エピソード29 ポールド王国広場

 閑散としているどころか人一人歩いていないポールド城下町の裏通りを真っ直ぐと歩くこと三十分が過ぎた。変わり映えのしない褐色のレンガと灰色のコンクリートの壁に挟まれた通りが延々と続いている。反乱因子のポスターどころか商店の宣伝、落書きすらないことが返って寂しさを催す。この国は悪い意味で落ち着いた雰囲気だ。なれることはできそうにない。路地の終わりは二百メートルほど先に見えていた。

 アンデルセンとアデル王子は何も言葉を交わすことなく黙々と歩き続けていた。腰を曲げてはいるもののアンデルセンは息を荒げていない。そして老人の背中を支えるアデル王子の姿には独特のオーラと気品が漂っていて一般人とは思えない雰囲気を醸し出していた。逃亡のために用意した変装の出来はイマイチだ。エクソシストと遭遇した場合は王子が雇ったヴェイプフェンサーとして交戦することになるだろう。そんな予感がしていた。そして同じようにチーズの袋を背中に背負ったもう一人の女がそこにはいた。

「クレセント、なぜついてきた。エクソシストと交戦した場合王子の命を最優先にするから君のことは守ることはできないぞ」

「王子のテロ事件のことを聞いた時にピンときたの。アンタがなんかやったんじゃないかってね。兄がネイマール・クライシスに勝った時の賞金は過去最高だったの。お金にこだわるわけじゃないのだけど。この仕事の報酬はしっかりもらうつもりよ」

 勘違いとギャンブラー特有の勝負事への執着が入り混じる返答は意味がわからなかった。

「まずテロを起こしたのは俺じゃない、それに君が王子の逃走作戦に同行する必要はない。事態が急を要していたから断ることができなかっただけだぞ」

 フード付きのロングコートを着てチーズ袋をからったクレセント嬢は引き締まった痩身でスタイルが良すぎる。コートから伸びる長い足の女が袋をからっている姿を見てため息をついた。こちらもまるでチーズ売りには見えない。

「そんなことはわかっているわ。アンタはテロリストの魔の手からアデル王子を守ったのでしょ。それに墓場の事務所で待機している私の兄は戦力になるわ。私たち家族は昔からこの国の王に仕えているエクソシストが嫌いだったのよ。それに楽しそうじゃない。強敵を倒して目標を失った感じがしたの。兄はネイマールに買ったのよ、これは何かの吉兆よ!チャンス到来。さらに強い敵がいた方が面白いでしょう」

 鉄人クレセントが今、ノリにノっているのは確かだ。だがエクソシストに襲われたらひとたまりもないだろう。奴らの人間細胞は格が違う。

「筋が通った話のように思えるが更に意味がわからない。戦うためにこの作戦に参加したのか?今俺たちが刃向かっているのは王族だ。地下の闘技場でプレイヤーを続けていけなくなるかもしれないぞ」

「王子側が勝てば何もかも大逆転でしょ。そしたらこの先の人生で金には困らない。そんなこともわからないの?」

「金のためなのか強い人間と戦いたいのかどちらかにしたらどうだ」

「どちらもよ。面白い方に賭ける。アンタは今何に賭けているの?」

 故郷の霊の問題を解決するという理由だけでは生き残れないかもしれない。だからレジスタンスに嘘をついてチーズ売りのフリをして現在の状況を打開しようとしている。この返答は無粋なのかもしれない。賭け事とは違うが賽を振ったからには後戻りはできない。

「アデルがこの国の王になれば面倒毎は全て解決するのは確かだ。それに賭けるさ。そうでなければ俺は旅を続ける事なく処刑されてしまうだろう。まだ見た事はないがルミナール・ロバート司祭は冷酷無慈悲だ。一方で王子を見ろ、真面目にチーズ売りを演じているじゃないか。あの子が王に相応しいなどと言えた立場ではないが。王子を守ることは俺の身を守ることは同意だ。何かに賭けたというよりは引くに引けない状況だったというだけなのかもな」

「引くに引けない‥ね。そんなことじゃ負けるわよ。作戦があるんでしょう。ただ墓場の事務所に逃げるだけじゃないはず」

「勘が鋭いじゃないか。その事は後で話す」

 アンデルセンが咳払いをした。そして振り返らずにしゃがれた声で叫んだ。

「聞こえているぞ、ニル。今の貴様は王子が雇ったエクソシストだ。王子が死んだらお前も死ぬ。引くに引けないだと?生意気な口を聞くな。良いではないか、王子が狙われる前にそこにいる格闘家の妹が戦ってくれるのであれば時間が稼げるかもしれない。貴様はアデル様に見窄らしい格好をさせてチーズ運びをさせたのだぞ。必ずルミナール・ロバートを殺せ。この国を出て故郷の問題を解決するのは後回しにしろ」

「年寄りの騎士はうるさいわね」

「わかっているさ。だが俺は体温が高いから頭を冷やさないとやっていられないのだよ。エクソシストとは無闇に戦わない方が良い。エクソシスト達が国を動かすことができなくなれば王もきっと目が覚めるさ」

「そろそろ中央広場の城門が近いわ。どうする身を隠すような場所はないわよ。城門近くには住居があるけどそこまでは二百メートルほどの距離がある」

「そのまま通りすぎる。城門の警備員はアンデ爺さんが殴り飛ばしてくれ。街を巡回しているエクソシストは七人しかいない。運悪く出会したとしても一人しかいないはずだ」

 延々と続いていた裏通りの通路の出口に辿り着いた。全員が建物の前で止まる。先陣を切ったヴェイプフェンサーが広場を伺う。王と王子が祝杯を交わすはずだったポールド広場の石畳は曇天の陽射しをいっぱいに反射させて白んでいる。

「いいか、エクソシストの姿が見えたら俺に伝えろ。交戦した場合は真っ直ぐと城門の入り口をめざせ。決して振り返るなよ。エイディン後少し頑張ろう」

 コクリと頷いたアデル王子に笑顔はなかった。

 全員が足を止めて噴水を有する広場を伺った。アンデルセンが建物の上部を伺っている。

「どうやらまだ誰もきていないようだな。広場を突っ切るぞ。エイディン、ワシの背中に乗ってくれ」

 四人は暗い影に覆われた世界から陽だまりに満ちた広場に飛び出た。チーズの袋を持ったアンデルセンは両手にチーズの袋を持ちアデル王子を背中に乗せた。

 静まり返った広場に低い声がこだました。

「やあ、君たち。見たところチーズを抱えているようだな。少し話を聞かせてくれないか」

「一人いたか。何処にいる。エイディン、アンデ振り返るなよ」

 前方を歩く三人の足取りが早くなった。その調子で城下町の外に突っ走れ。声がする方向は今出てきた裏通りのある建物の屋上だ。

「アンデルセンとアデル王子。ご存命だったのですか心配していたのですよ!誰ともわからぬ連中と何処に行こうとしているのですか?」

 チーズの袋を下ろしてリュックに貼り付けていたカバーを外した。広場に面している建物の屋上。声がする方を振り返ると黒いローブを着た長身の男が剣のような十字架を持って佇んでいた。曇り空を背にしたエクソシストはまだ若いようだ。真上に登った太陽が雲の切れ間から日差しを通した。

「ふん、この国のものではないな。だからと言って容赦はしない。だがまずはロバート様に前に連絡を入れるとしよう。なんだあのリュックに繋がったレイピアとリボルバーは。見窄らしい傭兵だな」

 ローブの内に手を入れたエクソシストは無線機を取り出した。その瞬間を見逃さずにガンベルトから銃を抜いて即座に撃鉄を起こし発砲した。かなりの距離はあったが銃弾は無線機に命中した。銃弾はエクソシストの鎖帷子を歪ませて止まった。

 胸を押さえてゴホゴホと咳き込んだエクソシストが叫び声を上げた。冷静さの中に邪悪さが入り混じった声は厳粛なキリシテの信者とは程遠いものだった。

「おい、なんだよ!やけに射撃が上手いな。クソッタレが。傭兵風情が。特殊部隊にでもいたか、あるいは軍人だな?どれ、相手をしてやろう」

 エクソシストは屋上から石畳へと飛び降りた。そして長い足と片腕の力だけで着地した。青白い肌に緑色の目をした男は鼻筋の通ったゴブリンのような顔立ちだった。

「貴様の名はなんという、レイピアに銀銃。ああ、エクソシズムインセンス。へえ。ヴェイプフェンサーかよ、一般人ではないのか。ふん、厄介だな」

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