エピソード48 ニルの十字兵器

 最初の一口はスピードが早かった…次は大腿骨から太ももの肉をしゃぶるのか。胃袋は上半身一つで腹八分目ということになるが、それでは少食が過ぎる。目の前の神が未完成なのは確かなようだ。ニルはそろりそろりと後退しながらしながら捕食の最中のボグトゥナを観察した。体温の急激な上昇の影響でレイピアからは普段の倍以上の蒸気が溢れ出していた。レイピアのカートリッジに装填された葬送香が尽きる前にボグトゥナの頭部を突き刺すべきかもしれない。後退するべきではない。倒すべき霊体の除霊を優先するべきだ。捕食の隙を見て前進する。ニルは久しく感じたことのない酩酊と筋肉の緩みを覚えていた。それを抑えるためにあえてガムを咀嚼して体に鞭を打った。身体中の火照りは久しく感じたことのない獄炎へと変わりつつある。時間がない。


「チャプチャプ、フォーン」


 ボグトゥナはスンスンと鼻おとを鳴らして周囲を伺っている。革張りの骸骨は口元から真っ黒な舌が垂れていた。下半身を食べ終えたようだ。歯はないが口の中にあったロバート司教の腸と陰茎が喉の奥に吸い込まれていった。長さのある体躯のために首を曲げた状態だったボグトゥナは姿勢を正して臓物を胃袋に収めた。そして「フォーン」と満足げに吠え、邪悪な体躯をゆらりと捻ってからニルの方をじっと見つめた。表情はない。王のローブはロバート司教の血で赤黒く染まり、既にトナカイの二枚目の毛皮に成り果てていた。


「生き物でも霊体でもないな、だがあんなものは神じゃない」


 占い師のガムのおかげもあってか体の不自由を奪うほどの圧力を感じなくなったニルは咄嗟にコートの袖に手を伸ばした。カモフレグランス(死香)の瓶を潰すのは今しかない。


 目の前に閃光が走った。


 続けて全身に衝撃が走る。唐辛子ガムの影響で体が壊れたからなのだろうか。それとも既に俺は死んだのか?


 違った。俺は赤いカーペットに包み紙に絡んだガムを吐き出して、咳き込んでいた。いつの間にか床に寝転んでいたニルの頭の中は強烈な耳鳴りが響いている。


「ごほっ、吹き飛ばされたのか?腕はある。まだ死んでいない。足もある。落ち着け」


 この王城は全てが赤色の壁紙と絨毯が敷かれている。周囲を見渡しても耳鳴りと衝撃で動けない。ボグトゥナはどこだ…


「アデル!アデル!近くに来ているのか!私は無事だ!ああ、我が息子よ。お前の存在を感じるぞ!」


 違う。ポールド王、あなたはもう死んだんだ。


 まずいな。数十分前におきた王城内の鉄塔の崩壊。アデルぼっちゃまはあれが起きた時にいてもたってもいられなくなったのだろう。


 神のトナカイ、ボグトゥナね。霊体らしいところがあるじゃないか。


 視界が鮮明になった。ニルはすぐさま王城と警察署をつなぐ連絡通路に向けて走った。だが違和感に気づいて足を止めた。


「レイピアの剣先がない!クソっ、さっきの衝撃で壊れたのか?」


 ニルの折れないレイピアは持ち手とガードの境目から綺麗に無くなっていた。さらに頼みの綱である葬送香を剣に伝えるガソリンボンベのチューブもちぎれていた。高体温の影響でガソリンの引火を心配する必要はなかった。既にタンクは空だったからだ。


 体に刺さっているわけではない。全身を見渡した。


振り返ると赤い絨毯の上にレイピアの剣先が寂しげに転がっていた。


 ここが潮時だろうか。唐辛子のガムで上昇した体温など何の役にも立たなかった。力が足りない。いや足りなかった。


「ほう、ニル。生き残っているじゃないか。よくやった。早く剣先を拾うのだ」


 ニルは突然聞こえた師の声に力なく答えた。


「もう遅い。アデル王子がいなくなってしまったらこの国は終わりだ」


「なんだ、自分の無力さに打ちひしがれているのか?だがお前に与えた銀銃「グリッパー」はたった今、十字兵器になった。喜べないか?私はオートマタだ。気の利いたことは言えないと言っただろう?」


「ダージリン・ニルギル。お前はバチカンに二度選ばれるのだ。エクソシズムインセンス、歴代五人目の聖騎士であるヴィクター・ローズがお前に十字兵器を授ける。お前の十字兵器はグリッパーとレイピアと二つで一つだ。残念ながら、お前はこの先フェンサーとしては生きていけぬ。剣よりも銃の方が得意なことは私以上にお前自身がよくわかっているはずだ。レイピアの剣が冷めぬうちにグリッパーに重ね合わせろ」


「Gewehr silbern(銀のライフル)「Hitze(熱)」だ受け取れ」


ゆっくりと歩いたニルは折れた剣先を拾ってグリッパーに近づけた。


「心を折るな。絶望や失意に落ちたとしても。今いる場所が闇の真っ只中でもだ。さよならだ。愛すべき我が弟子、ニル」


「流石だな、離れ業にも程がある。死んだ後に十字兵器の授与式を行うなんて。安らかに眠ってください、我が師ヴィクトリア・ローゼンヘイル」


「ジルヴァングィアー『ヒッツ』」と名付けられた十字兵器は光輝くことはなかった。いつの間にかレイピアの剣身はグリッパーの銃身へと生まれ変わっていた。「ヒッツ」を片手に持ったニルは走り出した。先の方でボグトゥナの咆哮が聞こえた。それはガラス張りの連絡通路に反響していることがわかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る