エクソシズムインセンス

北木事 鳴夜見 

エピソード1

 ロシナへは行ってはいけない場所であるという教えや聖書の警告はなかったはずだった。元からそういったものは信じない主義であるのだが。霊ではなく人と交戦するとは思わなかった。

 蛮族との交戦を除けば、現在地ヨーロン地方の気候とは違い雪が降る時期が早く訪れるということだけが。その一点だけが対策の仕様がなかったわけだからロシナへの渡航はまたいつか挑戦するとしよう。      

 ヨーロン地方は過去に見た地図で見る限りロシナの大陸から木の根を下ろすように南に位置している。西の離島は人が住んでいないとは聞いているが目的もなく見知らぬ海賊の船になどのって旅をする意味がないことは直感でわかる。動物の霊は人里を離れている場所では巨大な場合がある。海は魔界だ。

 海の財宝を漁る自殺願望者など見て見ぬふりをしておけば良い。ロシナには良質なウィスク酒と変わった香水があると聞いていた。ソレがあれば生まれ故郷の問題を解決できるかも知れないと思ったのだが(少し巨大な霊になら効果があるはずだ)

 しかしだ、連携の取れた山間の民の弓から放たれる矢が降り注ぐ中、木の陰に隠れ普段は開けることのない鉄製の銃弾ケースを開けるとは思わなかった。銀弾を温存するために用意しておいてよかった。十発だけ使った後走って逃げたのだが焦ってこぼれた弾はまだリュックの底でジャラジャラと音を立てている。(半分以上は地面に落ちた)

 シェノーキン山の麓と打って変わってヨーロン地方国境沿いの草原は暖かい。放牧された家畜とそれを率いる牧者が穏やかに営みを送っている。俺は元来た道を戻ってきているだけではあるのだが全く別の世界に見える。ミルクかビールを誰かに譲ってほしいのだが先は長い。体感、もう少し歩いても野垂れ死ぬことはなさそうだ。すぐ先の南に見えるポールド城を囲む巨大な城下町では煙突の煙が立ち昇っている。 

 あの場所まで行けば確実に金を借りて胃袋を満たすことができる。だがすでにあの街での用事は済んでいる。

 大抵一度暴れた街には戻らない主義ではあるが今回は少し勝手が違う。(いや、いつもそうなのかもしれない)金を借りた酒屋と女、その二人の顔を俺はもう覚えていないので街中は危険だ。加えて金貸し5人ほどに取立て人を雇われているので待ち伏せられている筈なので街の入り口で交戦する可能性が非常に高いから更に危険だ。対人間用の備えはリュックの底に数回分あるだけだ。

 返す予定のない借金がある以上よほどのことがない限りあの場所には戻ることはないだろう。(少なくとも街中には)

 最も近いのはベルリ地方なのだが俺はそこで生まれ育ったので否、帰るあてはない。あの場所には除霊が難しい化け物が幾つかいる。戦争の影響で人が住むことが難しくなってしまったのだ。とにかく人が根付く場所で休みながらさらに南に位置する大国ルーニア国境あたりまで歩く必要がある。

 日頃の行いが悪いせいで馬も蒸気板も使うことが出来ない。馬はなんとかなるかも知れないなとも思うが期待するだけ損をするのがヨーロン大陸の道理だ。馬を飼っている人種は問題を抱えていることが多い。霊払いの代金が馬になった場合金にならないことが多い。

 蒸気板は貴重な石油を5ガロン(2万ドル)買い付ければ一つの国なら縦断できる。宙を浮くボードは蒸気で少しだけ地面から浮かせるだけで石ころや木の根の高さをライトについたセンサーで感知して避ける事ができる。これまでに三回使って全部潰したのだが盗みはしない主義なので当分は手に入れることは出来ない。それに今の持ち金では買えそうにない。蒸気板は後部のエンジンが少し邪魔くさいのだが休憩の出来る小さな座席と物によっては手すりが片方についている。あの快適さを伴った長旅は他に類を見ない幸福を得る事ができる。大抵盗まれるか。雷雨の影響で故障してしまうのだが。

 最も呪いだとか悪霊に悩まされている金持ちの頼みを聞けばどうということはないのだが。ポールドでは数人の悩みを解決済みである。依頼人は金持ちだけだ。これによってポールド城下町には霊に悩まされる人間はもういない事になる。

 旅の支度を済ませるために10万ドル使ったのだが借りた金のことは忘れた事にしてロシナに向かった。(戻るつもりがなかった)失敗した経験は何度も思い出すものだ。まさかクマの毛皮を被った原住民が待ち受けているとは思いもしなかった。

 あの蛮族は蒸気なしで暮らしているせいか派手な装飾をつけた獣に近い様子だった。結果山を越えることはできなかった。地図上とは違い雪で覆われていたシュノーキン山で俺は厚着をしなくても生きることができる体温が高いだけの凡夫だった。

 生きることに不自由はしないのだが俺の仕事は凍てつく寒さとは相性が悪い。

 背中に背負っているリュックは右肩から腰にかけて鉢棒ほど石油のボトルがついている。それはチューブを介して腰の武器に繋がっている。除霊用の香水瓶と蒸発した香水を纏わせるために中が空洞になったレイビア。オイルボトルからチューブを通して持ち手から熱源を送り込み香水を焚き上げて清めた剣で霊体を天上に送る剣だ。そして左のガンホルダー。貴重な水銀を沸騰させて冷める前に打ち込む銀銃を使うのだが。液体を高速で打ち込む使用上、凍ってしまうと使えない。銀銃が命中した霊体はこの世から消える。師が言うには現実に存在する視覚や体感を伴う物質や粒子が消えるとのことだ。正しい成仏ではないが自分の命を守るためには使用せざる負えないから使用頻度は高い。

 熱源はグローブに力を込めた時に発する温度が五十度に達すればレイピアと銀銃の補助装置が残りの五十度を補ってくれる。というのも霊が見える人間ほど体温が高く。応じて霊が近くにいれば体温が上昇する。昼間は平熱四十度で夜間は場所によっては六十度を越える。水を飲まずにいても問題はないが香水と水銀、石油の代金に加えて仕事終わりは酒をがぶ飲みする衝動に駆られる。職業病ってやつだ。

 時に俗世では俺のような特異体質のエクソシストのことを「最も燃費が悪い霊払い士」通称「ヴェイプフェンサー」と呼ぶ。大抵の場合、依頼人もそう呼ぶのだが俺は仕事の時もそうでない時も安い葉タバコに素手で熱を加える。その辺の堕落した貴族が液体を吸引するために使う瓶フラスコ型の水タバコ「ヴェイプ」と同じ呼び方をされるのは少しだけ不快に感じる。

 霊の挙動は勘で追うしかない。それを喫煙の冴えで補助していると言うわけだ。

 正しく言うと俺の職は「エクソシズムインセンス」というカテゴリーに分類される。正統な殉教者は銀弾のみを使う霊の殺し屋だからそちらは銀銃さえあれば誰にでも出来る。

 内ポケットにあるタバコの残りは二十六本。石油の残量と水銀の量。香水はあと二回の霊との交戦ができる程度と推測をしている。中身を確認するのは夕方で良い。

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