エピソード25

 朝靄がポールドの街を覆っている。十字の細い路地に漂う冷たい空気と排水口から立ち昇る蒸気。その煙の中にラッキーアメロスタの紫煙が混ざった。空を見上げると灰色の雲が重く立ち込めている。鮮やかな緑色の排水口はよく使われている形跡があった。ポールド東の裏通りに人の気配はなく幾つもある窓から路地を伺うものはいなかった。ゴミ置き場のボックスは五メートル間隔で路地に置かれている。しっかりと閉められた蓋の影響もあって生臭い匂いはしなかった。地下街の空調と生活排水用の管のルートは別のようだ。ここは洗剤の匂いすらしない。地下に暮らす人間達が迷惑にならないようにこの国の城下町は建設されているのかもしれない。閉塞的な国とは思えない先進的な設計の街に聳え立つ王城には禁忌を犯したエクソシストとその飼い犬の王が住んでいるということになる。

 待ち合わせの時間までまだ二十分ほどある。タバコを路地に投げ捨ててから踏み潰す。コートの胸ポケットに入れた小型蓄音機「ゴールドメモリー」を取り出した。

「調査報告を記録するべきだろうか。正直ラジオの電波があったとしてもこの国のエクソシスト達を告発するのは難しいだろうな。バチカンのあるイタリアノのローマンから強者のエクソシストが来るまでに三日はかかる。アデルの子守りをする騎士に勝機があるなどというべきではなかった」

 早朝にホテルを出る際にロビーにアンデルセンはいなかった。どうせアデルぼっちゃまを守るためには眠ることなどできないだろう。今朝の新聞はまだみていない。国の長を飼い慣らしているエクソシストはアンデルセンを叩きのめすほどの力を持っているらしい。一対一では勝てないと老兵が言っていたがあの老兵の持つ覇気は凄まじかった。ゴールドメモリーの電源を入れる。カロリーが足りていないせいか。頭の回転が悪い。話をまとめることなく無造作に音声を収録するしかない。

「ラジオの放送では王子の生存している確率は低いと報じられていた。パレードを中断されてしまったハルベルク・シュベルト王は今日の朝からエクソシスト達が街をパトロールすると言っていたらしい。怒りに震えた王が王子の救出のために民間のメディアを利用したというのは表向きで実際は王子の死亡を確認するための勅令なのだろう。民衆がいつものように生活していないことには理由があるはずだ。十年前にこの国で首が腫れる感染症が流行した。それを解決したのは禁忌を犯したエクソシスト達だった。国の平和を脅かすほどのテロや感染症が起きた時、民衆達は家に身を隠し、ほとぼりが冷めることを待つのだろう。感染症は民衆が認知するまでに時間がかかるが王子を狙ったテロ事件が起きた場合は関係者を疑われるのを避ける必要があるはずだ。それが鎖国と独裁政権の元にある国の民達の暗黙の了解になっているのかもしれない」

「騎士道が思考回路そのものになっている老獪アンデルセンは問題ないとして、メイス軍曹と真の革命家の連中はこの場所に来ることができるだろうか。騎士団長に過小評価されているだの矮小だのと痛烈にこき下ろされていたレジスタンスのリーダーとされるウォント・ハインリッヒという男は存在するのだろうか。この路地裏にアンデルセン騎士団長とメイス軍曹、無線好きのベルバトール・ユーズが来る予定だ。レジスタンスのメンバーの誰が現れるかはわからなかった」

「王子のいる公然の場で霊払いを行ったこともあり騎士団と警官達に逮捕されるのは目に見えていた。自分の身を守るためには王子の味方をするしかなかった」

「一方の王子は父である王に命を狙われている。その証拠はまだないのだが、王子自身がルミナールロバートに命を狙われていることを直感で理解している。賢いアデル王子の発言のおかげで王族から排除されたと思われる人間達に微々たる信頼を得ることができた」

「今は時間も余裕もない。現状、この案件で敵に回しているのは霊体ではなくポールドの王だ。以上で現状報告を終える」

 カチリと音を立ててゴールドメモリーの電源を切った時、背後に気配がした。ガンホルダーに手を伸ばして後ろを振り返った。そこには昨日の格好のままのアンデルセンがいた。手にはライフルを持っている。

「悪いな、俺にも俺の仕事がある。今録音した音源は俺に何かあった時にバチカンに送られるように筋書きをして、記録しているのだ。あちらのエクソシスト達はやたらと物語の構成にうるさいからな」

「調査報告は必要なことだ。俺は耳が遠い方だから貴様が何を言っていたのかは聞こえなかったから気にするな」

 それは助かった。アデル王子の未来はどの道地獄となるだろう。故郷を破壊した巨大な霊を退治するために修行をしているとはいえ普段は旅の資金のために霊害を解決しているだけのヴェイプフェンサーが王族の権力争いに助力できる可能性は低い。

「ラジオの放送を聞いたか?どうやらこの国で外出しているのは俺たちだけのようだが。そういった法律やしきたりには興味はないのだが。まるで異様だな」

「当然、テロが起きた場合は数日の間、民衆の外出は禁止されている。ラジオでの通達がなくとも皆面倒ごとには巻き込まれたくないのだよ」

 ライフルを持ち直したアンデルセンは無精髭のある口を歪ませてため息をついた。

「もうすでに城下町にルミナール・ロバートを含めたエクソシスト達が巡回しているはずだ。この場所に滞在できる時間は限られているぞ。真の革命家の連中はまだなのか?エクソシストの連中からはインビジブルマーダーシーンは放出されないとはいえ奴らは大通りをフラフラと歩いているわけじゃないからな。隠密部隊といえば良いだろうか、一応ホテルの内部にいる人間が屋上から頭を出して通り周辺の屋上を見張っている。もし何かがあったら携帯無線機に連絡が入る。屋上はエクソシスト達が移動できるからな。姿が見えたらブザーが鳴る手筈になっている」

 どうりで建物の屋上に行けないわけだ。町中の屋上は王族しか使うことができない。たった数人のエクソシストで国中を偵察することも可能ということになる。

「もしレジスタンスの連中が来なかった場合は…」

 ジリ貧に陥った場合のプランを提示しようとした、その時地面から鈍い空洞音が響いた。どうやらレジスタンスの連中は地下からお出ましのようだ。鮮やかな緑色のマンホールの蓋がゴトゴトと音を立てて動いている、それをみたアンデルセンは蓋に向けてライフルを構えた。まさかエクソシストがここから出てくるとでもいうのだろうか。半信半疑でガンホルダーに左手を添えた。

 マンホールの蓋が開いた。まず顔を出したのはメイス軍曹だった。警察官の服装ではなく黒のジャケットとジーンズ、黒いブーツを履いていた。

 そして次に現れたのは無線好きのベルバトール・ユーズ。ユーズは青色のツナギにレインブーツを履いていて排水管工のような格好をしていた。

 そして最後に出てきた男は見たことのない男だった。白髪と金髪が混じった短髪にサングラスをかけている。この男も青色のツナギ姿でブーツを履いている。地下から現れたレジスタンスの三人は皆、ハンドガンが突っ込まれたガンベルトをつけている。

「スティーブ・ハインリッヒ…お前、生きていたのか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る