A6-4.怪しい街に入ってみましょう。ちょっとしか関係ないけど知らない土地って緊張するよね。しない?

 なにかすごく思わせぶりなことを口にして、そのまま何も無かったかのように戻ったモニカさん。信用していいのか悪いのかも、この人が何を知っているのかもわからないままだったが、やっと地面に降ろされたのでここからは自分の足でついて行く。本当はかなり心配だけれど、師匠が最初の行き先としておすすめしてくれた街なのだから、きっとそれほどおかしなことにはならないだろう。……ならない、はずだ。師匠はたまにわたしを困らせて遊んでいたりしたから、変なところをおすすめするというのが無くもなさそうなのが不安なところ。


 森をぬけてからもしばらく歩いて、あんなに小さかった人々がだんだん大きくなってくる。結構な距離を歩いたことで、モニカさんがしきりにまだ歩けるか心配してくれるが、師匠との修行で鍛えたわたしの足腰はそこまでヤワじゃない。そう思いながらも大丈夫としか返さないのは、前に同じことを言った時に足と腰をつままれてぷにぷにのやわやわじゃんと言われたからだ。乙女的には甚だ遺憾であった。


 さすがに会ったばかりのモニカさんがそんなことをするとは思いたくなかったが、無遠慮に抱えたり撫でてきたりと、この人もなかなかに警戒しないといけない相手だ。油断はできない。


 そうしてしばらく歩いていると、ようやく人の顔がわかるくらいの距離になってきた。とはいえわたしたちエルフはとても目がいい種族なのだと支障が言っていたため、ほかの人たちならまだそこまでは見えないだろうけど。しかしそこでようやくわかったことなのだけれど、街から少し外れたところにいる人たちは、何かを待って並んでいるようだった。そしてその列の進みは、びっくりするほど遅い。後ろの方に並んでいる人などは、夜明けまでに入れるかすら怪しいだろう。


「入街審査のことか?それはまあ、得体の知れないものを易々と街に入れては治安が危ぶまれるし、ここは人気のある街だから人が増えすぎてパンクしてしまう。そうならないように念入りに身元の照会をすると、どうしても時間がかかってしまうものなのだよ」


 あそこで何をしているのかと、なんであんなに遅いのかを聞くと、モニカさんはそう答えてくれた。その審査に通れなかったらどうなるのかと追加で質問すると、彼女はとっても笑顔になる。


「そんなの、資格もないのに街に入ろうとした不届き者なんて、そのまま放り出されるに決まっているだろう?ああ!街の安全を気にしているのだな?大丈夫だ、無骨な壁なんかない我らが街だが、堅牢な結界に守られているから、魔物や資格のないものは立ち入ることすら出来ない。それに、街の外は我々がいつも掃除しているのだ野党に襲われる心配もないさ」


 そういうことを聞きたかった訳では無かった。もっと違うことが聞きたかったのに、聞くことが出来なかった。それはそれだけわたしとモニカさんの常識が違うこともあるし、わたしから見たらちょっとひどいことを誇らしそうに話していることもある。


 それに、どのようなものであれそれがこの街の文化なのだ。師匠も、郷に入っては郷に従えと言っていた。だからわたしが気にするべきなのは資格のなかった人たちの末路なんかではなくて、わたし自身に資格があるかということ。


「そんなことを心配していたのか。なに、私が身元を保証すれば何も問題なく入れるし、そもそもアリウム、君は賢者の寵児なのだぞ。賢者街が、いや、賢者街に限らずどんな国のどんな街であったとしても賢者の寵児を入れないなんてことはありえない。もしそんなことをする街があればすぐにでも滅ぶことになるさ」


 モニカさんが保証すればいいのなら、もっとみんな入れてあげればいいのにとも思うが、そういうわけにもいかないのだろうか。それよりも、先程からたまに出てくる賢者の寵児というのがなんなのかとても気になる。あまり気にしないようにしていたが、これから入る街が賢者街で、わたしの師匠が賢者様と呼ばれていて、さっきから賢者の寵児と呼ばれていることを考えると、普通の街にはいるみたいに普通に過ごすことは難しそうだ。そもそも普通の暮らしなんてものをわたしは知らないけれど。里での暮らしも師匠との暮らしもきっと一般的とは言えないからね。


「まさかそのことも知らないとはね。賢者の寵児って言うのは、そのままの意味。偉大なる賢者様が特別な目をかけている存在のことだよ。右手の甲に特別な印をつけられた者はそのほとんどがなにか大きなことを成し遂げているのさ」


 だから誰もその者の邪魔をしてはいけない、そんな暗黙の了解があって、それを破るようなものは周囲から爪弾き、酷い場合だとなぶり殺しにされるのだとか。だから目立ちたくなければなるべくそれを光らせない方がいいよと、モニカさんは教えてくれた。師匠はなんて恐ろしいものをわたしにつけてくれたのだろう。


 いや、この場合はわたしがなんておそろしい存在に師事していたのかとおののくべきなのだろうか。けれど考えてみたらお母様だって師匠にはおいそれと話しかけられないと言っていたし、すごい人だという認識は一応あったのだ。ただ、わたしがそのすごいおじさんをサボりの理由に便利なだけのおじさんと思っていただけで。


 嫌な汗が出てくる。だって、このモニカさんは自分たちのことを賢者教団とか言っていたし、そもそも街の名前も賢者街。賢者様を呼ぶ時は偉大なる、と枕詞をつけている。もうどう考えても宗教レベルのなにかがあるだろう。宗教というものは聞いた話でしか知らないが、状況次第ではとても良くないものと教わった。


「さて、話をしているうちに街に着いたね。大丈夫、怖いものなんて、怖いことなんて何もないさ」


 並んでいる人達の横を歩いて、いくつかある受付の中の、一つだけ空いているところに向かう。ほかの受付とは違って暇そうにしているお兄さんはこちらに気付くと直前までとは打って変わってシャッキリとした様子になる。


 そのままいくつかモニカさんとお兄さんがやり取りをして、ちょっとバチッとされたらもう通ってもいいと言われた。バチッとしたので個人の魔力を登録して、これからは特に受付を通る必要がなくなったらしい。


 そのまま街に入って、夜なのに眩しい道を歩く。あの綺麗だった景色を作っていた光、やっぱりどれも近くで見たらたいしたものでは無い。わたしでも簡単に再現できるものばかりだ。あの綺麗なものの正体がこんな程度だと考えればガッカリしそうなものだが、わたしはむしろこんなものでも集まれば綺麗になるのだと感動した。


「夜なのに道が眩しいだろう?これはこの街ならどこにでもある街灯の魔道具によるものなんだ。ほかの街では見ることがないだろうからびっくりしたかな?」


 わたしが光を見ていると、モニカさんが解説してくれた。けれどもわたしはあいにくほかの街のことなんて知らないので比べられないし、物自体は特に変わったものでもないので驚けなかった。


 そのことを素直に伝えると、モニカさんは小さく苦笑いしてあまり大きな声で言わないようにと教えてくれた。これをみてそんなことを言うのは傍から見ると異質に映るから、積極的に周囲から浮きたいのでなければ言わない方が賢明だと。

 わたしのことを変な呼び方で呼んだり、特別扱いはするくせに、それを他の人には隠そうとするのだから、この人はやっぱり変な人だ。とはいえその計らい自体は助かるのでありがたく受け取る。


 知り合いがたくさんいるらしいモニカさんがいろんな人に声をかけられているのをすぐ横で見ながら少し歩いて、路地裏に入ったところの一軒家の前で、モニカさんは足を止めた。


「長い時間歩かせてしまってすまなかった。ここが私の家だ。あまり広い家ではないが、ゆっくりしていってくれるとうれしい」


 わたしにそう言うと、モニカさんは扉を開けて、誰かの名前と今帰ったぞと言った。


「おかえりモニカ、今日も怪我せずに帰ってこれたかい?……おや、お客さんが一緒だったんだね、僕はラリー、何もない家だけどゆっくりしていっておくれ」


 その言葉を聞いて、家の奥から出てきたのは一人の男の人。左手の薬指に着けられた指輪を見るに妻帯者で、少し疲れているようには見えるがそこまで年を取っているようには見えない。モニカさんが呼んだのが一人だけだから、他に外出中の人がいない限りこの家はこのラリーさんとモニカさんの二人暮らしだろう。ということは、この二人は夫婦だと考えるのが妥当だ。


「アリウム、紹介しよう。この男は私の夫で、学者をしているラリーだ。なよっちい見た目通り強くはないが、その分頭がとてもいい。何かわからないことがあれば、私よりこいつに聞いた方がいいだろう。そしてラリー、こちらはアリウム。今日森でキメラと戦っているところを保護した。賢者の寵児だから失礼のないようにな」


 それだけ言ってモニカさんの紹介は終わった。ラリーさんの説明はともかく、わたしの説明がまともな説明になっていないのに、勝手に家に置くことを決めても大丈夫なのかと思って口を挟んでみると、早速ラリーさんが説明をしてくれるという。


「これを聞くということはアリウムさんはあまり自覚がないみたいだけど、賢者の寵児っていうものはそれだけすごいことで、特にこの街においてそれは大変な意味を持つことなんだよ。詳しい理由については今は省くけれど、この街の中なら、寵児は基本的に何をしても咎められることはない。さすがに大きな犯罪とか人の命で遊ぶようなことをしたら話は別だけれども、軽い窃盗や傷害くらいなら問題ないんだ。だから君が賢者の寵児なら、それだけでこの家に滞在してもらう理由は十分なんだよ寵児様に滞在してもらったなんて、それだけでもこの街の中では自慢話にできるくらいなんだ」


 その言葉がどの程度真実なのかはわからないが、嘘を吐かれていなかったら本当にこの街はわたしにとって生きやすい環境になるのだろう。一番最初に師匠がおすすめしてくれたのも納得だ。


「というわけだから、何かあってもなくっても気軽に何でも相談していただきたい。もし、もし万が一何かお礼をしたいと思ってくださるのなら、その時はあなたの話を、寵児がどのようにして寵児になったのかを教えていただければ、何でもして見せよう」


 そう言いながら鼻息を荒くしつつわたしのことを眺めるラリーさん。この人が一体どうしてこんな風になってしまっているのかは、全くわからない。知らないことがたくさんあるから、わからないものがたくさんあるからそれを減らすために旅を始めたはずなのに、始まって初日で全く理解のできないものがたくさん増えてしまった。

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