第25話 ルシェルと初めての口づけ

 参列者に見守られる中、一歩、また一歩と、カイナス様の待つ壇上へと足を進める。

 

 我ながら色ボケしているとは思うが、正装に身を包んだカイナス様は、いつにも増して格好良かった。

 雰囲気も相まって、ちょっと夢現ゆめうつつな気分になってしまったせいもあるかもしれない。


 あれ? 格好良すぎて胸のときめきがやばいことになってない?

 私の旦那様、素敵すぎて足が震えそうなんですけど……!


 と、うわついた気持ちを抱えながら歩いていたが、幸いにも持ち前の自制心でそんな不純な思いはおくびにも出ていなかったと思う。


 ミラベル様じゃないけれど「カイナス様のこの姿、ちゃんと絵姿に残しておいてもらわないと」と胸の内でひとり固く誓ったのだった。


 そんなことを思いながら、再び、意識を式に戻す。


 ――ほんの数ヶ月前には、まさかこんな邪な思いを抱えながらヴァージンロードを歩くなんて、想像もしていなかったな。

 ふと、ここ数ヶ月の急展開と、今の現状を思い起こして、思わず口角が上がる。


 結婚に対する期待もなかった。

 自分は貴族だし、家のために結婚するのだと。

 だけど、私は今。


 ――好きになった人と結婚式を挙げる現実を迎えている。


 ヴァージンロードを歩き続けて、ようやく、カイナス様の元へと辿り着く。

 伏せていた顔を上げ、カイナス様を真っ直ぐに見上げる。

 優しく微笑んだカイナス様が、私に向かって手のひらを差し出す。

 私は、差し出された手を取り、そのまま二人で教皇様の前に並び立ち、誓いの言葉を交わす。


 カイナス様が私の手を取り、私の左の薬指に指輪をはめる。

 それを私も、カイナス様の指に同じように繰り返す。


 指輪の交換が終わったところで、再び私は顔を上げてカイナス様を見上げた。

 ヴェールを通して、視線がひたりとぶつかり合う。


 私が姿勢を落とすと、カイナス様が手順通りにヴェールを持ち上げる。

 これで――私を隔てるものはもう、何もない。

 緊張で胸が震えた。

 一瞬、カイナス様を見上げた私の瞳は、きっと熱く濡れていたと思う。

 うるさく騒ぐ胸の内を知らんぷりして、そっと瞼を閉じた。


 体温の高い、カイナス様の手のひらが、私の肩にかかる。

 そして――。

 

 その日。

 私は初めて、愛する人からの口づけを受けた。



 ――



 礼拝堂での式の後は、皇宮の大広間で盛大な舞踏会を催す。


 舞踏会用のドレスに着替え、化粧直しを終えた私は、カイナス様と揃って大広間に入場するため、皇族用の入り口の扉の前で待つカイナス様の元へと向かう。


「すみません、お待たせしましたか?」


 思ったよりも準備に時間がかかってしまっていたので、大分待たせてしまったのではと心配になった。


「いや、大丈夫だ。それより……」


 カイナス様はこちらに向き直ると、眩しそうな表情でこちらを見ながら言葉を続けた。


「……綺麗だ。ルシェル」


 私の心臓がまた、小さく跳ねる。


「……カイナス様も、とっても素敵ですよ」


 そう言い返した私は、うまく笑えていただろうか。

 

 素直に好きだと伝えればいいとわかっているのに、恋に溺れていると思われたくないのはなぜだろう?

 最初にカイナス様が私に、仕事上のパートナーとしての皇妃を求めたから?

 好きだと言ったら、恋と仕事を混同する女だと思われて、愛想をつかされるのが怖い?


 好きだという気持ちと、知られてしまったらという不安。

 全てに固く蓋をして、何事もないような顔をすることだけがうまくなって。

 つい今しがた、公式に夫となったばかりの男の手を取り、招待客の待つフロアへと足を踏み出す。


 私たちの登場に、会場中が拍手で沸き立つ。

 周りを取り囲む招待客に手を振り微笑みながら一礼し、会場の中心へと足をすすめる。


 舞踏会の幕開けは、主役二人のダンスから。


 大勢の衆目を集める中、曲の始まりと男性のリードに合わせてステップを踏み出す。

 

 そう言えば、と踊りながらふと気づく。


「私、お兄様以外の男の人と踊るの、カイナス様が初めてかもです」


 アルベルト様とは、結局一度も一緒に踊ったことがなかった。

 向こうから誘われることもなかったし、当然私から言い出せるはずもなく。

 踊りは嫌いな方ではなかったけれど、婚約者がいるのにそれを差し置いて別の男性と踊るのもはばかられると思って、舞踏会に出席しなければいけない時なんかはいつもはじっこの方で壁の花をするか、仕事の話ができる相手を見つけて仕事の話をしていた。


「……ある意味、俺はルシェルの元婚約者に感謝すべきなのかもな」


 私の言葉に、カイナス様がそう言って不敵に笑う。


「ほら、見えるか? あの男、悔しそうな顔でずっと君のことを見ている」


 そう言って、ちらりと目線を送るカイナス様の指し示すところを見ると、確かにそこにはアルベルト様の姿があり。

 硬い表情のまま、ずっとこちらを目で追っているように見えた。


「ルシェル」


 名を呼ばれてカイナス様に目線を戻すと、すかさずカイナス様が耳元で「笑え」と囁く。


「え……」


 咄嗟のことで意図がつかみ取れず、私はカイナス様の表情から読み取ろうとする。

 踊りながら満足げに微笑むカイナス様を見て、ようやく私はその意図を理解した。


 そうか。

 もともと、私は別に、アルベルト様に復讐したいとかそういう気持ちは持ち合わせてはいなかったけれど。

 私が幸せでいることが、ある種の、アルベルト様に対する意趣返しになり得るのだと。

 だから、私がここで幸せそうに踊っているそのことこそが、なによりも復讐たり得るのだと。


 カイナス様の背後に、どことなく悔しそうな表情をしたアルベルト様が映る。


 でも――、私はそんなことよりも。

 私の復讐云々より、今ここで、カイナス様と踊れていることこそが、何より私の幸せだった。

 復讐のために幸せそうになんてしなくても、今まさに私は幸せなのだ。

 だから私は、今この瞬間の幸せを、カイナス様との二人のこの時間を――めいっぱい味わう。


 だって、この先私はずっとカイナス様と一緒にいたいとは思っているけれど。

 今この瞬間の幸せは、今しか味わえないのだから。

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