エピソード38

「おお、電波塔に続くハシゴがあるじゃん。密偵とやらは塔の柱に隠れているんじゃないのか?ハイデル、お前もこっちに来い」

 電波塔のある展望台か…想定外だ。天井まで届くケーブルを繋いだアンプがジリジリと音を立てている。無線中継のための機械は電波塔管理室の八割を埋め尽くしている。狭い通路にさえケーブルが張り巡らされている。捜索などとっくに終わっているはずだ。

 ダラダラと通路を歩くロワイルがハシゴに手をかけて登っていくのが見えた。

「ああ、屋上。わかりました」

 本来、この場所には管理人はいない。俺が王族直属のエクソシストになった時に無線の管理を引き受けたからだ。俺の唯一の統括領域とも言える管理事務所は俺以外のレジスタンスの人間が出入りすることはできない。レジスタンス達が行う無線の傍受は塔から配信される電波を盗んでいるということになっている。それはルミナール・ロバートも知っているはずだ。クラロウは短気な男であるに関わらず余裕がある様子だ。もうこの管理事務所には用はないはずだ。想定では入り口の扉を開けたクラロウに背後から近づいて首を切るはずだった。この場所に誰もいなかった場合、クラロウは王城の財産である管理事務所の機材を傷つけることなく俺に罰を与えるはずだ。先に扉を開けて外に出たクラロウは太い腕と背筋から繰り出す右ストレートを俺にお見舞いするだろう。そのはずだった。

 違和感を抱いたまま無線機を床に置いてハシゴに手をかけた。きっとロバートから与えられた任務に集中しているのだろう。使えない頭を使いやがって。塔の麓にある屋上から突き落としたほうがいいのかもしれない。

「ドン!」という音がした。その音はハシゴの手すりと外枠に響いている。上を見上げるとクラロウのローブから飛び出たブーツが見えた。右手の感覚がない。

「うわ」

 体から力が抜けた。まだ手をかけただけだったハシゴから弾き飛ばされた。痛みを堪えてうずくまる。追撃に備えて体制を立て直そうとしても体がうまく動かない。体を引きずって逃げるしかない。ハシゴにかけた右手を潰す蹴りには殺意がこもっていた。何かに気づかれた。ナイフは見えていないはずだ。無線の傍受に気づいているのならロバートが毒を撒いた事実や王城内部の構造は口にしないはず…右手はもうだめだ。グチャグチャに歪んでいる指を見て嗚咽を漏らした。

 クラロウがハシゴを使わずに着地した。いつもは荒い息遣いはなく。異様な気配を放っている。腹に装着した爆弾を手のひらで得意げにさすっている。

「この管理事務所には人の匂いがしないな。ハイデル、お前がレジスタンスの密偵だろ。さっき俺たちが話していたことは誰かが聞いていたというわけだ。王子の殺害が失敗した原因もお前が作った。と見て良さそうだな。この管理事務所はお前一人で管理していたのか?ここ数年でこの場所にいる職員を見かけたことがないなと思ってさ。うん現状がそれを物語っている。お前さてはエクソシストじゃないな?」

 さらに後戻りできなくなった。エクソシストを侮っていた。

「今、気づいたってわけか、豚野郎」

 気付くのは遅いが一つの違和感から導き出される推測は全て的を得ている。目の前の男は霊がなぜ発霊したかを調査する基礎能力が備わっている、いや違う。その分野で優秀だからこそバチカンから十字兵器を与えられたのだ。人の匂い…か。この事務所の気配だけで見破ったのか?

「やっぱりそうじゃねえか。お前のその反応。へえ」

 試しに右手を潰したのか?なんて野郎だ。くそ、頭が悪いのにずる賢いやつだ。

「なんだ?お前、結構できるやつだったんだな。どれ首をへし折る前に拷問だ。レジスタンスの連中の居場所と、そうだバチカンの刺客の身分と素性を吐け。どの道、お前は殺すが俺の拷問は死ぬことよりもきついぜ」

 考えろ、残された左手でローブの下にあるナイフを握ることはできる。まずクラロウは俺の四肢を奪うはずだ。チャンスは一回しかない。こいつは確実に殺す。

「バチカンの刺客?ハハハ。お前らが何をしようとしているかはそんなに重大な罪なのか?そういうことなのだろうけど下っ端の俺は何も聞かされてないからわからないな。フォートとルミナスを倒したエクソシストはお前たちとロバートのクソ野郎ともまったく違う純粋な聖教者だぜ?俺が死んだとしても変わりはない。地獄に堕ちろ!」

 右手を見た瞬間に胸が締め付けられた。もうこの先無線機器をいじることはできない。右手のない俺はもう死んだも同然だ。眉間に皺を寄せたクラロウは顔を赤らめることなく冷静な面持ちで言い放った。

「お前みたいな雑魚が俺たちの運命が変わらないと抜かすのか?勘違いするなよ。だがそれは都合が良いな。ロバート様が何をしようとしているかは全くわかっていないわけだ。だが無線を聞いていた奴はそれなりに勘の良いやつだろうから。さっきしていたお前との会話は都合が悪いことに変わりはない。お前はボグトゥナを知らないみたいだな。俺はジャーマネシアに住んでいたからアレのことをよく知っているぜ。ロバート様曰くベルリの土地は大きな実験場だったって話だ。ヒステラー将軍は自らを実験台にしたってことになるが」

「何を言っている?自らと国の一部を何に利用したっていうんだ?」

 無線は切ってしまっている。潰れた右手ではニルにこのことを伝えることはできそうにない。

「狂っているよな。罪悪感に喪失感、苦痛と無念。いわゆる悔恨。この世に残した想いが強ければ強いほどデカくなるって話だ。ヒステラーの将軍様は十人いる妻が産んだ子供をわざと皆殺しにしたらしいぜ」

 ジャーマネシアの巨大な霊。それと同じものであるボグトゥナと呼ばれる霊の依代はハルベルク・シュベルト王だったのか。アデル王子を殺すことは王が決めたことだった。ルミナール・ロバートはその行動すらも支配していたのだ。ヒステラー将軍は自分でそれを決めたということになる。無線はクラロウの足元にあるからもう使えない。ヴェイプフェンサーが気づいていることを信じるしかない。彼もまた訓練されたエクソシストなのだ。そのくらいのことは調査しているはずだ。

「そんなことをして何になるんだ!国を統べる人間がただ無惨に人を殺す霊になるだけじゃないか!」

「失敗したんだよ!将軍様は。無様なジャーマネシアの王はボグトゥナになった段階で自我が残ると思い込んでいたんだ。現実はそう甘くなかった。無念の分だけでかくなったヒステラーの精神はすでに消失していた。自らの精神を自らの悔恨で失ってしまったんだ。壮大な計画を達成したはずの将軍閣下は自分の国を踏みつけるだけの化け物になった。そして哀れなヒステラー将軍は自分の国の大地を今もずっと踏みつけているのさ。その失敗を認識している奴は他にも大勢いるんだけどな。もちろんバチカンの連中も知っている。今他の国でも戦争に備えて上手くいくやり方を探しているってわけだ。要するにボグトゥナは兵器だ!それを操るために幾つかの工程を経て発霊させる必要があるんだよ。十二年もかけたロバート様の計画を台無しにする意味なんかあるのか?お前は何がしたいんだよ!小さいレジスタンスなんかに雇われてさ。無様なものだな!」

 潰れた右手の痛みがなくなった。感覚がなくなっただけじゃなかった。やっぱり自分がしてきたことは間違っていなかった。アドレナリンという名の勇気が湧いた。

「この国はそんな酷いことをする国じゃない!幾つかの工程だって?偉大なポールド王を武器にするために工程を施してきたと抜かしているのか?無礼な!この国の人たちはお前とは違う。ジャーマネシアのベルリだってきっとそうだ!お前達はエクソシストなんかじゃない。悪魔だ!地獄がお似合いだ!」

「それで?何をするんだよ。地べたに這いつくばった雑魚が俺を銃で撃つのか?お前は銃を持っていないし戦う力もない。死ねよ無能」

 近づいてきたクラロウは力なく床に伸びる俺の左足を踏み潰した。黒いブーツを履いた足の先はプレス機械に掛けられた一枚の革のようになっていた。

「ぎゃああ、くそっ」

 まだ左腕がある。近づいてこい豚野郎。

「ほら足も使えなくなった。もうだめだな」

 胸ぐらを掴んだクラロウは顔を近づけてニッコリと微笑んだ。今だ!

「お?ナイフを持っていたか。だがナイフじゃ意味がないね。首以外は鎖帷子が止めるからな。うん?」

 最後の力を振り絞って突き出したナイフはクラロウのローブの下にある爆弾を突き刺していた。

「あ」

「さよなら皆。エクソシズムインセンスのダージリン・ニルギルに全てを託す」

「何独り言抜かしてやがる。エクソシズムインセンス?ヴェイプフェンサーだと?レベルの低い変なエクソシストじゃねえか!そんなやつにフォートとルミナスが負けたのか?」

「ロバートも負けるんだ。そしてポールド王国があるべき姿を取り戻す。運命なんか知らないね。くたばれ」

 残された力でナイフを強引に捻った。小型の爆弾の衝撃はクラロウの身体中に広がり視界を炎が覆い尽くしていく。それが見えた。辛い日々の果てに見た人生最後の景色は、誘爆した小さな金属の塊が爆ぜる瞬間の獄炎だった。

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