第38話 とある皇帝と少女の話 〜その4〜

 ルシェルが集めてくれた情報をまとめて、現在の戦況を整理する。



 オルテニアはまだ、皇帝が行方不明になっていることを公にしていない。

 まあ当たり前だろう。

 そんなことを公にしていては、攻めてきてくださいと言っているようなものだ。



 先日の戦いで我々を打ち負かした奴らも、皇帝の首をとっていない以上完全勝利とは言えず、一時的に大人しくなった帝国軍を様子見していることだろう。


 

 ――さて、ここからどう打って出るべきか。



 机の上に並べた戦況図を見ながら思案する。

 


 最近では、ルシェルに付き合ってもらって、過去の戦の振り返りをしながら、陣形や戦略の話をすることも増えた。

 


 ――驚くべきことに彼女は、戦略という点において、非常に優秀な頭脳を持っていると認めざるを得なかった。

 


 陣形の虚を衝くことや、うっかりすると見過ごしてしまう穴を見つけるのが非常にうまいのだ。

 もしも彼女が男で戦場に立っていたら――そうならないでほしいとは思いつつも――名将と言われていただろうと思わざるを得ない有能さだった。


 

 そうして――、彼女といるほどに気付かされる。

 


 話すほどに、明晰さが見える彼女の聡明なところも。

 そのくせ、ちょっとつつくと意外とむきになって張り合ってくるところも。

 前髪や眼鏡の隙間から溢れる、屈託のない笑い声や笑顔も。

 か弱い少女にしか見えないのに、真っ直ぐで強い心を持っているところも。



 知れば知るほど、転がり落ちるように彼女に惹かれていく自分を止められない。



 諦めようと思ったはずなのに、知るたびに胸が苦しくて、そのたびに締め付けられるように切なくなる。


 

 止めなければ、と。

 わかっているはずなのに、どうしようもなく止められないことが苦しかった。


 

 ――ルシェルは俺の――運命なのだ。

 

 

 ただひとり、これまでの自分の繰り返しの人生を大きく変えた人。



 自分の未来に、光を与えてくれた人。

 

 

 胸が苦しくなるほどに、愛する、ということを教えてくれた人――。






 ――ふと、新たな願望を想い抱く。



 戦争を終わらせ、い願ったら。



 彼女は俺の元へ来てくれるだろうか――?




 浮かんだ想いと。

 切ない望みに灯がついた。





 その灯が、どんなに儚いものかを知らないまま。





 ■■■




 

 始まりがあれば終わりが訪れる。

 それが訪れたのは、なんの変哲もない、とある日の事だった。


「カイ」


 ルシェルが集めてくれた資料に目を通していると、彼女が俺に向かって声をかけてくる。


「どうした?」

「カイの、知り合いだっていう人が来てるんですけど……」


 そう言って、ちら、とルシェルが、窓の外に向かって目線を投げる。

 その目線の先を追ってみると、確かに窓の外に一人、男がぽつんと佇んでいるのが見えた。


 カーテンの隙間から、向こうから見えないようにチラリと様子を伺う。

 隙間から見えた男は、確かに見覚えがある人物だった。


 ――ダンだ。

 

 軍人というには、ひょろりとしていて大人しそうな見た目の男。

 その男は帝国軍の中において、進軍中に主に俺の身の回りの世話をしてくれた中級兵士だった。

 先の戦いの最後も、俺を逃すために最後まで自分の身を犠牲にして戦ってくれたうちの一人だ。


 俺は安心させるように彼女の肩を叩き、心配ないと言い含めて外に出る。


「……ダン」

「……! 陛下……!」


 ダンは変わらず、朴訥で人の良さが滲み出た顔をしていた。


「陛下……、よくぞご無事で……」

「ああ。お前こそ、よく無事で生きていた」


 本当にすまなかった、と前回の負け戦のことも含めてダンを労う。


「……他に、生き残っているものはいるのか?」

「陛下……。やっぱり……、申し訳ありません……! にっ……」


 逃げてください、と、ダンがそう言い切る前に、すぐ目の前で『どすっ!』と嫌な音がした。


 見ると、ダンの胸から一本の矢が突き出ていた。



 ――やられた――!



 そう思った時にはもう遅かった。



 四方から、こちらめがけて大量の矢が射掛けられる。 

 咄嗟に身を翻し、屋内へ向かって逃げ込もうと走り出す。

 しかし途中で、避け切れず何本か矢傷を追ってしまった。



 バタン! と音を立てて屋内へ逃げ込み、近くにあった棚をドアの前に置き、簡易的なバリケードとして使う。



「カイ!」



 騒ぎを聞きつけたルシェルが、こちらに駆け寄ってくる。



「すまない……、やられた……」

 


 言いながら見上げたルシェルの顔は、今にも倒れそうなほどに青ざめていた。



 ――それはそうだ。

 いくら聡くて、多少世慣れていたとしても、戦場を経験したことのない普通の少女なのだ。

 この状況で泣き喚かないだけ、むしろ肝が据わっていると思った。



 どうする。

 どうすれば――?



 考えるほどに、状況は最悪だった。

 一番巻き込みたくない人間を巻き込んでしまった上に、絶体絶命の危機だ。

 せめて、ルシェルだけでも逃さなければ。

 


 自分はいい。

 俺は死んだところで、またやり直せばいいのだから。

 だが、ルシェルは違う。



 いや、それだけじゃない。

 俺は、ルシェルが死ぬところなど見たくもないし、彼女にもうこれ以上そんな苦しい思いをさせたくないのだ。


 

 しばしの間、黙考するように瞼を閉じ――。

 腹を括って、立ち上がる。



「――出る」

「……カイ?」



 困惑するルシェルを押し退け、一歩踏み出す。



「俺が出て、時間を稼ぐ。その間に逃げろ」



 どれくらいの手勢がいるかはわからない。

 しかし、多少の時間稼ぎにはなるはずだ。



 肩に刺さったままだった矢を無理やり抜いて、武器を取りに行こうと立ち上がる。



 すると、



「待って」



 ルシェルが伸ばしてきた腕に、行手を阻まれる。 



「こっちへ」



 そういうと彼女は、階段下の物置部屋へと向かい、その床に隠してあった地下室へと続く扉を開ける。



「これは……?」

「この下の地下に、転移門があります。もしかしたらもう魔力が足りないかもしれないけど。それでも地下に隠れていればやり過ごせるかも知れません。時間を稼ぐのは、私がやります」



 それに、使用人たちも逃がしてあげないといけないし、と強がるように笑みを浮かべる。



「待て! だったら転移門を使うのはそっちだ!」

「ダメです。決めたじゃないですか、カイ。前に進むって。約束は守ってください」

「だが……!」


 こちらの反論を最後まで言わせようとせず「それに――」と、ルシェルが俺の唇に人差し指を当てて続ける。

 

「私はあなたに――、生きて、生きて生きて生きて。ずっと、私の大好きな作品ものを描き続けてほしいと思ったんです。だから私は……、あなたをこんなところで死なせてあげません」


 そう言って笑った彼女の笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも、幸せそうに笑っているように見えて――。


 場違いなその笑顔に、一瞬見惚れてしまったのだ。


 そうして彼女は、すっと俺の手を取り。


 背伸びをするように、俺の頬にそっと口付けをした。


 そのことに一瞬気を取られた俺が、そのまま『どん!』と彼女に押され、バランスを崩して地下室へと落ちていく。


「ルシェル……!」


 伸ばした手は、虚しく虚空を切る。


「ルシェル……っ!!!!」


 必死に呼んだ彼女の名前も、暗闇に紛れ消えていってしまう。




 ――どうして。



 ――どうして!!!!



 一番守りたかったはずのものなのに、どうして……!



 必死で何かを掴もうともがくが、何も掴むことができず、ただ虚しく落ちていく。



「あ゛あああああああああああああああああ!」



 どうにもならない叫びだけが、口から迸った。











 


 ――そこから先のことは、記憶が曖昧でよく覚えていない。






■■





 次に意識が浮かびあがったのは、戦争が始まる前の――自分の部屋だ。

 寝台に座り込み、ただひたすらに嗚咽を漏らしていた。


 それが、自らの嗚咽だということがわかるまでに、しばらく時間がかかった。

 

 俺は、誰かに殺されたのか。

 何が原因で戻って来たのか。

 ――結局ルシェルはどうなったのか。

 

 全く覚えていない。

 ただルシェルを失ってしまった、という喪失感だけが、苦しいほどに、確かに胸に焼き付いていて。


 呼吸ができないくらい――涙が枯れるまで泣いた。


 人は、本当に悲しくて辛い時は、泣き声もうまくあげられないのだということを――。




 俺はあの時、初めて知ったのだった。

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