第6話 皇帝の来訪とルシェルの本当の姿
大広間での婚約破棄宣言から三日後。
つまり、カイナス皇帝との婚姻を約束してから三日後。
皇帝が、エーデルワイス家に挨拶に来ることになった。
いわゆる――、お嬢さんをください的なやつだ。
突然の皇帝の来訪予定に我が家はてんやわんや。
なんでこんな急に来ることになったのかと言うと、皇帝のグリンゼラスでの滞在日程がなんと明日までだったからだ。
というわけなので私自身も明日、皇帝に合わせて出発することに決めた。
家族からは性急すぎると言われたが、後から1人で輿入れみたいな形で帝国に行くよりも、せっかく今皇帝がいるのなら一緒に連れていってもらった方が緊張しないで済むと思ったのだ。
そんなわけで、現在我が家は私自身の荷造りだけでも大変なのに、貴賓をもてなす準備もしなければならない状況とあって。
カイナス様は、「急に伺うのだし略式で構わない」と仰ってくださったのだが、そうは言っても我が家は公爵家。
自らの仕事に誇りを持って務めてくれている使用人たちが「人生に一度あるかないかの皇帝陛下の歓待に、手を抜くことなど出来ません!」と闘志をみなぎらせ、準備に取り掛かっている。
かくして、エーデルワイス公爵家は、相当にバタバタな状態で帝国の皇帝を迎えることとなったのである。
――
「ようこそお越しくださいました。カイナス皇帝陛下」
そろそろ日も沈もうかという夕暮れ時。
夕食の席での挨拶に招かれた皇帝を邸宅の前で父が迎える。
うちの父はこう――、なんというか、ぱっと見は物腰も柔らかく紳士的に見えるのだが、実際のところは至極したたかだし如才ないし野心家である。
私が陰でこっそり「腹黒親父」と呼んでいるのはここだけの話だ。
「急な申し出にも関わらず、暖かく迎え入れてくれて感謝する。エーデルワイス公爵。」
そうして、父に迎えられ挨拶を返すのは、ことさらに笑みを浮かべて父に握手を求める――カイナス皇帝だ。
そして、残された私と兄はと言うと、父から一歩後ろに引いたところで、二人のやりとりを静観しているという図式。
ちなみに、兄に勝手につけているあだ名が『冷徹メガネ』なのも、私だけの秘密だ。
「エーデルワイス家は、兄妹揃って優秀な人材が育っていると聞く。さぞ公爵の教育が優れているのだろう」
「いえいえ。その御歳で皇帝としてご立派に努めていらっしゃる方からすれば、まだまだ未熟者でお恥ずかしい限りです」
はっはっは、と父の陽気な声が室内に響く。
皇帝を交えての会食のあいだも、卓上では何気ない世間話が繰り広げられる。
もっとこう、娘をなにとぞ! とか、お嬢さんをお預かりします! みたいなやりとりとか始まるんじゃないかと思っていたけど、そういった会話が交わされることは特になかった。
「さて、ルシェル。お前、陛下に庭をご案内して差し上げたいと言っていただろう。食事もひと段落したところだし、そろそろご案内差し上げてはどうだ?」
と、急に父から話題がこちらに振られた。
おっと。
色々と考え事をしていたら時間が過ぎるのもあっという間だ。
「そうですね。ぜひ、カイナス様に我が家の庭をご覧になっていただきたいのですが……、その前に、少し準備をして参りますので、先に庭園の入り口でお待ちいただけますか?」
「ああ。構わない」
私の申し出に、カイナス皇帝は「急ぐ用事もないから、ゆっくり準備してくるといい」と快諾してくれる。
さて。
廊下を歩きながら、よし、と静かに気合を入れる。
久しぶりに本気の見せ所だ。
はたして、カイナス様はどんな反応を見せるだろうか。
少し、状況を楽しんでいる自分を自覚する。
ふと、自分がこんなに誰かの反応を楽しみに思うことなんて、一体いつぶりだろうと思い返しながら。
私はサプライズの準備のために自室に向かうのであった。
――
エーデルワイス公爵から、「もう少ししたら娘も参りますので……」と案内された後、ひとりゆっくりと庭園内を散策していた。
言うだけのことはあって、庭園は大変立派な造りで彩られていた。
さて。
あの賢い令嬢は、いったいどんな趣向をこらして楽しませてくれるのだろう。
そう思うと、待つ時間も全く苦痛には感じなかった。
「陛下」
背後から、鈴の転がるような声がする。
ようやく主役のご登場か――と振り返って。
そこで目にしたものは、あらかじめ想定していた自分の予想を遥かに超えていた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包んだ――妖精とも見紛うほどの、可憐な美少女だった。
「………………ルシェル?」
「はい」
その、桜貝のような唇から紡ぎ出された声は、紛れもなくルシェルのもので。
「驚きましたか? ……帝国へ出発する前に、陛下には一度私の本気をお見せしておこうかと思いまして」
「……驚いた……。いや、見事な変貌ぶりだな。一瞬、誰だかわからなかった」
こちらの言葉に、ルシェル嬢はしてやったり、とイタズラっぽく笑う。
それがまた――あまりにも可愛らしくあどけなく笑うので、不覚にも心惑わされてしまった。
「こんなにめかしこむのは久しぶりだったので、少し不安だったのですけど。その様子だと、私もなかなかどうしてですね」
そう言うとルシェルは、カツリ、と軽い音を立てて、こちらに向かって一歩踏み出す。
「初めて、名前を呼んでいただきましたね」
そうだったろうか。
そう言われてみれば、本人に向かって名を呼ぶのは、初めてだったかも知れない。
「私も――カイナス様、とお呼びしても?」
「ああ」
私の返事に、月の幻想的な光に照らされたルシェルがふわりと笑う。
妖精が実在するならきっと、こんな風に人を惑わすのだろうと思った。
「では――カイナス様。よろしければ、私と踊っていただけませんか?」
月が――こんなに綺麗なんですもの――と。
彼女は微笑んだ。
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