番外編5 初めてのデート3

 ママぁ……、と。

 本棚の影から、子供の呼ぶ声が聞こえた。


「あら……」


 カイナス様とのランチを終えて。

 再び書店巡りへと繰り出した私たちだったが、最初に入ったお店で、ばったりと迷子に遭遇したのだ。


「あなた、お母様とはぐれちゃったの?」

「うん……」


 私が膝を曲げて迷子の男の子の目線に合わせると、おそらく3歳か4歳くらいだろうと思われる男の子が、私のスカートの裾を握ってくる。


 不安げな顔は、しばらくここで両親を探してうろうろしていたのだろう。誰か大人に助けてもらえたことで、少しほっとした様子を見せていた。


 そうして、私がふと顔を上げると、心配するようにこちらを見下ろしてくるカイナス様の目線とぶつかった。

 多分、「何かの罠じゃないのか?」とか、「迂闊に親切心をだして、ルシェルがなにか揉め事に巻き込まれるのでは?」とか心配しているんだろうな……。


 私はそれに対して、「わかっていますよ」と意志を込めてカイナス様に微笑み返しながら、「……カイ。この子のお母様が見つかるまで、一緒にいてあげてもいいですか?」と尋ねる。


「……答えが決まっている問いかけを、する必要があるのか?」

「ありますよ。だって私たちは、コミュニケーションの取れる夫婦ですから」


 そう言って私はカイナス様の言質を取ると「じゃあ、お姉さんとお兄さんが、ママが来るまで一緒にいますから、いい子でいましょうね」と迷子に向かって話しかける。


 すると、迷子の子供が私にくっつきながら「……抱っこ」とせがんできたので、求められるままに小さな体を抱き上げる。


「あなた、お名前は何て言うんですか?」

「ライナス」

「ライナスはいま、何歳なんですか?」

「さんしゃい……」


 そう言ってライナスは指をぴっと立てるが、3歳と言っているにも関わらずその指が2本しか立っていないことにくすりと笑いがこぼれてしまう。


「ルーシェ。店員にも話して、どこかわかりやすい場所で待っていた方がいいんじゃないか?」

「確かに、そうですね……」


 このままここにいても、他のお買い物をしているお客さんの邪魔になってしまうかもしれないし。

 そう思いながらカイナス様と移動をしていると、腕の中のライナスが「ルーチェ?」と、まだ舌の回りきっていない口で私の名前を呼んできた。


「はい。ルーシェですよ」

「ルーチェ……!」


 どうやら、私の名前(偽名だけど)がお気に召したのか、嬉しそうに何度も名を呼んでは、楽しそうにぺしぺしと私の肩を叩いてくる。


 ――かわいいなあ……!


 私もいつか、子供ができたら、こんな風になるんだろうか?

 もちろん、私の子供ができるという時は、カイナス様の子供ということで……。


 そう思って、私の隣にぴたりと寄り添い、私の歩調にあわせてゆっくりと歩いてくれるカイナス様をこっそりと見上げる。


 そこにいるのは、いつもの皇帝姿のキリリとしたカイナス様ではなく、変装した(そして私が頭をもじゃもじゃにしてメガネをかけさせた少し野暮ったい)カイナス様だけど。


 こうやって、普通の一般市民みたいな格好をして、普通の夫婦みたいに子供を抱っこしてお店の中を歩いて。

 本来の立場である、皇帝と皇妃では起こり得ないであろう夢みたいな光景に。

 不意にぐっと、胸が締め付けられた。


 ――ああ、神様。


 ただの偶然とはいえ。

 疑似体験とはいえ。


 こんな素敵な光景を見せてくれて、本当にありがとうございます――と。

 柄にもなく、心の底から神に感謝したのだった。



 ◇



 それから間も無くして、ライナスの両親が無事迎えに現れて。

 何度も何度もありがとうございますと頭を下げられるのを丁重に受けた後、「るーちぇ、ばいばーい!」と去っていく親子を見送った。


 そうして見送る私に、突然カイナス様がぴたりとくっついてきて、手を握ってくるので。


「どうしたんですか? カイ?」


 と私が尋ねると、


「……君といると、日々狭量になる自分に驚くだけだ」


 と少し不貞腐れながら答えた。


「あんなに小さな子供にまでやきもちを焼いていたら――、息子ができたらどうなるんだろうと、自分でも心配になる」


 と。

 真剣に、そんなことを口にするものだから。


 その言葉に思わず吹き出してしまった私は、そのままカイナス様に腕をのばしてぎゅっと抱きついて。


 ――私だって、日々カイナス様の素敵なところばかり見つけて、毎日心臓が持ちませんよ。


 と、耳元で囁いたのだった。





――――――――――――――――――

とりあえず、初めてのデート編はここで終わりです。

楽しんでいただけたら嬉しいです!

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