いだしたの」


 はあ、と。

 行儀が悪いと知りつつも、執務机に肘をつき両手で顎を支えながら、ため息混じりにつぶやく。

 

 結局。

 本来今日は午前中の公務はしなくても済むよう取り計らわれていたにも関わらず、カイナス様の言葉が現実になることを恐れた私は、朝食後早々に公務に取り掛かったのだった。


 今日も護衛として私に着いてくれたエドガー様が、冒頭のつぶやきに答えてくれる。


「いや……、前からしょっちゅう言ってますけど、それってただ単に皇妃様が凄いだけですからね?」

「……つまり?」

「あの能面仏頂面をあんな色ボケに変えられるのは、ルシェル様くらいだってことですよ」


 当然のようにエドガー様はそう曰うが、言われた私は疑問を禁じ得ない。

 

 ――そうなんだろうか。

 解せない気持ちで、これまでのカイナス様を思い起こしてみる。


 ………………。


 うーん…………。

 基本的に甘いし、ちょっかいかけてくるし、だいたい楽しそうに揶揄からかってくるんですけど……。


 これが、色ボケの成せる技だというのだろうか。

 正直、今まで周りにそんな人がいなかったから比較対象もない。


 確かに、公務を一緒にしている時や、会議に同席している時などは、ばっさばっさと大臣・重臣・役人問わず切りまくるし、機嫌を損ねるような失言を漏らした人には絶対零度の視線で射殺しているけど……。


 それはそれとして温情もあるし、努力した人や陰で成果を出している人も公正に評価している。

 正当にカイナス様を評価できる人なら、決して冷血皇帝とは言わないと思うけどなあ……。


 と、思ったことをそのままエドガー様に伝えたら、「それは結局のところ、お二人が似た者同士だからですよ……」と呆れられた。


「私がですか?」

「陛下ほど露骨ではないですけど、ルシェル様だってばっさばっさと重臣・役人を一蹴してますし、物事をややこしくするような厄介な意見を持ち出す者には、ものすごい冷ややかな目線で黙らせてますよ」


 ……。


 えっ?

 嘘でしょ……!?

 エドガー様に指摘されて、思わず顔が固まる。


「自覚ないんですか?」

「……真剣に仕事してる最中に、そんなこと考えませんよ……」


 こっちは自分よりも年上の、百戦錬磨のオジサマたちを黙らせるのに一生懸命なのだ。

 黙らせる――、と言うのは言い方が悪いけれど。

 大国の皇妃としての役目が務まるのか試すような目で見る人や、カイナス様の色好みで皇妃にえられたのだろうと私を下に見る人。

 そんな有象無象を納得させるために一生懸命だったわけで。


「まあ……、陛下がどう言うかは知らないですけど。俺から見たら二人とも良く似た同士と思いますよ」

「……」


 なんと言うか、喜んでいいのか落ち込むべきなのかわからない評価を受けて、言葉を詰まらせた。


「でも、ルシェル様が来る前は、本当にあんな甘さは微塵もなかったですけどね。どちらかと言うと、鬼気迫ると言うか、なんと言うか……」


 うーん、と、エドガー様が腕を組み、出ない言葉を捻り出そうとするように唸る。


「……あんなに次々と他国を掌握して行ったのに、達成感とか満足感とか、そういうものがあんまりないような感じでしたね。俺としては、なぜあんなに一気に攻め落とす必要があったのかと当時も言ってましたけど」

「それは、間髪入れずに攻め入った方が、相手の隙をつけるからと言うことでは?」

「陛下もそれは言ってはいたんですけど。どちらかというと、早く攻め落とさなければいけない他の理由が、あったんじゃないかと思うんですよね」


 その辺は、俺も詳しく話を聞かせてもらえなかったんですけど、とエドガー様が言った。


 時には、窮地を切り開くため自ら先陣を切って出ることもあったらしい。

 今ではあまり人前で見せることも無くなったが、剣の腕も、並の剣士じゃ太刀打ちできないほど相当なものだったのだと、エドガー様が教えてくれた。


 ――それは、私の知らないカイナス様の話。


 すくわれるままに着いてきて、今では当たり前のように一緒にいるけれど、私の知らない彼はまだいるのだと、暗に気付かされたのだった。

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