第10話 ルシェルと胸と新たな恋敵
「おかえりなさいませ陛下。無事のご帰還、心よりお待ちしておりました」
「ああ」
転移門から溢れだした光が収まり、ようやく周囲が確認できるようになったと思った途端。
聞こえてきたのは、カイナス様の帰りを喜ぶ声と、それに答える耳慣れた短い相槌。
どうやら、無事に帝国に到着したらしい。
初めての転移が無事に終わったことに、私はほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫か」
私のすぐ頭上から、こちらを心配する心地の良い低音が響く。
あれ? なんか、近い……。
近いというか、この状態はむしろ抱き寄せられているに近い。
わ、私? 私が不安になりすぎて思わず近寄ってしまった?
それとも、カイナス様が気遣って寄り添ってくれたのだろうか。
……そういえば、まだ手も繋いだままだ……!
「カイナス様、あの、はい、大丈夫です」
そう答えながら、案に『もう手を離して大丈夫です』という意図を込めてみたのだけど、どうもカイナス様にはうまく伝わらなかったらしい。
「そうか」と短く答えて、さらにぎゅっと手を握り込まれる。
「あの、陛下……、その方は」
「ああ、皇妃だ」
陛下!!!!!
と、咄嗟に反射で心の中で叫ぶ。
まだ!!!
まだですよ!!!
なるとは言いましたけど、まだです!!!
心の中で叫び散らかした声を、堪えて表に出さなかった私は偉いと思う。
「は……、ええと」
「グリンゼラスの、ルシェル・エーデルワイス公爵令嬢だ。彼女を皇妃として帝国に迎え入れると、先触れを出していたはずだが」
「あっ! はっ!? この方が、ですか?」
「そうだ」
先頭に立って私たちを出迎えた――おそらくは宰相あたりであろうと思われる――初老の男性が、私を見て驚いた声をあげる。
露骨にならないよう気を配ってはいるのだろうが、その目が私とカイナス様を見比べるため、くりくりと動いているのが見てとれた。
まあね……。
周囲の驚きを見ながら、側から見えるであろう自分たちの姿を想像する。
すらりとした美丈夫がちんちくりんのもさい女をちょこんと隣に置いて、「この女性を妻に迎える」と言いだす絵面。
「え、陛下、本気ですか?」ってみんなが思っているのはありありとわかるよね。
――そんなことを、考えていた時だった。
「カイナス兄様ぁぁぁ! おかえりをこころよりお待ちしておりましたわぁぁぁぁぁ!」
突然、ばたりと扉が開かれて、甲高い声の闖入者が入ってきたのは。
「ミラベル」
「ミラベル様! まだ入室して良いと許可しておりません!」
「なんでよ! 私とお兄様の仲なのよ!」
別にいいじゃない、と言いながら、綺麗に着飾った――私よりも……ふくよかな胸を持つ女性が……、私を押しのけてカイナス様にぴたりと擦り寄る。
胸……!
いやいや、いま気にすべき点はそこではない。
……妹?
にしては、なんと言うか……。
ぐるぐると纏まらない感情を胸中で整理していると、はたりと私の視線に気付いたカイナス様が、ぐいっとミラベル様と呼ばれた女性を押し除け、彼女に向かって冷淡に言う。
「放せ。皇妃の前だ」
そう言うとカイナス様は、数歩後ろに下がっていた私の手を取り、私を抱き寄せる。
「……皇妃?」
「そうだ。彼女が皇妃だ」
怪訝そうに復唱するミラベル様に、カイナス様が強い調子で同じ言葉を言い返す。
「なにそれ! 成人したら結婚してくれるって約束したじゃない!」
「そんな約束をした記憶はないし、あったとしても子供の時のままごとの話だ」
「ままごとだって十分な動機だわ!」
目の前で言い合いを始め、呆然とする私に、さっきの宰相っぽい人が耳打ちする。
「いつものことですので、ご安心ください。ミラベル様は、カイナス様の従姉妹なのです」
「おいお前ら! いつまでも騒いでんじゃねえ!」
周囲がハラハラと見守るなか、なおも言い合いを続けていた二人の間に、カイナス様の側近のエドガー様が割って入る。
「エドガー兄様! 邪魔しないでくださいませ!」
「エドガー、お前こいつを連れて行け」
ことの成り行きを見守っていた私に、宰相(推定)が「エドガー様とミラベル様は実の兄妹なのです」と教えてくれた。
つまり、カイナス様とエドガー様、そしてミラベル様の三人が従姉妹同士ということになるのか。
「ちょっと! そもそもの原因が何ぼーっと突っ立ってんのよ! あなたも何か言いなさいよ!」
「ミラベル、ルシェルに絡むな」
静観していたら、なぜか突然矛先がこちらに向いた。
「何か……」
「いい、ルシェル。むしろ巻き込んですまない」
「兄様はなんでその女ばっかり庇うのよ!!!!」
どう立ち回るか思考を巡らせる私と、私に矛先が向かないよう話を切り上げようとするカイナス様。
そして、己の分が悪いと悟ったミラベル様が、堪りかねて声を荒げる。
「どうしてその女なのよ! どう見たってカイナスお兄様に似つかわしく無いじゃない!」
「ミラベル!!」
エドガー様が、大声を上げてミラベル様を静止する。
そして、カイナス様を取り巻く空気が、瞬間的に絶対零度まで冷えた。
「ミラベル。身内だからと許していたが、お前は――相手が誰かわかって物を申しているのか?」
「……っ」
「彼女は、俺が欲し、望んだからここに居る。ルシェル以上の相手なんていないし、そんな存在はあり得ない」
はっきりと。
それが真実なのだと相手に思わせる力強さを持って。
カイナス様が言い切る。
「な、なによ……」
その勢いにたじろいだミラベル様が、目尻にうっすらと涙を浮かべながら、よろりと後ずさる。
「なによなによ! 純愛ぶっちゃって! 私は……、私は絶対にっ、認めないんですからね!! カイナス兄様のバーーーーーーーカ!!」
ミラベル様はそう言い捨て、周りをただ騒然とさせたまま、走り去っていったのだった。
嵐がさった後、残された一同は――ただ静まり返るしかなく。
ごほん。
宰相らしき人が、仕切り直すように咳払いをする。
「改めまして――、ようこそお越しくださいました、ルシェル様。私はオルテニア帝国宰相のキース・ロズベルトと申します。我々オルテニア帝国代表として、ルシェル様のお越しを心より歓迎いたします」
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