第29話 ルシェルと皇帝の怒り
「これは……、何事だ?」
新郎の衣装替えのタイミングで式を抜けてきたカイナス様が、気絶したまま縄で縛られているアルベルト様を見て、怒気を孕んだ声で言った。
それから、私の方に目を向け――エドガー様の上着を羽織っただけの私の格好を見て、盛大に顔を
「……私が着替えている最中にアルベルト様が窓から侵入してきたので、投げ飛ばしました」
「は……?」
私の言葉に、カイナス様が余計わけがわからないという表情になる。
エーデルワイス家の教育の一環で、小さい頃から剣術も体術も習ってきた。
剣ダコができるのが嫌だと言う理由で剣はそこそこのところでやめてしまっていたが、体術に関しては半分趣味みたいな感じでずっと続けていたのだ。
それがまさか、こんなところで役に立つとは思っていなかったけれど――。
「……怪我は?」
「大丈夫です」
ドレスを着ていなかったことが逆に功を奏した。
突然の出来事だったが咄嗟に反応できたし、動きを妨げるものがなかったおかげでスムーズに対応できたからだ。
カイナス様は私の顔を両手で包み、どこか怪我をしているところがないか丹念に確認したが、異常は見つからなかったのか軽くため息をついて私から手を離した。
「……とりあえず、牢屋に入れておけ。あと、こいつの相方も探しておけ」
「一応、他国の王族ですが……」
「構わん」
牢屋に入れるという命令に躊躇を見せるエドガー様だったが、カイナス様はにべもない。
「警備は一体どうなっていたんだ」
「まさか窓から入ってくるとは思わないだろ……」
侵入経路は本人が起きた後に問いただすが、それにしたってと言う話である。
「今すぐに問いただして締め殺してやりたいが、とりあえず舞踏会を終わらせるのが先か……。ルシェル、戻れるか?」
「私を誰だと思ってるんです?」
カイナス様が私を心配して言ってくれているのは分かったが、あいにく私もそんなやわにできてはいない。
「流石、俺の妻は頼りになる。着替えを済ませて、とりあえず会を締めてこよう。後の話はそれからだ」
言いながら、カイナス様が私の肩を抱き寄せ、その頬にキスをした。
もともと、舞踏会はもう終盤に差し掛かっていた。
あと1時間もすればお開きだ。
私が着替えを再開しようとすると、カイナス様も心配だからと自らの着替えを私の控え室で済ませることにしたらしい。
アルベルト様は気絶したまま近衛兵に引きずられ、牢屋へと運ばれて行った。
長年婚約していた人から婚約を破棄されて。
――結婚式さえ平穏無事には終わらない。
アルベルト様が絡むと途端に乱れ出す自分の星回りの悪さに、私は自嘲することしかできなかった。
――
戻ってきた使用人たちに急いで着替えさせてもらい、再び完璧にドレスを身にまとった私は、カイナス様にエスコートされ舞踏会の会場に戻った。
戻ってしばらくは外交も兼ねて近隣諸国の王侯貴族と歓談をし、最後にフィナーレとしてもう一度カイナス様とダンスを踊る。
そうして会場に訪れた招待客からの盛大な拍手と歓声に包まれた後、私たちは無事舞踏会を終え、会場を後にした。
――
「どうでした? 今日の結婚式は」
舞踏会を終えて控え室に戻る道すがら、カイナス様に尋ねる。
「完璧だ。文句のつけようもない。――あの、馬鹿王子の出来事がなければな」
ひゅううう、と、絶対零度の風が流れた。
アルベルト様の騒動で式が台無しにならなかったのは救いだが、それはそれとしてここに来てまで問題を起こすのか、という気持ちなのだろう。
確かに、挨拶の時は私も、騒ぎを起こさないでいてくれてよかったとホッとしたのに、まさかこんな事態になるなんて思ってもみなかった。
「申し訳ありません……」
「なぜ謝る」
「一応、母国の人間ですし……、それに、元婚約者ですから」
カイナス様の結婚相手が私でなく別の誰かであれば、こんな厄介事など起こらなかったであろう――と。
そんな思いで私がその言葉を口にした瞬間、どん、と急に壁に手をついたカイナス様に行く手を遮られる。
え? と思って顔を上げると、ぐい、とカイナス様に
「んっ……」
突然のことに驚いて咄嗟に体を引こうとするが、私よりも力強く大きな体がそれを許してくれない。
やがて、ふっ、と解放されたかと思うと、唇が触れ合うほどの距離でカイナス様が私に問うた。
「ルシェル。お前の夫は誰だ?」
「…………カイナス様です」
「そうだ。だから金輪際、きみが別の男のために謝罪する必要などない」
そう言うとカイナス様は再び――今度は、先ほどよりも深く――私の唇を熱く貪った。
角度を変えて何度も何度も――執拗に舌を絡めとられ。
わずかな動揺と、胸の奥に秘めた歓喜と、気持ちよさと息苦しさで気が遠くなりそうになった頃。
ようやく許しを得ることができたのか、カイナス様に解放してもらえたのだった。
「わかったか? ルシェル」
「……っ、……はい……」
正直、息も絶え絶えで、私はそれしか応えることができなかった。
唇の端からこぼれ落ちた唾液を、手袋で拭いとる。
そうして、私の呼吸が落ち着くのを待つ間、切なげな顔で私の頬をさらりと撫でたカイナス様は、再び私に向かって手を差し出す。
ようやく、なんとか落ち着いた胸を抑えた私は、深く深呼吸してからカイナス様の手を取り、控え室への歩みを再開したのだった。
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