第36話 とある皇帝と少女の話 〜その2〜
それからというもの、ルシェルは暇さえあれば(というか、基本的にいつも暇を持て余しているように見えたが)俺の隣に来て、こちらが起きていれば取り止めもない話をし、寝ている時には隣で読書したりして過ごす日々が続いた。
ある日、ふと目を覚ますと、隣で本を読むルシェルがあまりにも楽しそうにページを捲っているので、ふと気になって尋ねた。
その時彼女が手にしていた本に、どこか見覚えがあるような気もしたのだ。
「……それは、いつも何を読んでいるんだ?」
「これですか? ただの児童小説ですよ」
そう言ってルシェルは、こちらによく見えるよう本を開いて、背表紙を見せてくれる。
その背表紙を見て――。
自分の予感が的中していたことになんと言っていいのかわからなくなった俺は、思わず眉根を寄せて視線を逸らした。
「……どうしたんですか?」
こちらの様子がおかしいことに気づいたルシェルが、なにか問題でもあるのかと尋ねてくる。
「……いや、なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないですよ」
どう見たって苦虫を噛み潰したような顔をしてます、と。
どうやら、この件に関しては簡単に流してくれないらしい。
「もしかして、こんなもの読んでて子供っぽいとか思ってます?」
「……違う」
「じゃあ何なんですか」
珍しく段々とむきになって問い詰めてくる彼女に『別に隠すほどのことでもないのだし、言ったところで大きな差し支えもないだろう』と自分で結論づけ――。
それでも、自ら進んで名乗り出るのはどこか気恥ずかしかったのだが――真実を知りたがる彼女に向けて、おもむろに答えを口にした。
「……俺の本だ」
――と。
「……………………え?」
長い間を開けて、ルシェルが『意味がわからない』とでも言いたげに、眉根を寄せてくる。
「……やだ、何言ってるんですか。これはれっきとした私の蔵書ですよ」
「いや、違う。そうじゃない――そうじゃなくて」
俺の本だ、という言葉を、俺の物だという理解にすり替えたルシェルに、そうではないと言う意図を伝えるべく言葉を紡ぐ。
「それは――、俺が書いた本なんだ」
「……………………え」
ここに至って、ようやくこちらの言わんとする事を正しく理解したルシェルが、信じ難いという表情を隠すことも忘れ、手に持った本と俺の顔を何度も見比べる。
「えぇ、またぁ……」
「嘘じゃない。というか、こんなことで嘘つく必要ないだろう」
「でも、名前も違うし……」
「エルマ・テラーはペンネームだ」
――そう。
それはまだ、俺が皇子だった時代に自らにつけた、自分の作品を出版するためのペンネームだった。
その当時はまだ、帝国が戦争を起こす予兆さえ全くなく。
たまたま趣味で書いていた小説が、俺に国文学を教えてくれていた教師の目に留まり「この作品は……世に出すべきです。匿名で出版してみてはどうでしょう」と提案されたのきっかけだった。
その後、実際に本を出版するに至った際に、手続きのためにどうしても直接会う必要があった少数の関係者たちも、ちょうど今ルシェルがしているのと同じような反応をしていた。
つまり。
――お前のような強面の男が、こんな少年少女向けのファンタジーを書くのか、と。
こちらとしては、別に見た目でどう判断されようと、こちらの本質はこちらだけのものなのだからとやかく言われたくないと言うのが正直な思いなのだが、存外に人は見た目で判断するものが多いものだ、と言うのはその時に学んだ事だった。
そんな、過去のことまで遡って色々思い起こしているうちに、どうやら気を取り直した様子のルシェルが、居住まいを正してこちらに話しかけてきた。
「あの、ええと……。……わかりました。あなたが本当に、自分がエルマ・テラーだと言うのなら、あなたの言うことを信じましょう」
「ああ」
「ただし、条件があります」
そう言うと、ルシェルはぴっ、とこちらに向かって人差し指を立てて、おもむろに説明を始める姿勢をとりだした。
「なんだ」
「短編でも構いません。ここにいる間に、新作の小説を一本書いてください。それで――、私がそれを読んで、あなたが確かにエルマ・テラーなのだと認められたら、ここでの生活費は免除して差し上げます」
「……おい、ちょっと待て。生活費を請求するという話は初耳だ」
突然湧き出た『生活費』という単語に納得がいかず、思わずルシェルに食ってかかる。
「当たり前です。私だって、慈善事業やってるんじゃないんです。怪我人だからってタダ飯食えると思ったら大間違いです」
健康になった暁には、それなりの対価は支払ってもらいますからね! と。
どうですか? 私の言っていることにどこかおかしいところがありますか? とでも言いたげに、ルシェルがどん、と胸を張る。
――つまるところ、生活費という言葉を名代に、『新作を書け』ということが言いたいのだと理解した。
……そのやり方に多少納得いかない感もなきにしもあらずだったが、彼女の中に『そうしてでも新作を書いて欲しい、読みたい!』というの気持ちがあるのがなんとなく透けて見え。
そうなってくると、一周回ってなんだか悪い気がしなくなってしまった自分がいて――。
「……わかった。短編でもいいんだな?」
気づけば、彼女に請け負うと返事をしていた。
いつまでここにいるか、正直なところまだはっきりとは決めきれてはいないが、短編くらいなら書く時間を取ることはできるだろう。
そう思い、執筆をしてもいいという意志をルシェルに伝えたのだが、それを聞いて露骨に嬉しそうな顔をしたルシェルは「あっ」と思ったのか瞬間的に何事もなかったかのように表情をすんと戻した。
眼鏡と前髪で目元こそよく見えないが、ころころと変化するその自由さに、なんだか妙に興味を惹かれた。
「あと、あの……。せっかくなので、サインとかいただけませんか」
せっかく表情を元に戻して取り繕っていたのに、そう言ってルシェルは手に持っていた本を開いてこちらにスッと差し出してくる。
その仕草があまりにかわいらしくて、思わず吹き出しそうになったが、それを必死で堪え、こちらも何事もない風を装って差し出された本の 中表紙にサインを書いた。
■■
今振り返って考えてみると恐らく、このあたりからだったのだと思う。
彼女に対して明確に――、好意と言えるなにかを感じるようになっていたのは。
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