エピソード40 

 ルミナール・ロバートがボグトゥナの発霊の計画をスタートさせたのが十二年前だ。推測の域を出ないがこの時期を境にして不特定多数の世界のリーダーが同時期にボグトゥナの発霊を試していたのではないだろうか。ヒステラー将軍が自らを依代にすることでボグトゥナを初めて完成させたのであれば、それは成功であるとともに失敗だったのかもしれない。


 1958年7月12日

「ゴホッ。クソ。タバコの吸い過ぎだな」

 周辺を漂う霧を吸い込んで蒸せないようにガスマスクのバルブを調整する。口元だけを覆うマスクは黒を基調としていて、金のあしらいがある高級感のあるデザインだが毒ガス対策などはされていない。毒ガスに対して身を守るために必要な目への防護ができていないのだ。七月に到来した雨季の対策として師匠から渡されたマスクは口元の開閉板を外すことで喫煙をすることができる。だが今はその時ではない。

 師匠ヴィクターローズ曰く「エクソシズムインセンスは面倒な体質だからな。タバコを吸うことは許可してやろう。このマスクはオーダメイドだが使い捨てなのだよ。くれぐれも愛着などを持つなよ。お前が大事にするのは銀銃とレイピアのみで良い」とのことだった。

 最後に付け加えた武器を大切にしろという言葉。その意味はまるで理解できなかったことを思い出していた。左目だけにつけるゴーグルを外して周囲の気配を伺った。あいつは空を飛ぶことができる。

 暗いベルリの市街地の街灯の灯りはまばらだった。道路を挟んだ市街地の建物の隙間から顔を出す。それと同時に銀銃の残弾を確認した。

「リロードのタイミングは今だな」

 マスクの影響でこもった声は降り頻る雨と霧に混じりこもっている。

 立ちこめる霧はグリーンの軍服に張り付いて水滴を滴らせていた。砲弾や銃撃で穴だらけになった建物の壁についた水滴はゆっくりとしたスピードで流れる滝のようになっている。赤色の壁もグレーの壁も霧のせいで水紋様を描いている。見知らぬ田舎の爺さんが語っていた洞窟の奥深くにある鍾乳洞はきっとこんな場所なのだろう。

 サイレンの音がすると同時に上空を見上げる。「悪戯なガーゴイル」が運よく北と南のサーチライトに照らされることを期待していたが何も見えない。立ちこめる闇の中にある蒸気が埃のように浮かび上がるだけだった。

 南ベルリと北ベルリを遮る壁が近い。「悪戯なガーゴイル」を追跡すること二時間が過ぎていた。深夜二時を過ぎる、この時間は霊体と遭遇することに加えて北ベルリの奇襲である砲撃の危険性があった。霊体となった悪戯なガーゴイルは元は軍人ではなく一般人だった。

 家族を失った男はスーツの仕立て屋だった。名は「トーマス・ミュラー」

 調査をして分かったことは少ない。彼が自らと二人の家族を失った理由は戦争ではなく隣人の嫌がらせが原因だった。同じ街に住む同じ故郷で育った隣人たちはトーマス・ミュラー一家殺害の動機をこう語っていた。

「軍人の服を作っているだけでなんであいつらは綺麗な店と家を持っているんだ?トーマスの野郎は昔から性格が悪くてさ。ぼっちゃまのくせによく街の壁に落書きをしたり物を盗んだりしてさ。逃げ足も早いしケンカも強いときたもんだ。ふと思い立った俺たちはアイツの店にイタズラしようと思ったんだけどよ。アイツがあれほどブチギレるとは思わなかったんだよ。何人かがぶっ倒れちまったもんだから倒れたアイツをつい…みんなで踏み潰してしまったんだ。ヒートアップしちまった。みんな戦争でぶっ壊れちまってた」

 トーマス・ミュラーは死の一週間後、発霊した。襲撃事件に関わった人間が次々と殺害されたことにより霊害が認定されダージリン・ニルギルは霊払いの任務を与えられた。

 深夜担当のエクソシストが追加で行った調査によると。霊害の被害者は皆、噛みつかれたような裂傷が首元にあり頭頂部が埋没していたとのことだった。霊害の被害者の遺体を確認した俺はターゲットは空を飛べる変異型怨念霊なのかもしれないと推測した。任務の指令を受けた当日、数時間前にアレクサンダー広場周辺で空中を浮遊する人型のコウモリの影を発見して追跡を行った。

「タバコでも吸うか。コウモリは超音波を発するのだったな。俺の聴力は普通だからな。師匠は二日前から連絡がない。平和条約調停がどうのと言っていたが、そんな情報は軍のキャンプでも聞いたことがないぞ。一体何をしているのだろうな」

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