番外編3 初めてのデート1

「カイナス様。いいですか? 今日の私は『ルーシェ』で、カイナス様は『カイ』です」

「わかった」


 とある日の昼前のこと。

 私たちがなぜ、こんなやり取りをしているかと言うと。


 珍しく。

 ほんっとうに珍しく。

 まる一日オフの日をもらったからだ。


 ――しかも、カイナス様と私、二人揃って!


「じゃあカイナス様、練習です。私のこと、呼んでみてください」

「……ルーシェ」

「はい」

「ルーシェ」

「はい」

「可愛い」

「は……、はい……」


 不意打ちで『可愛い』と言われて、思わず動揺する。


 そして、私たちがいま、何をしているかと言うと。

 せっかくもらった休みの日に、こっそりおしのびで街に出かけることにしたため、その準備をしているのだ。


 もちろん、見えないように護衛はつけてもらうが、あくまでも皇帝と皇妃として街に降りるのではなく、一般市民をよそおい街に出る。


 カイナス様は『カイ』。私は『ルーシェ』として。

 それで先ほどから、いつものドレスではなく軽装をしている私を、カイナス様がじいっと見ては「これはこれでクセになる可愛さだな……」と言っているのだ。


 そう。

 懐かしの、ちょっと地味めな、良家のお嬢様風ファッションだ。

 とはいっても、前ほどガチガチに地味にはしていないが。


「俺だけじゃなく、ルーシェも練習が必要なんじゃないか?」


 対するカイナス様は、中流階級の市民っぽい服を着ている。

 とはいえ、これはこれでなかなかに難しくて。

 だって、無理だったのだ。

 カイナス様の体躯と美貌で、普通の街男? みたいな感じに、どうしてもならなくて。

 なんかどこかから溢れちゃうんですよね!

 只者じゃなさが!


「……カイ様」

「ああ」


 試しに偽名を呼んでみた私に、カイナス様が静かな微笑みを浮かべながら応える。

 念のために、もう一回。


「カイ様」

「……様、は。無い方がいいんじゃないか?」

「えっ」

「だって、売れない小説家とその彼女という設定だろう?」


 様をつけるのはおかしいんじゃないか――? と。


 うっ。

 確かに。


 ただの一般市民をよそおうのであれば、カイナス様の言う通り、気安い感じのふたりの間柄を演出できた方がいい、だろう。


 でもなんというか……!

 いままで、呼び捨てするということに慣れていないので、なんだか妙に緊張する……!

 そう思いながら。私は再び、引き結んだ口を、ゆっくりと開く。


「カ、カイ……」

「ああ」


 瞬間、かあっ、と頬に熱が溜まるのが自分でわかる。

 「カイ」と呼び捨てにされたカイナス様が、ほんのりと嬉しそうな表情を私に見せたからだ。

 ううっ、どんな格好をしていてもかっこいいとか、ずるすぎる……!


 ふと見せるカイナス様の微笑みに、胸をズキュンと撃ち抜かれる私に。


「こうやって可愛い反応が見られるなら、あまり急いで慣れなくてもいいかもな」とカイナス様が言うので。


 なんとなく悔しい気持ちになった私は意趣返しとばかりに、贅肉の全くないカイナス様の腰の横の辺りを、ぐっと握ったのだった。



 ◇



 そうして街に出て。


「それで、今日はどこに行きたいんだ?」

「今日は、エルマ・テラーの書籍の売上動向チェック兼市場調査です」


 書店を周り、いったいどんな子たちがエルマ・テラーの書籍を手に取るのか。

 今現在、どんな書籍が流行っているのかを、書店を回って調査するのだ。


「それは……、休日と、言えるのか……?」


 カイナス様が疑問符を浮かべるが、私としては普段できないことができるという時点で休日だ。

 しかも、直接カイナス様と街で様子を見れるまたとない機会!

 

 私は、やる気に満ち溢れていた。


「……今日はデートだと思ってきたのだが」

「デートは、デートです。市場調査という名目も兼ねた」


 今日のお出掛けがデートであるという認識はもちろんある。

 だってもともと今日は、カイナス様に「デートがしたい」と言われてもうけた場なのだ。

 ただ、「ルシェルはどんなデートがしたい?」と言われた時に、思いついたのが今回の書店巡りだったというだっただけで。


「書店の場所はわかりますが、お茶をするところとか食事ができるところは全然なので、そこはカイナ……、カイにお願いしてもいいですか?」


 と、そう言って。


「もちろんだ」

 

 と、差し出された手を取り、私たちは街に繰り出したのだった。

 

 

 ◇



「見てください! 今、あそこの男の子が本を持っていきましたよ……!」

「ああ」

 

 カイナス様と並んで本棚に立ち、あたかも本を見繕っているような体裁を保ちながら、私たちはカイナス様の――、エルマ・テラーの本を手に取る購読者の様子を盗み見ていた。


 ちなみに先日。

 私がカイナス様と共同制作をした最初の小説が発売されたばかりで。


 そう、あの時カイナス様が「私の望む物語を書く」と約束してくれた本。


 あれが発売されたことで、いったいどんな人が手を取ってくれるのか、どんな反応を見せてくれるのかが気になりすぎての今日だったこともあり。


 【エルマ・テラーの新作】と目立つように置かれた本の棚の近くで、私はカイナス様にぴったりとくっつきながら、店内の様子を盗み見ていたのだった。


「男の子も読んでくれているんですね……。こうやって、実際に手に取っていかれるのをみると、なんだか感慨深いです」

「もともと、俺の小説は冒険ものだから、男児の方が読者が多いらしいしな」

「あっ、今度は女の子が……!」


 目線の先で、母親を引っ張ってきた少女が、本をねだる様子が見てとれる。


「ああやって、カイ……の本を買ってくれる子供たちのためにも、もっと仕事を頑張らないと……」

「最近のルーシェの働きぶりを見ていると、もうすこし休んだ方がいいんじゃないかと思うが」


 そう言いながら、カイナス様が私を責めるようにくっつく私をぐいぐいと押し返してくる。


「あっ、お、重い、重いです……!」


 本棚の前で、横から押してくるカイナス様に負けないように、こちらも負けじと押し返す。

 そうやって、押し合いをしているとなんだか、普通のデートをしているみたいでちょっと楽しかった。


 だんだんとこっちも楽しくなって、少しムキになって押し合いをしていたら、書店の店主に「おほん!」と咳払いをされ、ふたりで苦笑しながら書店を出た。

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