第3話 ルシェル、皇帝と対面する
「……失礼を承知で、申し上げます」
「ああ」
「それは……、本気で仰っておられるのですか?」
さっきからカイナス皇帝が発している「結婚」の言葉が信じられず、私は無礼を承知で恐る恐る問いただす。
「君は私が、結婚する気もない女性に節操なく婚姻を申し込む男だと思っているのか」
「いえ、そうでは……、そうではありませんが」
それ以前に、カイナス皇帝から婚姻を申し込まれるほどの接点がこれまで全くなかったから、私は今困惑しているのであって!
とはいえ、皇帝陛下に向かって、『あなた私のこと全然知りませんよね!? 正気ですか!?』と言えるほど、命知らずなわけでもなく……。
「ふむ……。まあ、ほとんど初対面の男に結婚してくれと言われて困惑する気持ちはわからなくはない」
「……お察しいただけてなによりです」
どうやら皇帝陛下は、人並みの常識は持ち合わせていらっしゃるらしい。
「実はこのところ、皇帝の仕事が激務すぎて、そろそろ公務を負担できる伴侶を探さねばという話が出ているのだ」
「……はい」
……公務を負担できる伴侶?
どちらかというと、皇妃の主たる仕事というのは子をなすことであって。
子を産むために伴侶を探すというのであれば理解できるとしても、公務を負担させるために伴侶を探す、という点になにか引っ掛かりを覚える。
まあ、公務はもちろんできるに越したことはないと言えばないんだけど……。
「このひと月の間に、皇妃業を任せられる伴侶を見つけられなければ、私が死守してきた趣味の時間も取り上げられてしまう。私としては、それは回避したい。いかにすべきか……というところに、君だ」
そう言って、皇帝の瞳がひたりと私を見据える。
「……私、ですか」
「聞けば、本来アルベルト王子がやるべき政務の殆どを君が処理しているとか」
「そんな話、どこから」
「国家機密だ」
私が尋ねると、皇帝は含みのある顔でニヤリと笑う。
「……皇妃ではなく、仕事ができる政務官を採用すればいいのでは?」
「それだと、書類の処理はできても、皇帝権限の決裁はできない」
カイナス皇帝がいう通り、いくら仕事ができる政務官がいても、決裁権がない以上皇帝の仕事は減らない。
「それに、この話は君にとって有益な話でもあるはずだ」
――確かに。
アルベルト様から婚約破棄されてしまった今となっては、カイナス皇帝からの提案は渡りに船みたいな話だ。
皇帝陛下をよく知らないからちょっと不安! 冷血皇帝って言われてるけど大丈夫? ということ以外は、断る理由も特にないし……。
と思っていたところに。
「これを」
カイナス皇帝が、そこら中に散らばっている中から無造作に一枚紙を取り上げ、私に向かって渡してくる。
え?
これ、機密書類じゃないの?
そこらじゅうに散らかしてはいたけど。
と、訝しく思いながら受け取るも、皇帝が目線で「見てかまわない」と促してくるので、そろりと書面に目を落とす。
『光の勇者と魔法使い』
どこかで見たことのあるタイトルが目に映る。
「……」
「私の著書だ」
「エっ!?」
予想の斜め上の展開に、思わず声が漏れ出る。
「あの……、でも、名前が」
「ペンネームだ」
「……」
平然とそう言い退ける皇帝陛下に対して、私は皇帝自身のキャラクターと、この著作の作風のあまりのギャップに「本当か?」と何度も顔を上下させる。
――光の勇者と魔法使い。
それは、ごくありふれた、勇者と魔法使いが世界中を旅して回る、いわゆるジュブナイルと呼ばれるジャンルの冒険小説である。
私は、その物語のファンだった。
いや、大ファンと言っても過言ではない。
ありふれた、とは言ったが、そこに描かれるキャラクターや、彼らが旅する世界は、とても鮮やかに瑞々しく描かれており、私はその冒険譚を毎日寝る前に読むのをとても楽しみにしていたのだ。
書籍自体は帝国出版から出版されていたが、著者の『エルマ・テラー』は表舞台に顔を出すことは全くなく、その中性的な名前から男性なのか女性なのかもわからない、謎の人物としてここ数年噂されて来た。
「エルマ・テラー……?」
「ああ」
私の問いかけに、皇帝が頷く。
「そしてこれが――、数年前、君が私に送ってくれたファンレターだ」
「なっ……!」
皇帝が懐をまさぐると、そこから出てきたのは可愛らしい便箋だった。
そう、間違いなく、見覚えのある――!
「君の、私の著作に対する熱い思いが書かれている。読み上げようか」
「いえっ! 結構ですっ……!」
確か、今から3,4年くらい前に読んで、読了後感極まって涙ながらに勢いで書いて出してしまったものだ。
その時の感動は恥ずかしいものでもなんでもないが、流石に過去自分がしたためた手紙を、いま目の前で読まれるのは恥ずかしい……!
「どうだろう。我々の利害は一致するのではないかと思うが。君は私の仕事を手伝い、私は執筆の時間を確保する。書き上げた作品は君に一番に見せると約束しよう」
「えっ」
一番に?
大好きな作家の物語を、世に出る前に一番に読める権利を得られる?
思いがけない提案に、私の心は急激に傾く。
「その、先ほど陛下が仰っていた趣味、と言うのは……」
「無論、この作家業のことだ」
皇帝が、当然だとばかりに頷く。
皇帝の趣味が、作家業――!
「不敬を承知で言いますけど……、皇帝陛下は皇帝業に専念してください……!」
「皇帝業はちゃんとしている。これは、己の精神衛生を保つための重要な趣味なのだ」
皇帝業だけに始終専念していたら、心を病んでしまうではないか、と。
そう言われると、正直皇帝業(?)をやったことのない立場の私からは何も言えない。
しかし、アルベルト様の代わりに王子業(?)に忙殺された経験のある私から言わせれば、わかる。
カイナス皇帝の執筆活動というのは、私にとっての読書と同じなのだ。
日常から離れて、創作の世界に身を浸すことで癒されるものがある。
それは私にも、覚えのある経験だった。
「……わかりました」
私は、覚悟を決めて答える。
「結婚のお話、お受けします。――そして、私が皇妃になって、陛下の創作活動を支える存在になります! その代わり――」
約束通り、今後絶対に一番に原稿を見せてくださいね――!
私の、熱のこもった申し出を、皇帝は快く承諾してくれた。
こうして私は、オルテニア帝国の皇妃となることが決まったのであった。
ついでにサインももらって帰った。
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