A7.トラウマは抉ってくるからトラウマなんだよ。えぐらないトラウマなんてただの思い出じゃないか

 用意してもらったふかふかのベッドで寝て、一日の疲れを取る。そこから数日の間は、おのぼりさんなわたしにいろいろなことを教えてもらった。常識だったり、お金のことだったり、いい事だったり悪いことだったり。


 中でも一番の収穫は、魔王のお話を聞けたことだった。世界の全部を滅ぼす魔王と、その魔王に対抗する賢者様。魔王から人々を守って、そこからの繁栄を助ける賢者様。そして、魔王の火に焼かれて、永遠に魔王の中で苦しみ続ける魂たち。


 火は、恐ろしいものだ。全てを無に帰す現象で、賢者様しかそれに耐性を持たない。賢者様の耐性も完璧なものではないから、人々は魔王に勝てない。


 その内容とわたしの知っていることを比較する。賢者様、つまり師匠は、自分には魔王を倒せないと言った。そして、わたしが何度切っても刺しても何ともなさそうにしていた。

 魔王は、あの化け物はたしかに火を使ってみんなを消し去って、声だけでたくさんの生き物を殺した。師匠のお守りしか、それに対抗できるものはなかった。


 話の内容は合致する。ならきっとこの話は、このおとぎ話は本当の話なのだ。そうすると、わたしの家族は、里のみんなはあの化け物の中で今も苦しみ続けているということになる。そんなこと、許すわけにはいかない。


「アリウムさん、火は恐ろしいもので、禁忌なんだ。使うものがいたらすぐに逃げて、かかわらない方がいい」


 色々教えてくれたラリーさんに、お礼としてわたしの話を聞かせる。里でどんな風に育ったのか、里がどうなったのか。


 けれどそんなことよりも、一つ気になることがあった。魔王の使っていた火が恐ろしいものなのはわかるが、それ以外の人のものもダメなのだろうか。わたしも多少は使えるし、わたしに教えてくれたということは、師匠だって使うことができるのだろう。


 それを火だからと一括りにして避けるのはどこか違和感があって、けれど師匠からも基本的には火は使わないようにと言われていたことを思い出す。きっとそれは、使っているところを見られたら周りから怯えられてしまうからなのだろう。




 そうして常識を学んだら、次はお金集めだ。モニカさんやラリーさんは何もしなくても必要なものならいくらでも用意すると言ってくれたが、きっとそうすることを師匠は望んでいない。必要なものは自分で用意するべきだ。もちろん甘えていいところは遠慮なく甘えさせてもらうが。



 聞かせてもらった話の中から、わたしでもお金が稼げそうなものを選ぶと、どこかのお店でお手伝いをさせてもらうか、冒険者になって仕事をするかの二つ。人と関わるのはまだちょっと怖いから、自然と選択肢は一つに絞られた。


 やることが決まったら、あとは行動に移すだけだ。心配そうにしてくれているラリーさんに行ってきますと伝えて、もらった地図の通りに道を進む。服装はいつの間にか直っていた旅衣装だ。手袋で右手の甲を隠せて、フードを被れば目立つ耳も隠せる。人の世の中でエルフは珍しく、悪目立ちするらしいのでその対策だ。頑張れば耳をへにゃっとさせて髪の毛に隠せるけど、疲れるからあんまりしたくない。



 地図の通りに歩けば、目の前に大きな建物が見えてきた。剣と盾のマークがついているので、ここが冒険者組合で間違いないだろう。開けっ放しになっていた扉から中を覗いてみると、体の大きな大人たちが何かを食べながら騒いでいた。


 大きな声と、笑い声。冒険者組合の中に酒場があるのは、報酬として渡したお金を効率よく回収するためらしい。仕入れの費用がカットできる分安めに提供出来て、手元にお金が入って気が大きくなった人達はついその場でお金をお酒に変えてしまうのだとか。ラリーさんが言っていた。


 一応誰でも入ってよくて、ご飯を食べることもできるらしいが、扉が開いていても篭ってしまう人の臭いは、なかなかここでご飯を食べるのを躊躇わせるだろう。こんなに臭うのに気にしていないこと人たちは、鼻がバカになっているのだろうか。


 しかしまあ、知らない人の嗅覚事情なんてあまり興味が無いので、酒場の辺りではなるべく息をしないようにしながら奥の受付まで通り抜ける。奥の方は人が少なく、十分に換気もされているので悪臭はほとんどなかった。


「おいおい嬢ちゃん、そんなちっちぇ体でなんでそっちに並んでんだ。依頼人はもう一個隣の列だぞ」


 ギャハハと笑いながらわたしにそんなことを言うのは、お酒で顔を真っ赤にしたおじさん。見かけによらず優しい人なのかな、とも思ったが、ラリーさんからあらかじめ話を聞いているわたしはこのおじさんが子供を試すお試しおじさんなのだと知っているので、こっちでいいのだと返す。


「嬢ちゃんみてぇなのが冒険者になるって?お小遣いが欲しいならおっちゃんがやるからガキは帰ってママのミルクでも飲んでろよっ」



「お母様もみんなも死んじゃったから、帰る場所なんてないんだよ」


 なんだか優しさが漏れている気がするが、無駄に会話を長引かせるのも面倒なので、短く言い返して話を終わらせる。本当はこんなふうに言わなくても、ちょっと話していればがんばれって応援してくれるのだと知っているのに、お母様のことを言われたから胸がチクッとしてつい言ってしまった。わたしはひどい子だ。


 試す役割を忘れてしまったのか、申し訳なさそうに眉を下げて謝ってくるおじさん。本当に謝らないといけないのは、わかっていてこんなことを言ったわたしの方なんだけどね。


 でもそのことを素直に言うのも嫌だったから、ちょっと冷たく別にいいと返す。これに反省したらもうこんな趣味の悪い試験は辞めるべきだ。


 ちょっと複雑そうにしながら対応してくれる受付嬢さんに登録をしてもらって、冒険者になる。最初に受けられる依頼は薬草採集。すぐそこの酒場で給仕するとか、組合の建物を掃除するとかもあるけれど、それは本当にお小遣いが欲しい子向けの依頼なので、わたしは受けない。


 たぶんそんなに難しくない薬草採集の依頼を受けて、お手本の薬草とかどう採るといいのかとか色々教えてもらう。話で聞いただけでも簡単だとはわかるし、そもそもわたしみたいな子供でもできるということはそういうことだろう。


 けれども、それがわかっていてもなお初めての経験は緊張する。だって、初めてのお仕事だ。里にいた時はお手伝いもほとんどさせてもらえなくて、師匠と二人になってからは修行しかさせてもらえなかった。


 自分の意思で選んで、なにかをするというのがわたしにはほぼ初めての経験なのだ。


 何かあったら使うようにといわれて渡された筒を腰にぶら下げて、街を出る。この筒は先っぽのひもを引っ張っると赤い煙が出て周りに緊急事態を知らせてくれる道具らしい。


 ところどころに目印が置かれた森の中を進んで、薬草が生えているポイントに向かう。この辺りには魔物もほとんど出ないと言っていたし、緊張しているのがバカバカしいくらい平和な森の中だ。冒険者になったはずなのに、これじゃあやっていることはピクニックである。お弁当は持ってきていないけど。



 そんなことでだいぶ緊張もとけてきて、周りのことに気を向けられるようになったころ、森の少し奥の方、わたしの目的地からは少し離れたところから、変な音が聞こえてきた。何か重たいものを引きずっているような、呻くような音。さっきまでは聞こえていなかったし、森の中で聞こえるのも不自然な音だ。


 緩んでいた気持ちが引き締まる。安全だと言われていた場所でも、ここが森の中で魔物たちが住む場所である以上、安心していい場所ではないのだ。そのことを思い出して、ここからどうするのかを考える。


 なにかおかしいことがある以上、安全策をとるのであればすぐに引き返すべきだ。依頼を受けた薬草採取だって、今日すぐにやらなければいけないものではない。今日やるにしても、もう少し別の場所に取りに行くこともできる。危険かもしれないところに、わざわざ自分から顔を出す必要はないのだ。


 それでも帰る気にならなかったのは、この街にきて、いろいろな話を聞いて、もっといろんなものを知りたいと、見てみたいという気持ちになってしまったからだろう。この森の中に何があるのか、何が起きているのか、知る必要のないことかもしれないがそのことが無性に気になったのだ。


 そして、そんな好奇心に身を任せた先で、少しドキドキしながら顔をのぞかせたわたしが出会ったのは、短い手足のようなもので自分の体を引きずるように動く、真っ黒な肉の塊だった。


 体のいたるところから突起のようなものを伸ばして、這いずり回るソレ。体のどこかからか火を噴きだしながら、森を燃やしながら動き続けるソレ。


 姿かたちは、面影があるけれど全然違った。何より、その身に纏う空気が、全然違った。それでも、どうしても重なってしまったのだ。火を噴きながら動く姿が、顔らしき穴の奥の真っ暗な闇が。あの化け物に魔王に重なってしまったのだ。


 頭が真っ白になって、息が荒れる。大丈夫、あれは魔王じゃない。あれは、あの化け物ほど恐ろしい存在ではない。だってあれからは、魔王から受けたみたいな、死ねることが幸せだと思ってしまうほどの圧迫感はない。何なら、圧迫感だけで言えばキメラの方がずっとあった。目の前のこれは、特徴が似ているだけの別物だ。


 そうわかっているのに、体は動いてくれなかった。いつも大事な時に限って動いてくれない体だ。魔王の時も、キメラから逃げる時も、そして今も。きっと、本当はわたしは戦うことなんて向いていないのだろう。怖がりで臆病なわたしには、そんなこと向いていないのだ。


 だから、何も見なかったことにして帰りたいと、そう思ってしまった。ソレが、這い回る。わたしに気付いている様子はない。慎重に引き返して、モニカさんに知らせよう。モニカさんはわたしよりずっと強いからきっと簡単に対処してしまえる。


 ソレの体がまた少し前に進んで、その体に尖った枝が刺さった。



 皮膚が痛くなるような音が、真っ暗な口の中から響く。あの魔王のものと同じ、全身を叩きつけるような叫び声。思わず耳を抑えて、目を閉じる。ビリビリ来る振動で、目が痛くなった。


 気付くと、音が消えていた。植物が枯れていて、虫も落ちていた。あの魔王の時ほどの規模はなかったが、同じだ。あの時と同じだ早く逃げないと死んでしまう。




 ……でも、逃げて、その結果里はどうなった?


 わたしを守ろうとしてくれた叔父様は、わたしの前で首をはねられた。戦士たちは、一瞬で何も残さず消されてしまった。家も全部焼かれて、だれも生きてはいなかった。


 なんで?



 わたしが連れて行ってしまったからだ。あの化け物をみんなの下に案内してしまったから、里はあんなことになった。



 わたしは、また繰り返すのだろうか。この化け物から逃げて、今度は賢者街が消えるのを見るのだろうか。モニカさんが、ラリーさんが、心配してくれた、きっといいひとなおじさんが、何も残さずに消えてしまうのを見過ごすのだろうか。


 そんなのは、もう嫌だった。あんな思いは、もう御免だった。なら、今この場でどうにかしないといけない。わたしが、こいつをこの場で消さないといけない。


 師匠とも約束したんだ。わたしは魔王を倒して見せるって。師匠を苦しめているものから解放するって、そしてまた一緒に暮らすって。なら、魔王を倒さないといけないわたしが、こんなところで逃げていいわけがない。枝が刺さったくらいで値を上げるような奴から、逃げれるわけがない。



 ああ、そうだ。こいつは、枝が刺さるんだ。目の前の枝に気が付けないくらい鈍くて、枝が刺さるくらい脆いんだ。それなら、魔王とは大違いだ。エルフの戦士たちの一撃をでもかすり傷一つつかなかったあれと比べれば、目の前の命の何とか弱いことか。


 自分が情けなくなる。そしてそれと一緒にこみ上げてくるのは、耐えようのない怒り。自分に対してのものと、みんなを奪った魔王に対するもの。そしてその感情をぶつけるのに、目の前の化け物はあまりにも都合がよすぎた。


 水の刃を飛ばす。まともな狙いもつけずに飛ばしたそれは、這いずり回っていた腕の一本をたやすく刎ね飛ばした。感情的になって魔力を無駄にしてしまったことに気付き、腰に差した短剣を抜く。


 思った通り、いや、思った以上に化け物の体は柔らかくて、切りごたえがあった。切っても切ってもすぐに再生して、また切られてくれた。これまでどこにも、だれにもぶつけられなかった感情を、全部受け止めてくれた。


 火を噴きだす穴を刺す。叫ぼうとする顔をこそぐ。化け物が、あの魔王に似た生き物を自分の手で痛めつけているのが、無駄なのにわたしから逃げようとしている化け物をなぶるのが、たまらなく清々しかった。


 少しずつ遅くなっていく再生速度と、減っていくわたしの体力。幸いなことに、先に限界が来たのは化け物の方だった。ほとんど同時だったが、そちらの方が少しだけ早かった。


 再生しなくなって、動かなくなった化け物に念のためもう一度短剣を刺して、本当に動かないのかを確かめる。抜いてから鞘に納めれば、周囲の光景はひどいものになっていた。


 そこら辺中に火が回っているし、わたしが切り刻んだ肉の破片も散っている。わたしの手だって火傷があるし、顔が引きつっている感じがするからきっと顔にも火傷があるのだろう。でも、満足だった。やるべきことはやり遂げたし、力が抜けて生臭い生のクッションに倒れ込んだ時も、心にあったのは晴れやかな気持ちだけだった。


 動いて、森の中から、火の中から抜けないといけないということはわかっているのに、全部の力を使い切ってしまったのか起き上がれる気がしなくて、どんどん眠くなっていく。意識がなくなる前に最後にできたのは、筒のひもを引っ張っることだけだった。



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 幼女のやった事を端的に言うと、ライオンに家族を食われたトラウマがよみがえって、産まれたばかりの子猫をミンチにしたくらいのことなのよね(╹◡╹)コワァ

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