第22話 ルシェル、アルベルトの出席を知る
結婚式の打ち合わせは、カイナス様の執務室でする予定となっていた。
当日スケジュールの確認、招待客リストの集計、座席の調整……。
カイナス様と共に、たどり着いた執務室のドアを開けると、予定外の客人が先にこちらを待ち受けていた。
「おかえりー、というか、おかえりを言われるべきはこっちなんだけど」
「ノルン」
カイナス様にノルンと呼ばれた男性は、へらりと笑いながら片手を上げて返してくる。
「おっと。そちらのやたらに綺麗なお嬢さんが噂の皇妃様かな? いやー、噂通り……、というか、噂以上の美人さんじゃないか」
ノルンと呼ばれた男性が、立ち上がり私に向かって握手を求めようと手を差し出して来る。
が。
「気安く触るな」
私が握り返そうとしたところで、カイナス様がパシリとノルン様の差し出した手を弾き返してしまった。
「ええ? なんだよ、けっちいなぁ。男の嫉妬は見苦しいぞぉ」
「黙れ。無駄口を叩きに来たわけじゃないだろう」
「それはそうだけどさあ。新しい皇妃様にご挨拶くらいさせてよ」
ぶーぶー、と子供みたいにカイナス様に抗議したノルン様は、今度はこちらに向かって手を差し出して来ることはなく、自分の胸に右手を当て、うってかわって優雅に礼をして来る。
「初めまして、皇妃様。オルテニア帝国軍総帥、ノルン・クラウディスと申します。以後お見知り置きを」
「クラウディス様、丁重な挨拶をありがとうございます。遠方からの帰還、大変ご苦労様でした」
クラウディス様からの臣下の挨拶を受け、こちらも丁重に礼を返す。
「あれ、皇妃様は僕がどこから来たかもう知っているの?」
「ルシェルは既に、貴族名鑑と帝国軍の組織図を暗記しているからな」
クラウディス様からの問いに私が答える前に、カイナス様がサラリと答える。
確かにカイナス様の言うとおり、お会いすることこそ初めてだが、ノルン・クラウディスという名前は既に調べて聞き知っていた。
若くして帝国軍総帥という地位を得、帝国の領土拡大に大きく貢献した後、皇帝の命で北方の統治と掌握を任じられ帝都を離れていたのだ。
しかし、こんなことを言っては失礼になるとは思うのだけれど……、ノルン・クラウディスという人からは、帝国軍総帥という肩書きが不釣り合いなほどに、細身で物腰が柔らかい印象を強く感じた。
どちらかというと、まだカイナス様の方が体格や貫禄的にも軍人らしく見える。
「え? そうなの? じゃあさあ、ちょっと聞いてくれない? 酷いんだよこいつ! こいつってばさ、僕と北国の”ノルディーン”って名前が似てるからってだけで、僕に北国統治してこいって置き去りにしてったんだよ?」
「結果、適材適所だったからよかっただろう」
ノルン様の言葉に、またもさらりと返すカイナス様の言い分を受けて「ね? 酷いと思わない?」と私に同意を求めてきた。
「お二人は……、仲がよろしいんですね」
「え! どこが!? 腐れ縁だよ!? 単なる従兄弟だし」
「お前は、来るだけで本当に騒がしくなるな」
「ひどー! なあ、エドガー。お前もそこに突っ立ってないで助けろよ。僕たち、被害者同盟じゃないか」
「被害者であることは否定しないが、職務中に話しかけてくんな」
つまるところ、カイナス様の父方の従兄弟がノルン様、母方の従兄弟がエドガー様ということになる。
父方の従兄弟ということは、すなわちノルン様は前皇帝の甥、ということにもなる。
れっきとした皇家の血を引く人間なのであった。
「クラウディス様、よろしければお茶を用意しましょうか?」
「皇妃様……! はぁ、やっぱり、優しいのは女性だけだよ……。僕のことは気軽にノルンって呼んでくれていいから、皇妃様もこんな冷血野郎に愛想つかしたら、いつでも僕のところに相談に来て」
「そんなことは絶対にないから安心しろ」
ノルン様がすべてを言い終える前に、カイナス様が絶対零度の空気を放ちながらピシャリと遮る。
そうして、カイナス様はノルン様から匿うように私に近づき、そのまま私を軽く抱き寄せた。
なっ……!
ふわりと、カイナス様から漂ういい匂いが鼻先を掠めていく。
「カ、カイナス様……、皆様いらっしゃいますから……」
「なんだ? 嫌だったか?」
「い、嫌ではありませんが」
臆面もなく人前で触れて来るカイナス様に対して、気にしすぎるのは私が意識しすぎだからだろうか?
「……なあ。こいつ、いつの間にこんなキャラになったの?」
「知らん。俺が聞きたい」
わたわたする私とカイナス様を尻目に、ノルン様とエドガー様が冷静にツッコミを入れる。
「あーそういえば。言おうと思ったこと言うの忘れてた。あのさ、ここ来る途中にグリンゼラスの貴族っぽいのに会ったんだよ。なんか、やたらと感じの悪い若造だったけど」
ノルン様が思い出したように語り出した話によると、どうやら帝都に入る前の高級衣料品店でばったりと出くわしたらしい。
ノルン様が語るその人物の特徴は、聞けば聞くほどアルベルト様としか思えない内容だった。
ふと、嫌な予感が頭をよぎる。
「……結婚式の、招待客リストを見せてもらえますか」
そう言って、政務官が出してくれた招待状の返信の手紙と招待客リストを確認すると、確かにグリンゼラスからの出席者の名前はアルベルト様とスレーナ様になっていた。
――まさか、あの二人を出してくるとは――。
招待客リストの確認は、今日行う予定にしていた。
式当日の外交のためにもあらかじめ事前に確認が必要なことはわかってはいたが、あまりにも急ピッチでの式の準備に追われていたため、出席者の整理は招待状の返事が出揃ってからまとめてやろうとカイナス様と決めていたのだ。
「えっ!? 元婚約者と寝取り女!? よくそんなの送ってよこすね」
「おい……!」
驚いて声を出すノルン様を、エドガー様が嗜める。
「ルシェル」
――大丈夫か? と。
招待客を確認し、しばし呆然としていた私に、カイナス様が心配し呼びかけて来る。
「……大丈夫です」
――まさか、アルベルト様を出席させて来るとは思っていなかったけれど。
それよりも悲しいのは、あまりいい思い出を持てなかった母国に、母国を出た後も落胆を覚えさせられてしまうことだ。
いい思い出が少なくとも、母国は母国。
こうした出来事の積み重ねで、母国に対して抱いていた愛着が、少しずつ削られていくのが悲しかった。
それとも――。
マイナスの感情を抱いてしまうのは私の主観が強すぎるからで、アルベルト様はちゃんと、私を祝福しようと思って来てくれようとしているのだろうか?
そうであったら、私は少しはもう少し前向きに母国と向き合うことができるだろうか?
生まれ育った国を、最初から嫌いになりたい人なんていない。
いろんな因果の巡り合わせで、私はいい思い出を持てずに今に至っているけれど。
今となってはお陰で、カイナス様と出会えて、今の自分になれて、良かったとも思っている。
そうだ。
私にはもう、カイナス様がいるのだ。
隣に寄り添ってくれる男性を仰ぎ見、そうだ、と再び勇気を得る。
そう、――大丈夫。
ただ一人、この人の存在があるだけで、私はまた、強く立つことができる。
「カイナス様」
「なんだ?」
確信を持って、言葉を紡ぐ。
「私はもう、大丈夫です」
そう言って、カイナス様に向かって微笑んだ自分の笑顔に、一点の曇りもないことを。
他ならぬ私自身が、一番わかっていた。
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