エピソード2 ダージリン・ニルギル

「どこかでハーブと銀を仕入れないとな。昼間の内に動物の住処を探さないとまずい」

 動物が穏やかに過ごせる場所には霊がいないので牧場は野宿するにはうってつけではある。だが次の日にこの場所から朝出発して森に向けて歩くのは面倒だ。

 少しでも前に進まなければならない。森の手前にある草原にはウサギの巣があるはずだ。「若葉ウサギ」に襲われることはないことから。リュックの中にある薄手の緑毛布でゆっくりと野宿ができる。それに若葉うさぎは晩飯になる。水場には期待できないのだが雨でも降らないだろうかと空を見上げるが雲は見当たらない。雪が降り頻るシェノーキンではまず見ることのない晴天だった。

 物資の都合上これから仕事以外で霊と接触したとて相手をする気はない。

 一週間がすぎているのでヨーロンのしきたりに沿って考えると俺は借金の踏み倒しでこの周辺で指名手配されている。ロシナの旅に失敗したのは非常に痛手だった。

 遠く先に見えるコンパス上西オースナーと東ベルリ南ルーニア方面には連山が悠々と聳え立っているので冬が来るまでにルーニアに到着して金しか持たない有象無象供に付き纏う霊を払って金を作る必要がある。

 牧場を有する広大な平原は丘が二十はあるが比較的平たい土地だ。少し休憩を挟む事にした。薄手に茶色のロングコートは元々は闘神だった牛のもので何度雨に濡れてもかび臭くならない。それ以外に取り柄はないとも言える。

 内ポケットから銀色のスモークケースを取り出した俺は牧場の人目につかない窪んだ丘にの中腹に腰を落とした。草原がザワザワと靡いている。鎖帷子を一体とした上着とベルリの黒ジーンズにオオカミの皮で編んだ薄いブーツについた乾いた泥をはたき落とした。そして取り出した一本の安タバコの先を摘んだ。少し意識すれば指先に蝋火ほどの熱を集める事ができる。

 指の先の熱でじっくりと燻された煙を吸って青空に吐いた。ロシナへの旅の失敗は霊による物ではなかった。もちろんのことだが避けられない戦いはこなしていたのだが蛮族は想定外だった。外から迷い込んだ人間は躊躇なく殺し持ち物を奪う趣向の生き物がまだ存在していた。生ぬるい憎悪が今でも抜けないのは楽に何かを手に入れることに期待していたせいなのかも知れない。

 大抵は山暮らしの人間は交渉をして物を得る。だがロシナの言葉を喋る人間とは語り合うことなどできなかった。

 ロシナの人間が皆がこうではないのは想像がつく。山を越えれば城や街がある。だがそれとこれとは全く別の話だ。最悪だった。ヨーロンの山賊は拠点を持たず移動するキャラバンを保持している場合が多い。よってこの蛮族たちは無法地帯に巣食う怪物だったわけだ。有無を言わさずよそ者を排除せんとする彼らは怨霊と大差ないのだが銀と葬送香による攻撃で蒸発しないのが厄介だった。

 現在の体温はそれほど高くはない動物が多く暮らす場所で生活する農民たちからの依頼もおそらくないだろう。何か打開策を見出すべきだ。楽をするのではなく上手くやらなければならない。地図を持っていればいいのだが勘に頼る癖をつけなければ霊の気配が読めない無能な霊払い士に成り下がってしまう。

 そこで広大な面積を有するボールド城下町の二十はある門の中で取り立て人が張っていない場所を思案する事にした。至極同然の発想でしかないのだが。ボールド城下町には墓場があるはずだ。墓場には仕事があるかも知れない。高額報酬には期待できないが通行証とも言うべき人望を買うのは大事だ。

 煙草の灰をブーツで潰した後。墓場方面を望遠鏡で確認する事にして丘を歩いた。城下町手前の城壁あたりにはテント付きの商店街と格闘場が賑わっているがこちらを見ている取り立て人は確認できない。大抵その類の雇われ人は望遠鏡を持って誰かを探しているだがそういった気配はなかった。墓場はどうやら現在地から南側左方向にある。ヨード沼の森から奥の城壁と岩山に挟まれた渓谷が三角に開けている。恐らく炭鉱は渓谷の終点か墓場の見張り場の奥にあるトンネルで入ると推測できる。城よりは低いが奥の方に山を切り開いた台地が整備されている。崖と森を大きく削ぎ落とした台地はボールドの国家権力の大きさを感じさせる。右手、地図上北の高原からボールドに来るときは道を歩くだけだったがここから先は山を越える手もひとつあるだろう。

「火山帯は見えないな、改めて見ると、とてつもなくでかい城だ」

 王族が住んでいる守城を円状に囲んだ城壁は岩状山脈を背後にしているが後ろの岩山にも炭坑夫が住む街があると町人が語っていたことが思い出される。この逼迫した状況を打開する策はそこらをうろついて考えれば良いかも知れない。

 農場の名前はロングバークシャーというようだ城下町につながる人の手が加えられた砂道に看板が立ててある。張り紙を読むと「旅人の野宿を禁ずる」と書いてある。  

 若葉ウサギの国とも呼べる草原地帯までは野宿禁止の範囲ではないだろうが寝る場所は墓場で決まった。墓場で野宿をする際に墓石守衛には見つからない自信がある。というのもヨーロンでは夜中に墓場を歩くと高確率で死にいたるのが通例となっているため体一つで鎬を得る守衛といえど出歩かないわけだ。体温が上がることさえ我慢すればの話だが霊に悟られないようにカモフラグランス(霊に近い気配を霊払い士に纏わせる死香)を焚けば良い。今の所、蓄えはある。

 看板の指すボールドバザールの方に向かって歩いていると牧場の農夫が運転する牛を乗せた蒸気車がゆっくりと俺を追い越した。大きなタイヤを四輪備えた車のエンジン部分の上に平台が乗っており鉄の手すりに繋がれた牛がもおもおと嘆いている。これから捌かれて肉の塊になるのだろうなと思った時だった。運転席からこちらを睨みつける農夫の視線に気づいて俺は目を逸らした。放浪者の偵察かあるいは単純に見回りをしている可能性もある。放浪者に悪人はいないが数人居着くと牧場の衛生面での評判が落ちるのだ。

 通り過ぎた蒸気車から農夫が大きな声で俺に言葉を投げた。

「見たところ霊払い士だな。右にタンクに繋がった太いレイピア。左に銀銃。久しく見ていない部類の旅人だな。金はあるのか。いや無いからトボトボと歩いているのだろう。まあ良い野宿はしないつもりでいる様だから高潔な側の人間だろう。いや体温が高いのだったな。確か糞も尿も出さないとか先代が言っていたな。名前はなんという。乗せていってやっても良い。牛を下ろすのを手伝ってもらうけど問題ないよな」

「勿論俺はダージリン・ニルギル。ニルと呼ばれることが多い。お言葉に甘えて牛の隣を失礼するよ。いい牛だな。霊化はなさそうだ。肉の塊になる事に怯えていない。良い暮らしをしてきたのだな」

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