第14話 ルシェル、ミラベルの宿題を見る
公務に着いて最初の二週間は、カイナス様と仕事をしながら引き継いでいくことになった。
私が、カイナス様の判断基準や思考を知りたいと思ったからだ。
どんな仕事でもそうだが、何に重きを置き、どのように優先順位をつけて動くか――それを正しく理解することが、どんな仕事においても重要になる。
同じ
最初のうちは、積極的に情報を仕入れ、慣れていくしかないのだ。
――
そうして、空いた時間はとにかく、資料を読む。
基本的にはカイナス様につきっきりで、会議も一緒に出るし、重臣の謁見も書類の処理も立ち会って横で仕事を手伝ったり見ていたりするのだが、時々「次の会議は席を外していていい」と言われる時がある。
そういう時は、資料室から資料を持ち出し、一人でせっせと知識を詰め込むのだ。
財務帳簿。
貴族名鑑。
商会名簿。
帝国地図。
えとせとらえとせとら……。
それに合わせて、自分なりの相関図やノートも作成する。
複数の資料を見て気付いた、関連性のある事柄を記録していく。
「ねえ、そこのガリ勉」
ただ読むだけでは頭に入りにくいが、手を動かすことで覚えやすく――
「ちょっと! 無視しないでよ!」
ん?
「あんたよ、あんた! ダサメガネのガリ勉!」
顔を上げると、私の目の前でミラベル様が仁王立ちになり、憤然とこちらを見下ろしていた。
「ミラベル様」
「ミラベル様、じゃないわよ。なにしてんのよこんなとこで」
「ミラベル様こそ何してるんです」
ここは皇宮内の庭園だ。
天気が良かったので、庭園にある
「お兄様に用があってきたのよ」
「そうですか。エドガー様は今カイナス様と会議に出てますよ」
ふん、と答えるミラベル様にそう返事をし、再び資料に意識を戻す。
「ち、ちょっとちょっと! 無視するとかどういう了見!?」
「え、まだ私に用があるんですか?」
エドガー様の居所をちゃんと教えたのに、これ以上ここにいる必要があるのだろうか? と単純に疑問に思う。
「そんなものないけど……、ガリ勉のくせに私を無視するなんて生意気でしょ」
……。
ミラベル様……。
私これでも一応、正式に皇妃になったんですけど……。
その発言、不敬罪で訴えられてもおかしくないですよ……。
ミラベル様が、相手の立場を考えずあまりにも無防備に発言するので、こっちが逆にひやひやしてしまう。
「あなた、暇ならちょっとこれ、手伝いなさいよ」
「……どこをどう見たら暇に見えるんですか……」
テーブルの上にめちゃくちゃ資料を広げてるの、見えないんですかね……。
そんな私の言葉を無視して、ミラベル様がぱさりと、手に持っていた紙束を私の広げた資料の上に載せる。
……、見ろって事ですよね。
ミラベル様の意図を察して、紙束を手に取る。
一応仕事中なんですけど……という思いを込めてミラベル様を見上げるも、全く引くそぶりを見せない。
仕方ないなあ。
軽く嘆息しながら、手に取った紙束にぱらぱらと目を通す。
「……これ、ミラベル様の宿題じゃないですか」
「そうよ。あなた、ガリ勉なんだからこれくらいわかるでしょう」
そう言ってミラベル様は、私に向かって小馬鹿にするように嘲笑してくる。
あの、でもこれ……、かなり初級の問題集ですよ?
ミラベル様の年齢を詳しくは知らないけど、もうとっくに終わっていていいレベルの課題だと思うんだけど……。
「これ……、わからないんですか?」
なるべく、ミラベル様が傷つかないよう、何気ない風を心がけて尋ねる。
「……わからないとかじゃなくて、やらせてあげるって言ってるのよ」
「でも、人にやらせてたらいつまで経っても身につきませんし……。私でよければ教えてあげますけど」
「なっ……、わからないとか言ってないわよ! あなたができるかどうか実力を見てあげるって言ってるのよ! そんなこともわからないの!?」
私の言葉に顔を赤らめ、もういいわ、返して! と、私から書類を引ったくる。
そうして、「ふん! ガリ勉のくせに勉強もできないなんて、役立たずね!」の言い捨てながら去っていった。
なんだったんだ……、今のは……。
突然の嵐の襲来に呆然とする。
結局、その日はそれで終わったのだが、しかしその話は、それだけでは終わらなかった。
それは、翌日も同じ場所で、また同じように資料を広げていた時のことだ。
「ど、どうしてもっていうなら……教えさせてあげてもいいわよ……」
まただ。
また、昨日と同じ紙束を抱えたミラベル様が、私の前に現れたのだ。
「……」
「なによ、また無視するの?」
私が黙っていると、ミラベル様が恨めしそうにそう言ってくる。
「……少しだけならいいですよ。これでも私、仕事中なので」
と、私がそう言って手を差し出すと、途端にミラベル様はパァッと輝かせ、いそいそと私の隣に腰掛けた。
そうして、問題集の頭からひとつひとつ、ミラベル様がわからないと言っている部分を丁寧に説明していく。
「……なので、ここの解はこうなるわけです」
「……うん、う……、はい」
ミラベル様が、うんと言いかけた返事を、なぜか「はい」と言い直す。
最初はどうなることかと思ったが、実際に宿題をひとつひとつきちんと紐解いて教えていくと、存外ミラベル様はおとなしく話を聞いてくれる。
そして、ちょうどそのタイミングで、会議を終えたらしいカイナス様が戻ってきた。
「ミラベル、そこで何をしている」
警戒心を滲ませた、カイナス様の硬い声。
ミラベル様が私に害をなしていないか警戒しているのか、その声色はいつもよりやや剣呑に響いた。
「に、兄様……」
「カイナス様。ちょうどミラベル様とここでお会いして、学習についての話をしていたのです」
私が答えると、カイナス様は一瞬怪訝そうにミラベル様を一瞥したが、私がにこにこと笑顔を絶やさずにいるのを見て、「そうか」と言って納得した様子を見せた。
「ルシェル様……! 愚妹が迷惑をお掛けして申し訳ない……!」
「なっ……、兄様」
「いいえ、何も迷惑ではなかったですよ。私も久しぶりに勉学の話ができて楽しかったですから」
カイナス様に付き添っていたエドガー様が、慌てて申し訳なさそうに謝罪を申し出たが、それには及ばないと言葉を返した。
「でも、もう時間ですね。ミラベル様、残念ですが今日はもうここまでです」
ミラベル様に向かってそう言うと、「わかったわ」と素直に受け入れ、ミラベル様が席から立ち上がる。
「……ありがとう」
「ありがとうございます、だろ」
「ありがとうございます」
あくまでも敬語を使わないミラベル様に、エドガー様がいかにも兄らしく嗜めると、存外にミラベル様が素直に訂正した。
そうして、ミラベル様は私たちに一礼し、立ち去ろうとする間際、「……また、教わりにきてもいい……ですか?」と言いにくそうに訪ねてきた。
「もちろん。私の仕事の合間でよければ、いつでもどうぞ」
私はにっこりと、そう答えたのだった。
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