エピソード22 「スレンダー」

 インビジブルマーダーシーンは王子の乗っていた馬車をすっぽりと覆い尽くしていた。ヴェイプフェンサーの持つレイピアから放出されるヴェール香が胸元にあるライトの光を維持させていた。ヴェール高の効果が反映されていない後方は暗くなり王子と護衛はインビジブルマーダーシーンの外になり見えなくなった。非常に濃い死臭がする。それは腐った後もなお土に帰ることなく腐敗した状態を維持した死体の匂いのようだった。その中にうっすらと冷凍の生肉の匂いが混ざっている。ヴェール香のレモングラスの匂いは顔の周囲には残っているがすぐに消えていく。

 半分は闇の中にある馬車の上を見るとそこには輪郭のハッキリとした霊体の姿があった。首を伸ばして馬車の匂いを嗅いでいるようだ。体格は人のものではなく二メートル五十センチほどある。腕と足だけが異様に長く、筋骨隆々の体には先ほど殺した人間の返り血がびっしりとついていた。生前の名残なのか後頭部までなでつけられた金髪と高い鼻。どこかアデル王子を思わせる聡明な顔立ちだった。鼻筋の通った真っ白な顔には冷たい表情を浮かべている。

「誰の霊体だ?政治家ではなさそうだが」

 霊体の名前を呼ぶには情報が足りていない。今調べた情報だけで推測できるのは。

 ① モナ・バートン以外の二人の政治家のどちらか。

 ② 十年前に王子を暗殺しようとした格闘家(この人間の名前はわからない)

 ③ 暗殺を計画した。ハルベルク・セリエール。

 銀銃を引き抜いてからレイピアを握った掌に熱を加えた。ブーストされたヴェール香がインビジブルマーダーシーンの中に広がる。それと同時に胸に取り付けられたライトの光が広がった。

「アデル。アデル。どのみちお前は死ぬ。生まれてくる必要はない。俺は自分の運命を知っている。だから、この国のことなどどうでもよい。どこにいるんだ。息の根を止めてやる」

 腕を伸ばした霊体は馬車を引いていた馬の死骸から首を引きちぎった。腕が伸びるのは少々厄介だ。

「チガウ、チガウ、チガウ」

「あれはハルベルク・セリエールなのか?なるほど、暗殺に失敗したことは忘れているのか。悔恨と発霊の動機が読めないな。異様な姿になっているが顔つきは王族のものなのだろうかアデルと似ているのも不思議ではないか、表向きは処刑されているが遺体はまだ城の中にあったということになる」

 運命、という言葉を発していた霊体をまっすぐと見据えた。この国にいた、あるいはまだいる占い師の女は運命を予知しているのではなく人を惑わせているのではないのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。

「ハルベルク・セリエール!宣戦布告する」

「アア、アッ、チガウ、チガウ!アデルは赤ん坊だア、俺のことなど知っているわけがない。チガウ」

 どうやらこの霊体はハルベルク・シュベルトの弟だったセリエールで間違いないようだ。

「数人の殺害と生誕祭パレードを妨害した容疑で邪悪におちたお前の名を呼んだ。エクソシズムインセンスであるダージリン・ニルギルがお前をこの世から消滅させる。この世の罪を償うことができないのであればおとなしく天に召されるがいい。今すぐ生きとしいける者への執着を捨てたまえ」

 セリエールだった霊体の顔が歪んだ。顎を突き出して目を見開いた顔は目鼻口のパーツがなくなり黒い窪みになった。伸びていた腕は縮まって腕から指にかけての骨が肉を裂いて剥き出しになった。

「アア?エクソシスト?おのれ!兄と俺の人生を滅茶苦茶にしたのはお前か!神のしもべの皮をかぶった詐欺師め。俺の子供はどこに行った?貴様らのようなものに俺たちの何がわかる!殺してやる」

「この国のエクソシストは想像以上に非道な行いをしているようだな」

 インビジブルマーダーシーンが濃くなった。左手に持った銀銃の撃鉄を引いてから狙いを定める。まずは腕を狙って牽制する。まだセリエールだった霊体に語らせる必要がある。

 銃声が響いた。インビジブルマーダーシーンの中で発砲したせいか音は収縮して濁っていた。続けて腕がちぎれて落ちたセリエールの咆哮がこだました。

「ぎゃあああ、熱い!チガウ。チガウ。お前はアデルじゃない。おのれ!」

「何が違うのだ。僕はアデルだ。何が違う。僕を殺す理由はなんだ」

 アデル王子のふりをするのには流石に無理があるが、霊体に語らせる誘導尋問になるのであればなんでもよい。何か喋り次第速やかに霊払いを行う。

「嘘をつくなエクソシスト!俺の子供を返せ。アデルを殺せば俺の子供を返してくれるって言ったじゃないか!格闘家のゲスがダメだったなら俺が殺してやる。だから俺の子供を返してくれ!ルミナール・ロバート!貴様は絶対に許さないぞ。アレ?」

 人為的な発霊によって十年の時間差を伴い、今この時代に舞い戻ったセリエールがルミナール・ロバートの名前を口にした。これはよい機会だ。

「どうした、確かに俺はアデルではない。ルミナール・ロバートだとしたらどうする?なぜ俺に恨みを抱いているのだ」

「アレ?あのクソッタレのキリシテ野郎に最近会ったぞ。俺は死んだ。そうだ死んだ。なぜだ。クソが、どいつもこいつも俺を騙しやがって」

 方法はわからないがルミナール・ロバートは霊体を騙すことができるのかもしれない。セリエールはまだ十年前の時間の中で生きているつもりだったようだ。苦しむセリエールをこれ以上、騙す必要はない。そう思った矢先だった。

「失敗を取り戻すはずだった。そうじゃなかった。俺はもうやり直すことなんてできないんだ」

 歪な巨体を震わせたセリエールはちぎれた腕の裂傷を抑えて項垂れた。

「自己の悔恨を乗り越えたのか?やはり今まで見た霊体とは違うな」

 少しの安心が集中力を乱した。首を何かに掴まれている。その感触に反応して抵抗しようとしても遅かった。一瞬で霊体の腕に引っ張られたヴェイプフェンサーは馬車に取り付けられたランプに衝突していた。ランプのガラスが馬車の座席に散らばってシャラシャラと音を立てた。

「そんなわけがないな。今まで遭遇した霊体の中でも遥かに知性が高い。それだけだ。まずいな」

 衝撃による負傷はないが危険だ。素早い動きで首をへし折られないように首を掴んでいる霊体の手にレイピアを挟んで滑り込ませた。ヴェール香の影響で悶絶しているセリエールの顔は元に戻り冷酷な笑みを浮かべている。

「ううん、なんだ、嫌な匂いがするなあ。全て消してやる。殺してやる。お前は誰だ」

 視界の外にある左腕を闇雲に動かして銃の引き金を三回引いた。二発は馬車の車輪とランプに当たった。一発はセリエールの霊体にあたったようだ。

「腕と足が長いからな、名付けるのであれば『スレンダー』と言ったところだろうか」

「ぎゃああ、おのれエクソシスト。汚れた宣教師どもめ」

 吠えるスレンダーが腕の力を抜いた。どうやら銀弾は太ももに命中したようだ。スレンダーが悶えて暴れることで後部の屋根が歪んだ。馬車に着地してからレイピアを振り切ってカートリッジを放出した。素早い動作で葬送香の入ったカートリッジを装着する。車輪が揺れているが馬車の上で体制を立て直すことは簡単だった。

 葬送香の吹き出すレイピアをかざすとスレンダーは更に後退した。霊体の質量が重いせいで崩壊しつつある馬車はシーソーのように傾いた。パレードの最中に車を引いていた馬の死体が綱に引っ張られてぶら下がった。ヴェール光の効果が切れかけているせいで胸につけたランプの光が弱くなっている。

「最後の一発は頭に当ててやるさ」

 スレンダーが腕を伸ばした。しゃがんで避けた時に馬車は更に傾いた。スレンダーの右腕は馬の手綱に絡みついて戻せなくなっていた。王子のいた場所にある座席の背もたれに足を引っ掛けてから左手に熱を加える。腕をもがれて足を潰されたスレンダーが吠えた。

「なぜだ。なぜ二度も死ななければならない。俺の子供はどこに行ったんだ」

「天に召されよ、ハルベルク・セリエール。お前の無念が必ず報われるように努力するよ。約束する」

 銃の引き金を引いた時にはすでに馬車の車体は地面から垂直に立ち上がっていた。

 車体が重力に引き寄せられて地面に衝突した。

 インビジブルマーダーシーンが消えていくのがわかった。かなりの情報が得られた。この国のエクソシスト達は重大な禁忌を犯している。絶対に見逃すことはできない。

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