未開の里の少女はいかにして邪悪のしもべに成り下がったのか

 谷の底には、神様がいる。大層慈悲深くて、私達のことを愛してくれていて、願いを告れば叶えてくださる神様が、そこにはいる。


 そんな言い伝えが、この里には存在した。そんな、存在するはずもないカミサマとやらをありがたそうに祭り上げる、バカバカしい言い伝えがこの里では当然のように正しいものとして扱われていた。


カミサマなんてそんなもの、本当にいるわけがないじゃない。少し考えればわかるのに」


 昼間の焼けるような日差しと、それとは対照的に冷え込む夜。この里の日常だ。陽射しから隠れようと木陰に入ればそこは魔物の楽園で、比較的涼しくはあるけれどどこから襲われるかわかったものではない。寒さから身を守ろうと周囲を囲めば、危険な魔物の接近に気付けない。温度変化が少ない地下に隠れていられるのは、身を守る力のない子供くらいのものだ。


 雨が続けばそれも叶わず、雨が降らなければ簡単に干上がる。目の前の谷底に水は流れているけれど、険しいそこまで取りに行くことは叶わない。


 もし本当にカミサマとやらがいるのなら、すぐにでも私たちを助けてみろよ。助けてくれないのなら、そんなカミサマいないのと一緒だ。仮に居たとしても、いないのと一緒だ。


 だから私は、里の儀式には参加しなかった。そのことで私を咎めるものもいくらかいたが、そうする頃には私は自分の食い扶持以上を賄えていたので、文句は言われなかった。


「こら、セレン。そんなことは言うものではないよ。カミサマの、ユウキュウのケンジャ様のおかげで我々は今日この日まで生き延びることが出来たのだから」


 そんなふうに、私のことを優しく窘めるのは私の父さん。父さん、とは言っても実の父親かは知らない。と言うより、この里において血の繋がりがわかる肉親は母親だけだ。外の世界にあるという、結婚なんて制度はこの里にはない。


 だから、父さんと呼んでいるのは、私がこの人が父親だったらうれしいからだ。変わり者で、里のはみ出し者で、誰よりも色々なことを知っている人。この里の中がおかしいことも、外の世界には異なる常識が存在することも、全部父さんが色々なところから拾ってきた書物による知識だ。


 そんな変わり者の父さんでも、カミサマのことは絶対だと信じていたのだから、それすら信じない私はよっぽどの変人なのだろう。まともに話しかけてくれる相手が父さんしかいない時点で、わかりきったことだけれど。



 里のハズレにある、私と父さんしかいない担当場所で、基本交互に魔物の襲来を警戒しながら過ごす。たまに森の中まで入っていって魔物たちを間引して、それ以外の時は変わらない生活だ。大規模な魔物の襲来と、誰かが死んだ時以外はほかの人たちとの関わりはない。こういうのを村八分というらしいが、正確にはその呼び方も少し違うのだとか。


 本来の村八分は、人が死んだ時と火事の時だけらしい。この里では魔物の襲来、つまりはみんなで協力しないと全員が危ないときで、一般と違うのは人が死んだ時の方。


 普通なら、村八分されている人はよそのお葬式には呼んでもらえないそうだ。でも、私たちの里では違う。人が死んだ時は、仲間の戦士が死んだ時は、その未練と力を引き継がなければいけないのだ。幼い子供からもう先の短い年老いたものまで、みんながみんな集められて、その亡骸を食らう。私たちには、食べられることで自分の力を残す機能があるらしい。


 それは、はみ出しものでも一緒だ。はみ出しものだからと仲間に入れずに一人だけ力を引き継げなくても困るから、中身が悪いからって食べずにいて貴重な力を失うのは勿体ないから、この時ばかりは誰も何も気にせずに集まる。たとえどれだけ仲が悪い相手のものであったとしても、食べる。



 この風習も、バカバカしいと最初は思っていた。けれど、いざ経験してみたら違いがわかってしまったのだ。口にするだけで体調が悪くなったその肉を食す前後で、わたしの能力は大きく変わった。偶然や勘違いなんて言葉ではごまかせないほど、劇的に変化した。


 だから私は、馬鹿みたいな思想に染っているこの里の連中でも、仲間だと思っているのだ。それを食べることに躊躇は無いし、自分が終わった時に、食べられることにも抵抗はない。


 偉大なる先達より継ぎしものを後進へ。


 この考えを持っている間は、私はこの里の民なのだ。そしてそれはきっと、いつまでたっても変わらないことだろう。




 嫌っていながらも仲間意識だけは絶やさずに過ごして、変わった年が来た。妙に雨が少なくて、魔物たちにも例年の活気が見られない年。父さんは何やら深刻そうにしていたけれど、私はまだ雨季が来てないだけだと思って気にしていなかった。多少雨が少なくても、地下にはちゃんとため水がある。少し節水を心がけることにはなるかもしれないけれど、そんなに大事になるとは思っていなかった。


 結局この年に起きたのは、起きてしまったのは父さんも経験したことがないという大干ばつ。待てど暮らせど雨季は来なくて、ため水もほとんど残ってはいなかった。


 そうしてみんなの話し合いで決まったのは、神様にお願いしようというもの。バカバカしい。|神頼みなんてする暇があるなら、森の中から飲み水になりそうな何かを探してくるとか、建設的な解決策を考えればいいのに。


「セレン、そんなに膨れるんじゃない。大丈夫だ、何かあったとしても、その時は私が何とかする方法を見つけてみせるさ」


 そう言って笑っていた父さんが、笑顔を失って文献を読み漁るようになったのは、その数日後のことだった。


 話はどんどんおかしい方向に向かっていく。神様に頼るべきだ。なんとお願いすればいいのやら。たしか、供物を捧げるのだとか。それは素晴らしい、何を捧げればいいのだ。水に酒、果物に肉。それとそうだ、神様にはうら若き乙女を捧げるのが一番だとか。はて、この里におぼこなどおっただろうか。いるではないか、繁殖の義務から逃げ続けている、変わり者の生娘が一人。おお、まさかこの時のために一人守り抜いてきたとでも言うのだろうか、素晴らしい心意気だ。


 話は私の手の届かないところでどんどん進んでいき、大きくなっていく。あとから知ったことなのだけれど、父さんは私が供物に選ばれるのを止めるために、反論となる記述を探していたのだとか。けれども見つけることはできずに、むしろそれを肯定するものばかりが、その効果の高さを称賛するものばかりが見つかったのだと。


 父さんは、私のことを大切に持ってくれていたはずだ。けれども、私も父さんも、ここの里から離れることを知らないし、知っていたところでそれを実行することは出来なかった。


 そして、父さんは神様を信じていた。この里の中でそれを信じていないのは、私一人だけ。みんなが信じている神様のために、1人だけ信じていないものを供物として捧げる。それは、みんなにとってはこの上なくいい手段だった。誰にとっても都合のいい選択肢だった。


 唯一止めてくれそうな父さんは、誰よりも供物の知識を増やしたことで、誰よりも私を供物に推すようになった。


 偉大なる先達より継ぎしものを後進へ。


 私にこの精神があるのなら、みんなのために死ぬことを選べと言われる。谷のそこに住む神様のために、偉大なるケンジャ様のために、この身を捧げて、願いを叶えてもらうのだと。


 私にはとても、許容できることではなかった。できることではなかったけど、嫌だと言ったらきっと今のみんなは私の手足を落としてでも谷底に叩き込むだろう。そうするだろうと思ってしまうだけの狂気が、その瞳には宿っていた。


 だからひとまず話を受け入れて、逃げ出す隙を探す。逃げたところで魔物の餌になる以外の可能性は低かったけれど、何もせずに投身自殺するのに比べたらまだマシだ。いや、どちらも嫌だけど、比較の問題。森の方に逃げれば、まだなにかの奇跡が起きて人里に出られるかもしれない。本の中でしか見たことがない外の世界に出られるかもしれない。


 そう思ったら、少しマシな気持ちになった。そんな微かな希望を胸に抱かないと、おかしくなってしまいそうだった。


 なるべく早く儀式をするべきだという声と、森の様子がおかしいから、今は少しでも戦力を残しておくべきだという声。幸いと言っていいのか、採用されたのは後者だった。最後の一仕事、後進を少しでも残すために戦えというのが、みんなの選択だった。



 それ自体に否はない。私が一人だけ森に逃げるとしても、みんなにいなくなってほしいわけではない。それくらいの仲間意識は私にも残っているし、私が逃げるとしても、ある程度数を減らしてから襲撃の騒ぎに紛れた方がやりやすい。


 そう思っていたら、私が今回割りあてられた場所は普段の端っことは違って中心部に近いところだった。なんでも、供物が間違えて死んでしまったら困ったことになるから、少しでも安全な場所でと言う気遣いらしい。死ぬ事が決まってからみんなに尊重されることになるなんて、世界はやっぱりクソッタレだ。


 しかし、これのせいで私は逃げ出すことが出来なかった。周囲の監視が沢山いるのだから、そりゃあ簡単には逃げられない。もし私の内心までわかってこの配置にしたのだとすれば、これを考えた人は私のことをよくわかっているのだろう。


 襲撃は、私が知る限りで一番の被害を出して終息した。里の人間の一割が命を落としたのだから、被害の程はわかりやすく甚大だ。きっといつもの場所で応戦していたら、私も命を落としていただろう。


 けれどそうはならずに、私は生き残った。生き残って、逃げられなかった。そうすると、供物としての役目は継続だ。


 やってしまったなと思っていたら、私の儀式よりも先に先達からの拝領を行うらしい。僅かに寿命が伸びた。


 私たちの里の中の、最も神聖な儀式。命を落とした仲間を、残っている仲間たちの全員で食べること。仲間の証。当然私もそれには参加するつもりだったのだが、これから供物として捧げられる私がみんなの分を奪って継ぐのは不適切だと言う意見が出たらしく、私はハブられてしまった。お前はもう仲間じゃなくなるのだから、継ぐ必要はないと言われてしまった。



 供物として捧げられることが決まっても、ひとりで逃げ出す覚悟を決めても、変わらず保っていた仲間意識は、同胞に対する情は、それを聞かされた瞬間にびっくりするほど簡単に消えてしまった。


 ああ、もうこの人たちは私のことを仲間だと思っていないのだと。私は逃げると決めてからもみんなのために戦ったと言うのに、この人たちは私を供物としてしか見ていなかったのだと。


 そう理解したら、私のみんなへの思いなんてものは消えてしまった。なんでこの人たちのために戦っていたのだろうと疑問に思ってしまうくらい、跡形もなく消えてしまった。


 だって、この人たちは私のことを犠牲にしてでも自分たちが生き残ろうとしたのだ。それも、ちゃんとした手段ではなく、カミサマへの供物なんて馬鹿みたいな方法で。


 そんな連中のために、私が犠牲になる理由が果たしてどこにあるだろうか。なんで、私が犠牲にならないといけないのだろうか。それなら、犠牲になるのはこいつらでもいいじゃないか。


 魔法を使う。これまではみんなのために、守るために使っていた魔法を、生き残るために、傷つけるために使う。私のことを仲間として扱ってくれないのであれば、私も仲間として気を使う必要は無い。


 父さんが持っていた本の記述によれば、生き物は空気が減ると生きていけないのだそうだ。空気の量が減ってもダメで、たとえ短い時間であっても気絶したり、障害が残ったりするらしい。


 最初読んだ時はどういう意味なのかわからなかったけれど、思い当たる節があった。人が集まっているところだと息が苦しかったり、火の近くだと頭が回らなかったりすることのことだ。あれをもっと強くすれば、人は死んでしまうのだ。


 それなら、やってみればいい。幸いなことに、里の住民のほとんどは疲れていて、しかも拝領のために一箇所に集まっている。まさに、今やれと言わんばかりではないか。


 今なら、やれる。今やれば、私は助かるかもしれない。助かったところでひとりでここに残されたらそう遠くないうちに終わりは来るだろうが、みんなを継げば生きて森を抜けられる確率も上がることだろう。


 そう思ったら、気がついたら魔法を発動していた。バタバタと、人が倒れる音が聞こえる。私がやった。私が、生きるためにやった。


 音が消えて、魔法を止める。みんなが生きているのか死んでいるのかはわからないけれど、倒れて動かなくなっているのなら、それを処理してしまうのはひどく簡単なことだ。動かなくなった置物にとどめを刺すだけ。躊躇いさえしなければ、子供でもできる。


 それでもすぐにできなかったのは、全員分できなかったのは、きっと私が躊躇ってしまったからだろう。首に刃を刺して、ビクンと震える体を、吹き出した血が辺りを赤く染めるのを正気では見ていられなかったからだろう。


 数人、残してしまった。空気を減らすのが足りなかったのか、意識を取り戻してしまった人がいた。子供でもできる簡単な作業が、子供じゃできない作業に変わる。


 でも、疲れ切っていて、直前まで気絶していた戦士たちだ。それに対して私は普段よりもだいぶ楽ができたので、まだまだ余力が残っている。いくら数の差があるとはいえ、足元がおぼつかないものたちが相手なら、結果は一目瞭然だ。


 みんなみんな、殺してしまった。数人でも残しておけば、次は私が殺されるのが目に見えているから、仕方がなかった。一人目をやった時点で、いくら後悔しても私は戻れなくなってしまった。


 最後に残ったのは、残したのは、父さん。こんなことをした私のことを見て、一体何を思うだろうか。軽蔑されるかもしれないし、罵倒されるかもしれない。それでも、最後に父さんと話したかった。話もしないで終わるには、私の中で父さんの存在は大きすぎた。



 父さんの呼吸があることを確認して、目覚めるのを待つ。少し間はかかるかもそれないけど、きっと目覚めることだろう。もし父さんが許してくれれば、その時は二人で森のことを目指してみるのもいいかもしれない。変わり者で外に興味を持っていた父さんなら、もしかすると一緒に来てくれるかもしれない。


 そんな淡い期待をしながらしばらく待つと、身動ぎの音が聞こえた。父さんが動いた音だ。目を覚ました父さんは辺りの惨状に悲鳴をあげると、その中で座っている私を見つけて駆け寄る。


 かけられた言葉は、何があったとか、大丈夫かとか、そんなもの。私に対する心配と状況への説明を求めるのが半分ずつくらい混ざって、こんな状況でも私の心配をしてくれる父さんに愛しさが込上げる。


 でも、伝えるのは私が犯人だということだ。みんな私が終わらせて、私は自由になるのだと。ここにはもう居られないから、森の外に行こうと思っていること。そして、父さんにも一緒に来てほしいということ。



 理解することを拒むように頭を振る父さんに、決断を迫る。一緒に行ってくれるなら、一緒にみんなを継がなくてはいけない。もしそれ以外を選ぶのなら、私と敵対するにしても、この場に一人残ろうとするにしても、からちゃんと継いであげなくてはいけない。父さんが一人でいたとしても、待っているのは魔物に食われる運命だけなのだから。



「……それほどまでに、供物となる運命は受け入れられなかったか」


 私の動機にすぐに気付いたらしい父さんが、そう尋ねる。ほかの人たちはなんでとか、どうしてとか言うだけだったのに、すぐに気付いてくれたのは父さんの頭の回転によるものか、私に対する深い理解によるものか。


「そうだろうな。当たり前だ。お前は賢い子だから、神様がいなくても生きていけるのだ。神様がいないという事実をそのまま受け入れられるお前にとっては、いもしない空想に縋る我々はさぞ愚かに見えたことだろう」


 言い方はだいぶ悪いけれど、その通りだ。少し考えれば分かることなのに、妄信的に信仰しているそのあり方が理解できなかった。助けられたことなんて一度もないくせに、小さな幸いを全部神様のおかげだとありがたがるのが気持ち悪かった。私たちが食べ物にありつけたのは、私たちが頑張ったからだ。いもしない神様のおかげなんかじゃない。


「ははっ、お前は賢い。そして強い。だから、お前に神様はいらなかったんだろうな。でも、みんながそうあれるわけじゃないんだ。私たちは、ダメだったんだ」


 父さんが何を言いたいのかが分からない。父さんが色々なことを教えてくれたおかげで、たしかに私は知識が多いかもしれないけど、それを十分に使いこなせるほど賢くない。強さだって、本気で戦ったら私は父さんには勝てないだろう。


「日々の生活が苦しい。もっと、休みたい。外の世界の幸せそうな話を知れば知るほど、自分たちの環境が許容できなくなるんだ。だからといって私たちはこれ以外の生き方を知らない。外に出る勇気もない。そんな中でずっと生きているとな、壊れてしまうんだよ。苦しいのが、理不尽なことがただ偶然だなんて、そんなふうに考えたら心が持たないんだ。

 私たちも本当は知っているんだ、生贄なんて意味は無いって。あの谷に落とされても、どこかでなにかの餌になるだけだって。それでも、生贄ということにしないと、1人分の飲水を節約して雨を待たないと、みんなが死んでしまうんだ。仲間を殺す理由を神様のせいにしないと、心が折れてしまうんだ。ありもしない救いにすがらないと、もう、立ち上がることすらできないんだ」


 こんなの、知らない。こんなに深い悲しみの中にいる父さんの顔を、神様のことを否定している父さんを、私は知らない。


「だからどれだけ馬鹿らしくても、私たちは神様を信じていたんだよ。信じていると、いつか救われると、そう思い込むために。お前は賢い子だから、きっと受け入れられないだろう。でもわかってくれ。私たちは、そう生きるしかなかったんだ」



 だったら、なんだ。私がおかしいと思っていたのは、自分たちを守るためにおかしくならざるを得なかったものたちで、私はそのことにすら気付けなかったのか。そんなにも、私は愚かだったのか。


「供物、なんて言っていたものも、元々はただの昔話だ。我々を作った悠久の賢者様を持て成すために、子供の肉を捧げたという話。それにならっただけだ。ごめんな、セレン。お前を犠牲にするのは心苦しかったが、お前がいれば、いつか里が壊れてしまう。それを防ぐのが、みんなの総意だったんだ」


 そんなの、嘘だ。嘘に決まっている。だってそうじゃないと、父さんが理性的に、カミサマも何も関係なく私が死ぬことを受けいれたことになるじゃないか。その理由として生贄を使っただけになってしまうではないか。


「ああ、失敗だった。お前がそこまで神様に忌避感を示すとは。お前がそこまで生に執着するとは。読み違えた。我々は間違えたのだ」


 父さんは、そう言うと腰から短剣を抜いて、それを自分の首に向ける。


「セレン、お前には本当に申し訳ないことをしたと思っている。お前が生き延びるのなら、その姿を見てみたかった。私のような中途半端なものではなく、完全に我々から外れたお前が何になるのかを、この目で見たかった。でも、私には結局この里の暮らししか見えていなかったんだ」


 そう言って、父さんは短剣を大きく離す。やめてほしい。まるで、このまま自死を目論んでいるみたいじゃないか。私に言いたいことだけ言って、一人で楽になろうとしているみたいじゃないか。


 止めたいのに、言葉が出なかった。私が簡単に考えていて、深く考えなかったことに、一方的に見下してた人たちに、そんな事情があったなんて知らなかったから。私程度で思いつくことを、これまで誰も考えていなかったなんて、みんなのことを軽く見ていたから。それが間違いだったと告げられた時に、返せる言葉を私は持っていなかった。


「偉大なる先達より継ぎしものを後進へ。お前が我々の最後だ。どうか、我々の歴史を無に帰さないでほしい。私たちの歴史に意味があったのだと、証明してほしいい。最後の継ぎ手であるお前に、我々の全てを託そう」


 そんな呪いを残して、私に自分の矮小さを知らしめた上で放り出して、父さんは自らの命を絶った。もう何も残すことはないとでも言わんばかりの、清々しいまでの死。


 残されたのは、これまでの自分を保っていたものを奪われて、父さんが言うところの強さをすっかり失ってしまった私だけ。里の教えのせいで、父さんの最後の言葉のせいで、自らの命を絶つという選択肢すら奪われた私だけ。


 偉大なる先達。そうだ。私は、彼らから継がなくてはいけないのだ。彼らが蓄えてきたものを、彼らが引き継いできたものを。そうするのが、最後に残ってしまった、残ることを選んでしまった私の義務なのだから。みんなのことを食べつくして、その身に宿る全てを引き継がなくてはいけない。最後に残された私にしか、それはできない。


 継ぎしものを後進へ。私はみんなの、先祖の存在意義を示さなくてはいけない。最後に残されたものとして、みんなの存在は無駄じゃなかったのだと、みんなの苦しみが何かのためになったのだと誇れる何かを残さなくてはいけない。それができないのなら、わたしも次のだれかを見つけて、継がなくてはいけない。




 ああ、私は、みんなに誇れるだけの何かを為すか、それを為せそうな人に食われなくてはいけないのだ。そのどちらかを為すまでは、死ぬことすら許されないのだ。だって、それは責任を放棄して逃げることになるから。



 その責任の重さに、とても一人では耐えられない重圧に、気持ちが折れそうになる。でも折れることはできないから、そんなことは許されないから、とりあえずできることとしてみんなを食べた。命を失った肉は数日でダメになったしまうと知っていたから、なうるべくだめにならないうちに。里のみんなの肉を、食べれるうちに食べきらないといけない。そうしないと、先祖から繋がってきたものを無駄にすることになる。それは、ゆるされないことだ。


 だから必死にみんなのことを食べて、それ以外の何もわからなくらいそのことに集中して、その中で、私は谷底から飛んで現れた存在に出会った。


 現れたのは、私たちとは比べるまでもないくらい肌が白くて、耳が短い一人の青年。年の程は分からないけれど、私よりは年上だろう。突然現れて、みんなを奪うつもりなのかと警戒する。この人たちは、私が継がないといけないのだ。どれだけ僅かであっても、他の人に分けてやる分なんてない。


 何か嫌な雰囲気も感じるし、何かをされてからでは、みんなを奪われてからでは遅いのだ。随分派手にやったねぇなんて興味深そうに辺りを見回しているこの人が、まともな人である可能性は極めて低いだろう。なら、やられるよりも先にやるしかない。


「うーん、喧嘩っ早いなぁ。ただ面白いものを見たから話が聞きたかっただけなのに、どうしてこんなに敵意を向けてくるのか。教育かな?仕方がない、私が直々に礼儀を教えてやろう」


 確実に首を切ったはずなのに、何事も無かったかのようにそれは話続ける。いや、コレにとっては首を切られるくらい、本当になんでもないのだろう。吹き出たはずの血が首に吸い込まれていって、切り口がくっつく。


「目上の人と話す時は、敵意をさらけ出してはいけないんだ。私は心が広いから気にしないけど、相手が短気だったらこんなことになってしまうかもしれないからね」


 目の前から、男の姿が消えた。それと同時に、何が私の頭を掴む。直後に感じたのは顔面の熱と、少し遅れてきた痛み。地面に頭をたたきつけられているのだと、少しして気付く。


「悪いことをしたらごめんなさいって謝る。簡単なことだけど、大切なことだよ。いきなり首を切るなんて、私じゃなかったらどうなっていたかわからないんだから」


 お前じゃなければ、それだけで死んでいたんだよ。みんなも、それで死んだんだよ。

 そう言いたかったけれど、言葉にしようとする度に顔を叩きつけられて、できなかった。唯一言葉にすることを許されたのは、ごめんなさいの一言だけ。それを聞くと、男は満足そうに私から手を離す。


 ちゃんとごめんなさいができてえらいねと言いながらにっこり笑って、何があったのかを話させられる。


「供物、生贄ね。馬鹿なことを考えるものだなぁ。そんなことしても意味なんてないのに。無駄なことのためにがんばって、そのせいで死んでしまうなんて、なんてもったいない」


 話を聞いた男の感想は、私が感じていたことと同じだった。私が思っていたことと同じだった。同じのはずなのに、私と変わらないはずなのに、何もにんなのことを知らないこいつが勝手にみんなのことを笑うのが、ひどく不快だった。



 お前に何がわかると、みんなの何がわかるのだと言うと、男は面白そうに笑いながら、自分は君が言う悠久の賢者だからねと告げる。生贄なんて捧げなくても、頼まれたら雨くらい降らしてあげるのにと指を鳴らしたら、どこからともなく雲が現れて乾いた土を濡らした。




 なんで、今なんだ。私がみんなを殺してしまって、もう何も残っていないのに、あれだけ足りなかった水が私一人の分なら余裕で賄えるようになってしまった後で、なんで。


 この雨がもう少し早くもたらされていれば、きっと儀式の話はなくなっていた。私はみんなを手にかけることなく、父さんから本当のことを知らされることもなく、これまでの生活を続けられていたのだ。たとえそれが表面上の平穏に過ぎなくても、いつか崩れるものだとしても、浸っていられたのだ。


 こいつが、この男が、もう少し早く来てくれれば、こんなことにはならなくて済んだ。こんなに苦しむことも、考えることも、しなくて済んだ。


「面白いことを言うね。確かに君の言う通り、私がもっと早くここに来ていればこんなことにはなっていなかっただろうね。けれども、私が今日ここに来たのはただの偶然、頼まれてきたわけでもなければ、来なくてはいけなかった訳でもない。それなのに、遅かったと文句を言われても困ってしまうよ」


 それに、と賢者は続ける。


「君の話を聞いた限りだと、そんなすぐに儀式とやらをする予定ではなかったんだろう?それなら、君が何もしなければ助かっていたんじゃないか。私が来るのが早くなくても、助かったはずの命だったんだよ。それを殺してしまったのは君だ。私ではない」



 考えないようにしていたことだったけれど、考えてみたら本当のことだった。私はいつ捧げられるのか、まだ決まっていなかったのだから。


 何もしなくても助かったのに、私が殺してしまった。父さんも、みんなも。誰も彼も、私のせいで死んだ。その事実で、後悔で、頭の中がぐちゃぐちゃになる。殺さなくてもよかった人を殺してしまった。継ぐ必要のないものまで、継いでしまった。今度は私が誰かに残さないといけないのに、そうする相手はどこにも残っていない。私にはもう何も残っていなくて、ただ後進に残す義務だけが残っていた。



「かわいそうに。自分のせいで何もかもを失って、でも残されたものがあるから楽にもなれないんだね。きっとこのまま君は、先祖からの繋がりを無へと帰してしまうのだろう」


 私のせいだ。私が逃げられていれば、こんなことを考えなければ、諦めていれば、丸く収まったのに。そうしなかった報いが、何も残らないこれだ。


「大丈夫、私が君のことを導いてあげよう。いるかもわからない神様なんかじゃない、君の目の前で雨を降らせて見せた、君が信じていなかった悠久の賢者が、君の仲間たちが信じていた私が、君に道を示してあげよう。君がその全てを継ぐのにふさわしい人を、君に宛がってあげよう」


 いつかの父さんのように、優しく私を抱きしめながら、はそう約束してくれた。賢者様に従っていれば、私は役目を果たせるのだと。ちゃんとふさわしい相手に、みんなを継ぐことができるのだと。


 賢者様のことは、怖い。何を考えているのか分からないし、私の考えていることは全部伝わってしまうし、できれば近くにいたくない。でも、みんなを無駄にしてしまうことは、それ以上に恐ろしかった。何もわからないところで一人残されて、消してしまうのは耐えられなかった。


 賢者様に協力してもらって、みんなの体を食べ尽くす。協力と言っても、食べたのは私だけで、賢者様にしてもらったのは肉を保存することだけだ。そうして全部食べると、私の体は以前よりも黒くなったように感じた。みんなが宿った証拠のような気がして、少しだけ安心する。ちゃんと、みんな継げたのだと。




 そうして賢者様に連れられて、私は森の外に出ることが出来た。あれだけ出ることを夢見ていたのに、やっとそれがかなったのに、綺麗なはずのその景色は何故か、ひどく色褪せて見えた。

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