第37話 とある皇帝と少女の話 〜その3〜

 ルシェルに短編を書くと約束してから。

 暇を見つけては、物語を書く時間を取るようになった。


「どう言う話がいいんだ?」

「そうですね……。魔女……、いえ、魔法使いと戦士が旅をする話とかはどうですか?」

「……旅をするなら勇者とかの方がいいんじゃないか?」


 取り止めのない会話の話題も、自然と創作の話になる。

 ルシェルと創作の話をするのは、殊のほか盛り上がった。

 聞くと、昔から読書は好きで、時間さえあれば本を読みたいと思う方だったらしい。

 

 「……まあ、日常生活に夢も希望もなかったから、っていうのもあったのかもしれませんけどね」と乾いた笑いを浮かべながら言ってもいたが。


 そんな中でエルマ・テラーの小説を見つけ、その世界観を好み、新作が出るたびに集めては読んでくれていたらしい。

 自分の描いた作品をそんな風にキラキラと嬉しそうに語られるのは、なんだかこそばゆい思いもしたし、満更でもない気持ちにさせられた。



 しかし、それと同時に。

 体の回復と共に、次第に『このままでいいのか』という罪悪感のようなものに苛まれるようになった。



 ここでの生活は、かつてないほどに穏やかで安らぎに満ちている。

 ずっとここで、ルシェルと物語を紡ぎながら暮らしていけたら――。

 そんな、自分勝手な欲が、むくりと頭をもたげるようにまでなっていた。


 

 ――あんなにたくさんの人の命を犠牲にしてきて?

 ――全てを投げ出し、自分だけ幸せを掴もうとするのか?

 ――そんな都合の良い事が許されるのか――?



 正しくあろうとする自分が、心の中の弱い自分を責め立てる。

 夢見が悪い時は、死んだ仲間たちが夢に出てきて、欲に負けそうな自分を責め立ててくる時もあった。


 『死んでいった皆に報いなければ』という焦燥感と、『このままここでずっと暮らしていけたら』という想いがせめぎ合って、悶々とする日々が続いた。





■■




 そうしてルシェルは、そんな俺の葛藤を、ちゃんと見ていたのだと思う。




■■

 



 

「良かったら、ちょっと外に出て散歩でもしませんか?」


 ある日の日暮れ前。

 ルシェルが俺を散歩に誘ってきた。


「今日あたりですね、いい夕焼けが見られると思うんですよ。まあ、あまり体を冷やしてもいけませんし、遅くならないうちには帰るつもりですけど」


 そう言って、お気に入りの夕日スポットなんですよね――、と微笑みながら俺を先導して、田舎道を歩いていく。


「私もね、昔は都会にいたんです」


 ルシェルが話を続ける。


「最初はこんな田舎に来て、どうすればいいんだろうと愕然としましたよ。今となってはだいぶここにも慣れましたけど」


 朝日や夕日、夜には満天の星。

 風の音や緑の匂い。

 いままで知らなかった自然の美しさの恩恵にあずかれたことは、ここに来て良かったことの一つだと思っている、とルシェルは言った。

 

 確かに。

 ルシェルのいう通り、ここの景色はとても綺麗だ。

 前を歩くルシェルの背中が夕暮れの草原に溶け込み、ひどく幻想的にも見える。

 その景色がやけに儚く見えてしまったのは、果たして俺の感傷によるものだったのか。


 歩きながら、ぼんやりとそんなことを思っていると、ルシェルが突然「それでですね――」と唐突に話を切り出して来た。




「私、多分あなたのことを知ってます」




 ――と。

 



「直接、会ったことはありませんけど。おそらくそうだろうと言う確信はあります」

「……」



 そう言ってこちらを振り向き――眼鏡が光を反射して目元はわからなかったが――口元でにこりと笑うのが見えた。



「私も、似たような立場にいたことがありますから。職業柄、覚えるんです」



 つまりは、彼女はもともと、どこかの国の貴族か何かだったのだろう。

 


「……それで? 仮にそうだとして、どうなんだ」



 今更彼女が自分に対して害をなしてくるような気はあまりしなかったが、それでも真意を尋ねるために言葉を紡ぐ。

 



「別にどうも。ただ……、私の知っている物語をひとつ、あなたに聞いてもらいたくなっただけです」




 そう言って。

 ルシェルは俺に向かって、ある物語を話し出した。



 

■■




 ――昔、とは言ってもそう遠くない昔。


 あるところに、貴族の娘がおりました。


 娘は、王家に嫁ぐことを約束されている娘でした。

 なので娘は、来る日も来る日も、やがて訪れる未来のために絶え間ない努力をしていました。

 知識を得るために勉学を学び。

 家族の期待に応えるために仕事を覚え。

 婚約者から「自分より目立つな」と言われれば自らを隠し。

 ひたすらに陰に徹しながら、自分の大切な人たちのために努力を重ねました。


 しかし。

 「お前みたいな女よりも、もっとふさわしい女性が現れた。だからお前はもう用無しだ」と。

 娘は婚約者から、婚約を破棄されてしまいます。

 幸いにも娘の能力の高さを知っていた国王がそれを止め、事なきを得ましたが、娘にとってはそれからが本当の地獄でした。


 愛のない結婚は娘を孤独に追いやり、日々押し寄せる膨大な量の仕事は、やりがいがある反面、少しずつ精神と肉体の疲労を蓄積させていきます。


 そんな、いろんな状況が娘の中で極限に達した数年後、娘にもうひとつ、大きな事件が起こったのです。


 娘は、夫となった婚約者から「不妊の女は王家に置けない」と申し渡されました。

 なんのことだかわからないまま検査をさせられた結果、娘の不妊は確かな事実であったことが明らかになります。

 流石に国王も、子供を産めない娘を、王宮にとどめおくことはできません。

 娘はとうとう、王宮を追い出され、国外へ追放されることとなりました。


 王宮を追い出されてからわかったことですが、不妊になった原因は、夫に盛られた薬のせいでした。

 王宮に住むようになって、日々少しずつ食事に混ぜられていたので、気がつかなかったのです。



■■



「――そうして、王宮を去ることになった娘は何もかもを失いましたが、最後に得られたのは平穏な日々でした」


 陽が傾いた空は、コバルトブルーからオレンジのグラデーションを美しく彩る。

 夕日に染められた彼女は、どこか痛ましげな笑顔を浮かべているように見えた。



「……その話を、なぜ俺にする」



 彼女の、桜貝のような小さな唇が、ぴくりと震える。



「……後悔のない人生を歩むのは誰だって難しい。でも、あなたにはまだ、選べる未来が残っていると思ったから」

 

 思い悩むのは、より良き未来を選ぼうとするからだ。

 そして、俺のような立場にいるものは、選んだ未来が他人の人生までをも大きく左右する。


「……娘は結局、何を後悔したんだ?」

「そうですね……。案外、ある意味大体はやりきったから後悔はしていないのかもしれません。唯一あるとすれば」


 夫から薬を盛られていたことに、もっと早く気づけば良かったと、思っているかもしれませんねと。


 ルシェルは静かに、そう吐き出した。

 


 ――その婚約者は、女性にとって子供を産めなくなるということが、どれほどのことなのか、想像することもできなかったのだろうか。

 そんなにも一生懸命に頑張っていた娘に、どうしてそんな仕打ちができるのか。



 そんな、激情にも似た思いに駆られていると、「でも」とルシェルが言葉を続ける。



「彼女の場合はどうしようもなかったとしても。あなたはまだ、本当に自分はやり切ったと納得していないから、迷っているんじゃないですか?」


 と。


 彼女は俺に向かって、容赦無く現実を突きつけて来る。



 ――そうだ。



 突き詰められた事実に、胸を抉られる痛みを感じながら自問する。



 わかっている。

 自分が現実から、目を逸らしかけていたことは。

 確かに自分はまだ、やり切ってはいない。

 このまま、死に戻らずにこの先の未来を突き進むにしても、死に戻ってやり直すにしても。

 今の自分は、「こうしたい」と決めることさえ中途半端だ。

 


「あなたがどちらを選ぼうと、私はどちらでもいいんです。最初に言いましたよね? 『ここに残りたいと言うなら話は聞きますし、出ていくのならご自由に』と」


 あれは、もう戦いたくないというのならそれでもいいし、それでも戦うというなら止めはしない、そういう意味だったんです。


 彼女はそう続けた。


「どちらがいいとか悪いとか、そういうことを言っているんじゃありません。ただ、自分の心に嘘をつくと、あとで辛くなるのはあなた自身です」


 だから、先ほどの話をしたのだと。

 後悔しないように考えてほしいと。

 




「君は――」






 残酷だ。

 





 絶望する。






 ―――――彼女といたい。




 心は強く――、強くそう願っている。



 でも、

 自分で、それもわかっている。



 逃げ出したままの人生では、彼女とはまっすぐに向き合えないと。

 どこかでちゃんと、理解していたのだ。






 ――草原の中で、慎ましやかに子供を育てる、穏やかな夫婦の情景。






 我知らずいだいていた願望を自覚し、思わず込み上げてきた熱いものを、空を見上げてぐっとやりすごす。





 儚くも願った、彼女とのささやかな未来が決して実現することはないという事実を、悲しいほどに――まざまざと思い知らされた。




 だから。




 どんなに迷おうとも。

 どうしたって、答えはひとつだ。

 



 口に出したら、そちらへ方向が定まってしまう。

 儚い願いが、淡く消えていく。

 それでも、精一杯の気力を振り絞って、俺はルシェルに向かって答えを口にした。




「前に――、進もう。力を貸してほしい」




 彼女を映す視界が、にじんで揺れる。




 俺の頼みに彼女は「もちろん、喜んで」と、どこか儚げな笑顔で請け負った。







 ――書き始めた小説は、まだ序盤を終えたばかりだった。



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