A22.私はね、最初からこのために全てを動かしてきたんだ。私の苦しみのために。なら、私が泣くのは当然じゃないか。

 テトラが消えて、なくなってしまった。わたしとテトラの戦いで傷つき、壊れてしまった部屋の中で、テトラが最後にわたしに伝えたことを思い出す。


 あの子は、始まりの場所と言った。師匠がそこでわたしのことを待っているのだと。始まりの場所。そんな名前の場所があるわけではないだろうから、わたしにとっての始まりの場所。そう言えばわたしならわかると、師匠が考えた場所。


 そんな場所は、きっと一か所しかない。テトラたちにとっての始まりの場所なら違うかもしれないけれど、わたしの始まりの場所であれば、それはずっと前にすべてが始まった、あのエルフの里に他ならないだろう。


「やあ、アリウム。遅かったね。娘たちとの最後の時間は楽しめたかな?楽しめたのなら、私としても大満足だ」


 前に師匠のことを探しに来たときには何も見つけることのできなかった、わたしが師匠に育てられた場所。力を、知識を、生きる目的を。すべてを与えられた、わたしと師匠の始まりの場所。わたしの世界が、師匠とわたしだけだった頃の古い思い出の場所。


 そこに、師匠はいた。今までの、いつもわたしに対して優しかった姿とは違う、超越的な師匠の一面。かつてのわたしがおじさんと呼んでいた、親しみのある雰囲気はそこにはない。


 けれど、納得した。戦う姿を見せることはせず、里の運営にかかわることもせず、ただそこにいるだけでみんなから敬われていたのは、この姿があったからなのだ。わたしの知らなかったこの一面があったから、師匠は、悠久の賢者は世界中で信仰の対象になっていたのだ。


「師匠……本当に、全部知っていたんだね。全部全部、師匠のせいだったんだ。ねえ、なんで?なんでこんなに酷いことが出来るの。なんで、わたしたちはこんなに苦しまないといけなかったの!」


 気圧されそうになるのを、必死に我慢する。エフの言葉から、テトラの言葉から、これまでの出来事の全てから、師匠が諸悪の根源だということはわかっているのに、まだ問いかけてしまうのは、どこかで否定してほしいと思っているからなのだろうか。ここまで来ても、わたしは師匠のことを信じたいのだろうか。


「なんで、か。いい質問だね。ここまで頑張ってきたのにそうか、君にはそんなことすら教えていなかったのだね。他の子達には教えていたから、君も知っているものだと思っていたよ」


 わたしの質問に答える師匠の様子はまるで、昔魔法を教えてもらっていた時のようだ。ひとつ大きく違うのは、わたしたちの関係性と、あの頃の師匠は、わたしに対してこんな風に、冷たい視線を向けてはいなかったということ。


「少し、昔話をしようか。なあに、そんなに長くなることは無いさ。ただ、君の師匠がどうして君を育てようと思ったのか。それを伝えるだけだよ」



 そうして話し始められたのは、わたしがずっと知らなかった、悠久の賢者の真実。何を経験して、何をしてきて、何を思ったのか。


 何のために師匠はわたしを育てたのか、何のためにわたしは作られたのか。知りたくもなかった生まれた理由を聞かされる。わたしの経験してきたことに、全ての偶然にに、奇跡に因果が結び付けられる。


 師匠は、自分の死のために、全部やってきたのだと言った。わたしに生きる意味を、生き方を教えてくれた師匠は、最初から死にたかったのだと。そのために、そんなことのために、わたしを利用してきたのだと言った。


「そんなこと、なんて言わないでほしいな。私にとってはこれが何よりも大切なことなのだから。君たちの命なんかよりも、よっぽど大切で、変えがたいことなのだから」


 心外だ、というように、善悪の判断もつかない子供に道理を説くように、わからないわたしが未熟なのだとでも言いたげに、師匠は言う。まるでわたしたちの事なんて、

 死んでいったあの子たちの事なんて何とも思っていないかのように。


 それが受け入れられなくて、何を思っていたのか、どう思っていたのか、聞いてみる。なんでこんなことができたのか、知りたかった。


「そんなことか。殺されたくらいで死ねるなんて、羨ましいと思っていたよ。死にたくても終われない命だってあるのに、あの子たちには当たり前に死があった」


 聞いたことを、後悔した。まともな言葉が返ってくるだろうと、あの温かかった日常は嘘ではなかったのだろうという期待は、簡単に裏切られた。


 もう、これ以上話をするのも嫌だった。あの子たちの命を、わたしたちのことをここまで軽く見た発言を、許せるわけがなかった。


「ああ、ありがとう。それが果たされることを、心から願っているよ。応援して、アドバイスをしてあげるから、せいぜい頑張ってくれ」


 その発言すら不愉快で、聞きたくなくて、黙らせるために攻撃を仕掛ける。死にたいからこんなことをしたと言っていたくせに、おとなしくわたしに殺されることはせず、食らった攻撃をすぐに回復させる。死にたいのなら、早く死んでしまえばいいのに、一向に命を落とそうとはしない。


「君の怒りはその程度なのか?それくらいの攻撃じゃあ、まともに傷つくことも出来ないじゃないか。それとも、私のことをあの失敗作と同じだと思っているのかな?」


 そうなのだとしたら、馬鹿にしているとしか思えないな。そんなことを言いながら、目の前の化け物はわたしを哂う。わたしの無力を、復讐すらまともに果たせないわたしを哂う。みんなの全てを台無しにした悠久の賢者が、わたしのことを哂う。


「未来のためにあがく姿は実に尊いものだ。努力が無駄になってしまったのは本当に可哀想だな。だが、それも力がなかったせいだ。もし君が自分たちの、未来を守りたいと思うのなら、全力で私に挑むことだね」


 そうしないと、今も、未来も、過去も、なんの意味もなかったものになってしまうのだから。この程度では君自身の命すら守れないんじゃないかと、もっと力を振り絞れと、悠久の賢者は言う。そんなこと言われるまでもなく、わたしは自分のために、こいつのせいで命を落とすことになったみんなの無念を晴らすために、終わらせなきゃいけないのだ。目の前にいるものに、ふさわしい結末を、罰をもたらさないといけないのだ。


「言葉だけじゃくて、早く実行に移すといい。時間も、君の力も有限なのだから。無駄なことに浪費している暇があるのなら、どうすればもっと効率よく使えるかを考えなさい」


 あおるような、急かすような言葉。殺さないとと思いながら、その発言にひっかる。本当にこのままでいいのかと、冷静な自分が語り掛けてくる。きっと目の前の魔王であったとしても死に至らしめるであろう技は、もう身に着けていた。あとは、それを使うだけ。そのはずなのに、それだけでみんなの無念を晴らすことができるのに、それではいけない気がした。


「私を黙らせたいのなら、それなりの行動で示せばいい。おあつらえ向きにも、ここはかつて、君の家族たちが私を殺そうとした場所じゃないか。あの扇風機は涼しいくらいだったけど、君はどうする?家族の汚名を返上できるかな?」


 悠久の賢者が、わたしの攻撃を誘う。それを撃たれることを望んでいるかのように、わたしが冷静さを失って攻撃するように、その一撃を誘う。


 気付けば、戦闘の場所はかつてエルフの広場があった場所に移っていた。偶然か、それともなにかの意図があっての事か。どちらでもいいけど、大切なのは一つ、この場所に、命が戻っているということ。あの日虫の一匹も、精霊の一体も残さずに消えてしまったこの場所には、あのころ以上の命が溢れていて、あの悲劇の跡を知っている精霊たちは、わたしに対して協力的だった。


 けれど、それだけであれば、できたとしてあの日の劣化再現。たくさんのエルフの戦士たちがやったことと同規模のことをするには、わたし一人ではどれだけ努力しても足りない。たとえ100人、1000人分を継いだとしても、処理能力が追いつかない。


 それをどうにかするのは、わたしがこれまで学んできた知識で、継いできた力で、それを支えてくれる精霊たちだった。一つ一つでは足りなかったそれらの全てが調和して、あの日里には現れなかった、真のブラストが完成する。文字通り、当たった全てを無に帰せるほどの、威力だけで見たらこの上ない一撃。


 それを撃てば、当てれば、全部が終わる確信があった。それを撃とうとして、走馬灯のように頭の中で思考が巡る。目の前の魔王を消し去るための一撃を、少しだけ下に逸らす。すべてを消し去る力の奔流がわたしから放たれて、悠久の賢者の下半身を消し飛ばした。先程までみたいに治ることのない、初めての有効打。


 それが当たったのを見て、消えた場所が再生しないのを見て、一瞬の思考をしみわたらせる。ただの思い付き。そんなもののために、確実に終わらせることをやめた。その終わりが、最善ではないと思ってしまったから。


 よりふさわしい終わりのために頭をめぐらせて、念のために残った両手を消し飛ばす。悠久の賢者は、師匠は、先ほどまでと違って抵抗すら見せなかった。わたしが一撃で消しきれなかった以上、まだ反抗も抵抗もできるはずなのに、何もせず、とどめを刺されるのを待った。


 その事実が、わたしの思考の正しさを補強する。師匠の望みが何だったのかを思い出して、その事実を正しく認識したわたしに、これでは師匠に対する罰にならないと確信させる。


「何をしているんだ。せっかく私のことを無力化したのだから、今のうちに憂さ晴らしするなり、殺すなりしないと駄目だろう」


 確認のために、宣告のために師匠を抱き起したわたしにかけられたのは、そんな言葉。先ほどまであった悠久の賢者としての雰囲気をなくした、ただに死にたがりの言葉。自分の行いに対する罰を求める言葉。それを受けてわたしは、許さないことを、罰を与えることを改めて伝える。


「なら、なおさら早くしなさい。私は今でこそこうして芋虫になっているが、いつ復活してもおかしくはないんだ。現に、何度かその技を受けたことのある私はまだ生きているのだから」


 この言葉はきっと正しくない。嘘こそついていないだろうけど、目的であった死を前にして、こうして何もせずにいるのは、これじゃあ自分の意志では死ねないから。早くしろとわたしをせかすのは、わたしがもう一度ブラストを放てば、今度こそ死ねると思っているから。


「……わたしは、師匠のことを許さないと言った。絶対に許さないと、そう誓った」


 だからこそ、わたしは師匠のことを許さないと言った。師匠は誰にも許されることなく、ずっと後悔し続けるべきなのだ。自分のしたことの罪深さを感じて、苦しみ続けるべきなのだ。



「わたしは、師匠のことを許さない。わたしの、みんなの人生をめちゃくちゃにした師匠が、一人だけ夢をかなえて死ぬことなんて、楽になることなんて絶対に許さない」


 少なくとも、わたしが満足するまでは。


「師匠には、ずっとこのまま、わたしが死ぬまで生きていてもらう。師匠が犠牲にした以上の人を幸せにするまで、ずっと近くで見て協力してもらう」


 わたしがもう終わっていいと思うまでは、わたしと生き続けるべきなのだ。


「師匠の夢は、叶わない。わたしが叶わせさせない。夢の叶わない絶望の中で、自分のしてしまったことを一生悔い続けて。それが、わたしが師匠に与える罰」



 だって、師匠は約束したのだから。全部が終わったら、また一緒に暮らしてくれると。旅立つ前の日に、約束してくれたのだ。ならば、それがたとえ思っていたものと違ったとしても、わたしたちの関係が、間にある感情が、全く考えていなかったものであっても、約束を守るのが筋だろう。



「は、ははは……」


 そう告げると、師匠は突然、壊れたように笑いだす。ずっとずっと、わたしが生まれるよりも前からの夢が、叶う直前で消えてしまったことに、心が持たなかったのも知れない。そう考えると少しかわいそうだと思わないでもなかったが、それはそれだ。たとえおかしくなっても、壊れてしまっても、師匠にはわたしと一緒に、全てを見ていてもらう。


「とつぜん笑いだして、気でも触れたの?でも、決めたものは決めたから。何を言っても、変えたりなんて……」


「なあ、アリウム。一つ、大切なことを忘れていないか?一人、大切な子のことを忘れていないか?」


 そのはずなのに、師匠は想像もしていなかったことを言った。師匠と一緒にいなくなって、エフやテトラのことがあったから、もうきっと無事ではないのだろうと思い諦めてしまっていた、わたしの最後の心残り。


「取り引きをしよう。いや、君に選択肢をあげよう、アリウム。君のかわいい孫娘、アイリスは今、私の魔法によって特殊な空間に閉じ込めている。この魔法をとく方法は二つ。私が自分の意思で解くか、魔法が維持されないようにするか」


 罪のないアイリスの命を守ることと、罪人である師匠に罪を贖わせること。どちらを選ぶべきかなんて、わかっている。わたしには、守らなくてはならない命があるのだ。まだ、あったのだ。それならば、師匠を終わらせて、あの子のことを助けなくてはいけない。


「……あの子は、どこにいるの」


「私の家、その中でも最も頑丈に作っている、私の書斎だよ。私が死んで魔法が解ければ、君に渡したお守りで中にはいれるだろう」


「師匠が自分から魔法を解くようにする。呪いでも、洗脳でも、拷問でも」


「それもいいかもしれないが、果たしてあの子が生きているうちに成功するだろうか。君も知っているとは思うけれど、赤子の命は儚いんだ。君が頑張ったとして、成功させるまでに何日かかるだろうね」


「……っ!そもそも、本当にそれであの子が助かるかわからない。あの子がまだ無事だという保証が、どこにもない」


「信頼、となると、信じてくれと言うしかないだろうね。信じずに後悔するのは君だ。ただ、私がこれまで一度でも、君に嘘を吐いたことがあったかな?君を傷つけるような、そんな嘘を吐いたことがあったかな?」


 信じられるわけがない。きっと、このままじゃ自分が死ねないからって、適当なことを言っているだけだ。そう思いたいのに、わたしは師匠に罰を与えなきゃいけないのに、自信ありげに話すその姿を見ていると、きっと本当なのだと思ってしまう。


「……師匠の、バカ。アホ。うそつき、ひとでなし」


 出てきたのは、そんな子供みたいな罵倒。わたしたちのことを利用しつくして、罰すら与えさせてくれない師匠に対する悪態。もっと言うべきことは他にあるはずなのに、いざその時が来たらこんなことしか言えなかった。


「死んじゃえ。死んじゃえ。しんじゃえ、しん、じゃえ」


 恨んだ。憎んだ。許せないと思ったし、許してはいけないと思った。なのに、いざその時が来てしまうと、胸の中にあったのは悲しみだけ。まともじゃない悪態すら思いつかなくなってしまった頭で、魔法の準備をする。


「そだててくれて、ありがとう。ずっと、だいすきだった……“ブラスト”」


 本当のお母さんに育ててもらった記憶なんて、ほとんど残っていなかった。わたしにとっての親は、師匠だった。たとえ裏切られていても、全部が師匠のせいだったとしても、わたしの中にあった気持ちは、本物だった。だからこれは、きっとわたしの最後の親孝行。


 収束された魔力が、力の奔流が、師匠のことを跡形もなく消し去る。最後に何か言おうとしているように見えたけれど、聞いてはいけない気がした。それを聞いてしまうと、決意が揺らいでしまう気がした。最後の師匠のやさしい表情が、瞼に焼き付く。



 後には、何も残っていなかった。復讐を遂げた達成感なんか欠片もなく、胸に泥でも詰まっているような、気持ち悪さだけがあった。

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