A16-1.距離だけ取っても……ねぇ?

 自分の手を汚してしまって、そのまま我が子に会いたくなかった。これまでも何度も、人を、魔物を殺した手であの子たちを抱いていたはずなのに、なんとも思わずに、みんなのために頑張っている自分を誇りにすら思っていたこともあったのに、罪のないあの少年に最も残酷な終わりを与えただけで、わたしの気持ちは折れそうになっていた。


 そのせいで、師匠の元に帰るのが遅れた。師匠のところにはテトラがいるから、会ってしまうことがこわかった。


 そうして数日、一人で過ごす。直ぐに報告しないのが良くないとわかっていても、帰りたくないという気持ちが強くて、借りた宿から一歩も出ずに過ごす。


 重荷から開放されたように心が軽くなって、やらないといけないことから逃げている罪悪感ですぐに押しつぶされる。こうしている間にもまたどこかで誰かが大変な目にあっているかもとか、それがもしかしたら我が子達かもしれないとか考えると、気持ちがどんどん沈んだ。


 それは、受け入れられないことだ。これまで全く関係のなかったあの少年ですら、わたしには辛いことだったのだ。それがもし、わたしが何よりも大切にしているあの子たちだったら。そんなこと、考えるだけで先程までの恐怖が飛ぶ。自分が汚れることよりも、汚れた自分を見られるよりも、あの子たちの幸せが損なわれることの方がずっと恐ろしい。


 それに、考えてみればわたしがもう綺麗な手ではないことなんて、今更な話なのだ。必要とはいえ、モニカさんを手にかけた。産まれる前のその子を、終わらせた。そうするしかなかったとはいえ、自分の意思でやったのだ。


 なら、抱きしめる資格とか、そんなものはどうだっていいのだ。今回のことでなくなるような資格なら、わたしは最初からそんなもの持ってはいなかったのだから。それでも、汚れた手でも、あの子たちの幸せを祈ることは出来る。


 気合いを入れ直して、師匠の元に戻る。言いにくいことを伝えて、失敗してしまったことを謝る。わたしは自分が思っていたよりもずっと弱くて、覚悟が足りなかったと。


 あれだけ師匠に確認された上で、大丈夫だと大見得を切った上での失敗。怒られるだろう。もし怒られなかったとしても、良くは思われないだろう。もしかすると、失望されてしまうかもしれない。



 そう思っていたのに、師匠がわたしにかけたのは、辛かったねという慰めの言葉。苦しいことを任せてごめんという、謝罪の言葉。役に立てなかったわたしに対して向けるには、あたたかすぎる言葉。


 しばらく休むように言われて、まだ頑張れると主張しても今の君には何も任せられないと拒絶される。優しいのは言葉だけで、本当はわたしのことを見放してしまったのだろうか。二度も同じ人にやられて、しかも今度は目的すら果たせなかったから、役に立たないと思われてしまったのだろうか。


 もちろん、師匠がそんなふうに思っていないことはわかっている。これでも、師匠と過ごしてきた時間は長いのだから、そんな冷たい人ではないことくらい知っている。それでも不安が消しきれないまま、数日休んだ。戻ってくる前に一人で過ごしていた時間があったのだから、休息は十分にとっていた。けれど、そのことを師匠に伝えるのは、やっぱり少し気まずくて、黙っている気まずさも感じながら一緒の時間を過ごす。


 師匠の元にいるはずのテトラが見当たらなかったから聞いてみたら、少し野暮用があって出かけているのだと言われる。なんでも、それがテトラのためになるのだとか。気まずくて帰れなかったくせにいざ会えないとなると寂しく思ってしまう自分の単純さをおかしく思いながら、今回はそのまま会うことが出来ずに次の頼み事をされた。



 内容は、いつものものと同じなんでもないもの。その次も、その次も、頼まれる内容はどれもこれも簡単で、大したことのないものばかりだ。どちらかと言えばむしろこうあるのが当たり前なのかもしれないが、直前が直前だけについ気を張ってしまう。




 そんなわたしの状態になにか思うところでもあったのか、師匠がある日伝えてきたのは、ある場所に迎えというもの。その場所はわたしが昔拠点にしていた場所で、可愛い妹とその家族たちが暮らしている場所。そして何より、かわいい息子がわたしの為にと日々修行に励んでいる場所でもある。


 そこでやらないといけないことは後で伝えると、それまでは休みながら親子の時間を過ごすといいと言われる。きっと、師匠は気を使ってくれたのだろう。きっと普通に休めと言われても受け入れないわたしのメンタルケアのために、わざわざ理由を作ってわたしを送り込んだのだ。




 久しぶりに会ったジエンは、最後に会った時と比べて少し成長していた。わたし以外のエルフは人間での20代相応の見た目で一気に成長が緩やかになるらしく、ほぼその年齢に入っていたジエンはそれほど大きくは変わっていない。それなのに、一目見て成長したなと思えたのは、きっと外見以外の部分での成長が著しかったのだろう。


 よく見れば鎧の隙間から覗く体も心做しかがっしりしたように思えるし、きっと師匠の元にいた時以上に鍛えたのだろう。努力したことがよくわかったし、一緒に歩いていると街の人から声をかけられていることから、人柄の方も素直なまま育ってくれたことがわかる。


 やたらとわたしのことをエスコートしようとする癖は、リックに似たのだろうか。周囲から奇異の目で見られることを顧みず、幼い容姿のわたしを丁寧に扱ってくれるのは、昔の幸せな時間を思い起こさせてくれた。


 そのまま街を歩いて、最終的に連れていかれたのは一つの大きな屋敷。ジエンがお世話になっているところのお家らしくて、わたしもよく知っている人らしい。そんなお金持ちで、しかもジエンの面倒を見てくれる知り合いなんていたかと考えて、誰も出てこなかったので大人しく中に連れていかれる。もしかしたらエドワードかとも思ったが、エドワードは今忙しいとエフから聞いたから、違うだろう。


 一体誰の家なのかと思いながら待っていると、やってきたのは金髪で小柄な女性。もちろん小柄とは言っても成人女性にしては小柄という意味であり、わたしみたいなちんちくりんということではない。


 この人が家の持ち主だろうか。それにしては見覚えがないし、まず最初にジエンに話しかけていることから、向こうもわたしのことを知らないように思える。少なくとも、わたしの子を住まわせてくれるような仲の相手ではないだろう。


 そうなると、この女性は家主の関係者と言ったところだろうか。歳の頃は、おそらく20代後半から30代前半。わたしたちのような例外エルフでなければ、まず間違いないと思う。この王都でわたしの知り合いと言えば、おそらく学園の関係者だろうから、その人の妹さんだろうか。


 そう思いながら二人のやり取りを見ていると、女性が遅れながらわたしに挨拶をする。ジエンくんにはお世話になってますと言われたので、こちらこそ息子がお世話にと返すと、途端に固まる女性。小柄なサイズ感なこともあって、いちいち動きがちょこちょこしててかわいらしい。わたしよりも大きいけれど。


 ジエンに肩を揺すられて戻ってきた女性、リリアさんから話を聞いてみると、どうやらわたしのことをジエンの妹だと勘違いしていたらしい。ついでに、リリアさんも家主の妹ではなく、妻なのだとか。我が子にようやく春が来たのかと思って嬉しかったのだが、違ったようだ。


 そのままリリアさんにおもてなしされて、家主が来るまで待つ。この人が妹ではなく妻ということは、家主は男になる。その中でわたしと関わりがあって、リリアさんいわくわたしに対して大きな恩を感じている人。かなり条件が絞られそうなものだが、魔王のしもべの対処で色々な人から感謝されていたわたしには、心当たりがありすぎてわからない。個人的に親交があったとかなら一気に絞られるのだが、そういうわけではないのだろうか。



 一体誰の家なのだと、少し落ち着かないまま雑談をしていると、使用人らしい人が、“マイク様”がお戻りになられましたと報告を入れてくれる。リリアさんとジエンの反応からすれば、その“マイク様”がこの家の主人ということで間違いないのだろう。


 けれど、マイク。その名前を聞いて、私の中で思い浮かぶのは一人だけ。わたしが近くにいられなかったから、ちゃんと治してあげられなかったから右腕を失った、タンクのマイクだけだ。


 けれど、そのマイクは今もまだあの町に住んでいるはず。一人だけ無事でいたわたしに対して恨み言を言うことも無く、戦えなくても後進に知識を教えることくらいはできると、冒険者の教官をしていたはずだ。なら、このマイクはわたしの知っているマイクではない。



 ほかのマイクなんて、心当たりもない。一体誰が来るのか、まったく検討がつかなかった。そのまま待っていて、やってきたのはどこか見覚えのある顔。最後に会ったのはもう10年以上も前の、子供たちが産まれる前のことだから、同じ顔ではないのは当たり前だ。


「卒業以来か。元気そうでなによりだ。ジエンから聞いて、頭では理解したつもりになっていたのだが、アリウム、君は本当に昔のまま変わっていないのだな。過去に戻った気分だ」



 紳士のような雰囲気を纏いながら、小さく笑顔を浮かべてわたしにそう挨拶をしたのは、学園時代にしょっちゅう一緒に行動して、そして最後にはわたしに振られたポチだった。どこの誰かもわからない見知らぬマイクさんではなく、気心のしれたポチだった。


「ひょっとして、ポチなの?」


 ポチ?と、不思議そうにするジエンとリリアさん。苦虫を噛み潰したような顔をして、その呼び方はもうやめてくれと、昔とは違って普通の大きさの声で言うポチ。


 事情を説明してほしそうな二人にわけを話すと、二人はちょっと引いたような目でわたしたちのことを見た。改めて説明して見て思ったけれど、当時のわたしたちは色々とひどい。貴族の振る舞いとは思えないポチの難癖に、その理由があったにせよ今の今まで名前すら知らなかったり、高い貴族の子息に舐め腐った対応をしていたわたし。


 どんどん冷たくなる二人の視線に、若さ故の過ちだとポチと言い訳をする。ところで、過ちはともかくポチとリリアさんは今晩ゆっくり修羅場るらしい。過去とはいえ貴族にあるまじき行いのお説教と、完全に性癖が歪まされていることへのお話。まあ、大事な人の初恋の相手、それも多感な青年期のものが、わたしのようなちんちくりんなのだ。心配にもなるだろうし、気の迷いだったのか確かめたくもなるだろう。


 翌朝、リリアさんがやけにつやつやしていて、あなたのおかげで優良物件を捕まえられたとお礼を言われた。きっと修羅場を乗り越えて仲良くしていたのだろう。一晩でやつれたように見えるポチから、わたしは黙って目を逸らした。



 ポチたちのことはどうにかなって、そのまま何日かお世話になっていると、王城にいるらしいエフから手紙が届いた。なんでも、ディナーのお誘いらしい。王様になったエドワードと、王妃をしているエフ。かなり無理やりだけど時間を作るから、ひさしぷりに食事でもどうかとの事。頑張っているジエンの話や、わたしの今の活動の話、昔話なんかをしたいらしい。ついでに、師匠から私に食べさせるようにと肉が送られてきたから、それを食べてほしいと。


 師匠がそれを望んでいるのであれば、わたしが断る理由はないし、そうでなかったとしてもかわいい妹がご飯をと望んでくれているのだから断るはずもない。その時間にやらないといけなかったはずの公務を押し付けられる形になるポチには申しわけないと思ったけれど、これも仕事だからと言われてしまったらわたしが謝るわけにもいかない。



 そうして食事の日程が決まって、ジエンも普段はあまり話せないエフとゆっくり話が出来るのを嬉しそうにしていたら、突然前日になってジエンに招集がかかった。なんでも、王都から少し離れたところにある街道に盗賊が出たのだとか。



 本来なら対応にあたる部隊が、ちょうどタイミング悪く出払っていて、別件で理由があってあまり多くの人数を動かすわけにもいかないのだと。そんな中で、ジエンであれば実力は十分だから、盗賊程度が相手ならたやすくあしらえるだろうと候補に上がったと。


 他の人ではダメで、わざわざジエンの名前が挙げられたことが、それだけこの子の力がみんなから認められて、頼りにされていることが、親としては誇らしくもあり、同時にもう自分が守ってあげなくてもいいのだと、寂しくもある。



 息子の成長をそばで見てみたい気持ちもあったけれど、母さんはそんなことより食事に行ってきなよと言われてしまって、仕方なく諦める。わたしが凹んでいたら、そのことに気付いたのか、まだ見せられる程の腕がないから見られるのは恥ずかしいのだと、もっと腕を上げてから母さんを守るからと言って、ジエンが照れくさそうにしながら目を逸らす。どうしよう、わたしの息子、かわいい。




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