エピソード28

 死臭が漂う骨董屋「セカンドハンド・ナウ」には人の気配がない。二階には埃を被ったガラクタが無造作に並んでいるだけでそこには何もないように見えた。ここにいた数人がセリエールの霊体「スレンダー」の降霊を行い、それに関する証拠隠滅を図った。ガラクタをどければ何かが出てくる可能性がある。だがその時間はなさそうだ。

 ヴェール香の入ったカートリッジを取り出した。カートリッジの先端の押し込み金具を強い力で押してから指先に熱を加えた。蒸発したヴェール香がガラクタの山に絡みついた死臭と混ざった。

「おお、それが葬送香か!指で直接触って熱を加えるだけでも使えるのかね」

「これはヴェール香でございますアデル様。ヴェール香は霊が触った者の残穢が見えることがあります」

「目に見えない痕跡を探ることが出来るのか。素晴らしいな」

 目の前で楽しそうにしているアデルぼっちゃまは笑うこと以外は泣くことも怒ることもないらしい。自閉的な感覚を持つことなく好奇心や探究心をもつことで自分の心を維持している十歳の王子。そう思うと内心は複雑だった。

「褒めていただき光栄です。王子。もしよかったら周りに怪しい陣などがないか調べていただけますか」

「お安いご用だ。学ぶことだけが僕の取り柄だからな。それにしても臭いなこの店は!」

 店の中は東南アジアの仏像やタイプライター。オイルヒーターや扇風機。軍人のブリキのおもちゃなどがあった。おそらくではあるが長いこと営業はしていていないようだ。壁に沿って棚が設置されていて同じようなものが並べられている。窓がわにはソファーが一つと事務作業用の机があった。どれにもスレンダーの引っ掻き傷などや霊紋はなかった。

「アンデルセン団長。ここにある大きなヒーターを動かすのを手伝ってもらえないだろうか」

「ダメだ。もう時間がない。この店は臭すぎる。これ以上アデル様をこんな場所に滞在させるわけにはいかない。貴様は霊体をどのようにして発霊させたかを調べているのだろう。それはこれからエクソシストと戦って勝ち、奴らを締め上げて聞けばいいではないか」

 この老獪は俺を新米の兵士か何かと勘違いしているのではないか。エクソシストは野盗や山賊とは全く違う。何人もと戦うことは難しい。指についていたヴェール香が消えかけている。ここが潮時かもしれない。

「ハハハ、見てみろ。おい、ヴェイプフェンサー。天井だ、貴様が指で蒸発させたヴェール香の影響で何かが浮かんでいるぞ」

「何かが見えたというのですか。流石ですアデル様」

 アデルぼっちゃまはどうやら霊の痕跡が見えるようだ。この子はルミナール・ロバートに何かされたのだろうか。エクソシストについて学んでいるようでもあるし、素質があるタイプであることは間違いないだろう。アンデルセンは眉間に皺を寄せて天井を凝視している。

「何も見えない。いや天井に大きな楔の跡があるようだな。天井の穴の位置を見るに丁度人間が一人貼り付けられていたようにも見える。血の跡はないようだが」

「天井に貼り付けたセリエールの遺体に何かをしたのか」

 天井にはびっしりと血管のような模様が浮かんでいる。霊が大きな蜘蛛のように天井を張った形跡が見えた。スレンダーの腕と足の長さは救うことのできなかった我が子を欲することで現れた姿かとばかり思っていたがそれは違うのかもしれない。人為的に生前の悔恨を生み出すことが出来るのであれば。セリエールやモナの証言の一部は作られた記憶なのかもしれない。

「痕跡は通常の霊とは変わらないな。ここには何もなさそうだな。この場所から出ることにしよう」

「地下の世界など見たことがないがこの服装で問題ないのか。ツナギというものはどうもなれないな」

「爺や、この服は動きやすくて仕方がないぞ!ジーンズにグリーンのトレーナー。それにブラウンのジャケット。まるでアメロスタのカウボーイのようだ!」

 王族の二人は今までの暮らしではあり得ない見窄らしい格好をしていた。

「アンデルセン団長はこれからアンデ爺さんと呼ぶ。アデル様はエイディンと呼ぶ」

「アンデ爺や!僕のことをこれからはエイディンと呼ぶのだぞ!わかったかい」

 賑やかにはしゃぐ子供に対してアンデルセンは不本意と不満の入り混じった怒り顔でヴェイプフェンサーを睨みつけた。

「私はともかく王子は未来永劫このままではないだろうな、ダージリン・ニルギル」

 その先の言葉を飲み込んだ歯を食いしばってからアンデルセンは天井を見上げた。

「もちろん、ところでアンデ爺さんはレジスタンスの連中をどこまで信頼しているのだ」

 遠い先を思い浮かべていた様子のアンデルセンは急に我にかえったようだ。

「奴らの原動力はどちらかといえばこの国を変えることよりもルミナール・ロバートへの復讐の方が先に見えた。それが何かあるのか?」

「レジスタンスの密偵が王城に潜り込めるならあちらも同じことをしているはずだ。彼らには悪いが俺たちは地下にはいかない」

「それで、どこに隠れるっていうんだ?地下のレジスタンスにも警官にも力を借りることができないのだぞ。表通りを歩くわけにもいかないだろう」

「おそらく地下へと続く入り口は見張られているだろう。俺たちは今からポールド墓地を目指す。まずはこの街を出る。外の方に進めば奴らに発見される可能性は低い」

「ほう、街を出るのか!外の世界を見るのは久しぶりだな、アンデ爺や」

「アデ…エイディン。いずれあなたがいるべき場所に戻るということを決して忘れずに」

「そうだな。まだ死にたくはないな!先の時代どころか僕は世界を見てみたい」

「そうこなくては、ポールドの王に相応しいのはあなたです」

「うむ。お前の気持ちはよくわかっているぞ」

「エクソシスト達は街の中を巡回しているから城門方面なら遭遇しない可能性が高いな。王城から遠い地域を捜索するまでには時間があるかもな。確率論で言えば地下街を移動することの次に有効な手段といえる。じゃあ俺たちは堂々と街を歩くということになるが。エクソシスト達以外にも監視者がいたらどうするつもりだ」

「牛飼の農夫が知り合いにいる。すでに連絡は済んでいる。俺たちはこれから街の警報を聞いていなかった世間知らずなチーズ売りのふりをする。今からストーナー・クレセント嬢が地下から大きなチーズ袋を持ってくる。その袋を担いで街の外を目指す。外に出たら牛飼の蒸気車に乗って生肉工場に行くふりをしてポールド墓地を目指す。現場検証は終わりだ。エイディン少し歩くぞ。頑張ろう。アンデ爺さんも元々は騎士だったのだろう、おっと退役軍人だったな。俺が考えた設定は覚えなくていいぞ。いざという時のための保険だ。俺のリュックはチーズ袋の布でカモフラージュする。アンデ爺さんは腰を曲げて歩く。エイディンは子供らしくスキップをして歩け」

「スキップとはなんだ、ニル」

「そうだな、今から覚えている暇はない。楽しそうにはしゃいでいる子供のような歩き方で良い」

「それはよくわからぬ。今暮らしている場所では僕以外の子供をあまり見ないのでな」

「なら腰を曲げた爺やの背負うチーズ袋を支えてやれ」

「わかった。お安いご用だ」

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