第7話 地味令嬢の旅立ち

「それでは、お父様、お兄様。行ってまいります」


 翌日、旅の支度を整えた私は、我が家に迎えに来てくれた馬車に乗り込む前に、父と兄にしばしの別れを告げた。


「お前……、まだその格好を続けるのか」


 私の姿を見た兄が呆れ顔で言う。

 一夜明けて、私がまた元の地味な格好に戻っていたからだ。


「この方が何かと都合が良いことも多いので」


 実際に数年、この格好で生活してみてわかったのは、あえて地味な格好をすることで、人を見た目で判断する人間を振るえる、人間の本質が見えるということだ。


「まったく……、せっかく器量良しに産んでもらったのに……」

「その言葉。そっくりそのままお返しするわ。それに、ここぞという時には盛大に使うから大丈夫。私のことより、お兄様はご自身のことをご心配ください」

「……私の何が心配だと」

「可愛い妹が嫁いで、寂しくって泣かないでね」


 私が憎まれ口を叩くと、兄に「くだらないこと言ってないで、さっさと行け!」と突き放されてしまった。


 まったく。

 可愛い兄だ。


「さて……、お待たせしました。参りましょう、カイナス様」


 背後に近づいてきた気配を感じて、私はくるりと体を回転させる。


「ああ。別れの挨拶はもういいのか?」

「はい」


 あんまり長々としていても、逆に寂しくなるだけ。

 湿っぽいのは得意ではないのだ。


 カイナス様は。「そうか」とだけ言って、馬車の横に立ち、私が馬車に乗り込みやすいようスッと手を差し出してくる。


 あ、この格好のことは聞かないんだ。


 てっきり、軽く触れてくるぐらいのことはあると思っていたのに。

 あたりまえのように、元の地味な格好に戻った私を受け入れ、エスコートしてくれる。


 ふと、そんなことを思いながら、カイナス様の手を取る。


 でも、この感じ、嫌じゃないな。

 深くは追求しないけど、決して興味がないわけではない。

 包容力のようなものがあるのだ。

 それって、皇帝になったから得たものなのだろうか。それとももともと持ち得ていた資質なのかな。


 そんなことを考えていたら、御者の合図とともに馬車ががたりと動き始めた。

 

 ガタゴトと馬車に揺られる中、窓の外を見るふりをしながら、さりげなくカイナス様を観察する。


「――馬車の中で文字を読むと、視力が落ちますよ」

「……ははっ。ルシェルがそれを言うのか」


 ビン底メガネの私が裸眼の皇帝に苦言を呈したからだろう。

 書類に落としていた目線をあげ、面白い事を言われたとばかりに声を上げて笑う。


「私のは伊達です。眼鏡がなくても遠くまでちゃんと見えます」

「そうか、いや……。移動中もこうして作業をしないと、仕事が終わらなくてな」


 せっかくこちらから招待したのに、退屈な思いをさせてしまったらすまない、とカイナス様が苦笑する。


「手伝いましょうか?」

「……いや、いい。どうせ帝国に来たら嫌でも働かなくてはならなくなる。今くらいゆっくり休んでいてくれ」


 そう言われたので、軽く息をつき、再び窓の外に目を向ける。

 こうやって、つい余計なおせっかいをしようとしてしまうのは私の性分だな……。

 ふと、そんなことを思う。


 アルベルト様に対しても――、もしかしたら私がやり過ぎだったのだろうか。それでも、彼に辛い思いをしてほしくないという思いでやっていたのは確かで。

 公爵家という立場上、アルベルト様とは小さな頃から交流があった。昔はもっと、面倒見が良く、思いやりのある、優しい人だったのだ。

 変化の兆しがみえたのは、帝王教育が始まり、おそらく彼が自分のキャパシティを超えた能力を求められるようになってから。

 そうして、そこに私が加わるようになってからは、完全にアルベルト様の私に対する態度が変わってしまった。


 私が、もっと早い段階から、何もわからないふりをしていたら、あんなに態度を硬化させることはなかったのだろうか。

 そんな詮無い事を考える。


 そう――多分、私の初恋だったのだ。

 あの頃の、無邪気で、屈託のない少年だったあの頃の彼が。

 だからきっとあの時、私はあんなに傷ついて――、傷ついた心も含めて、いろんなものに蓋をした。

 今更になって気づくなんて、私も大概鈍臭いな、と苦笑する。

 まあ、そもそも、今までこんなにゆっくり考えることができる時間なんてなかったし――。

 移りゆく遠くの景色を眺めながら、そんな事を考える。

 そうして私は今度は、これから始まる全く未知の生活に、思いを馳せることにした。



 ――


「ん……」


 どうやら、考え事をしている間にうたた寝してしまっていたらしい。右半身がやたら暖かいなと思いながら目を擦る。


「起きたか」


 その声は、ちょうど温もりを感じていた右上の方から聞こえてきた。


「カイナス様……? えっ……」


 そこに至ってようやく、私は自分がカイナス様の肩を枕にうたた寝していたのだということに気づいた。


「すまない、君が窓に頭を打ちつけるのではないかと気が気ではなかったのでな」

「も、申し訳ありません……!」

「謝ることはない。急な出立で疲れていたのだろう」


 それに、俺も少し肌寒いと思っていたところだから、ちょうどよかった、と。


 いつのまにか一人称が変わっていることにも気付かず、私はただ己の失態に顔を赤らめるばかりだった。

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