A21.生みの親と育ての親、どちらに感謝しているかってことだよね。気持ちは手遅れになる前に伝えておかないと

 気がつくと、エフの姿はどこにもなかった。いや、この言い方は正しくない。エフの姿が無くなっていたのではなくて、エフだったものがそこにあった。見るも無惨に食い荒らされた、人の痕。それがエフだったことは、ズタズタになった服装からわかる。そして、それをしたのがわたしだということは、重たくなったお腹と、口の中いっぱいに広がる生肉の味で理解ができた。


 おかしくなったわたしが、エフのことを食べたのだ。エフにおかしくされたわたしが、エフのことを食べたのだ。理解はできないししたくないけれど、それが事実だということは漠然とわかった。


 おかしくなっていたはずなのに、自分を取り戻したばかりのはずなのに、嫌に冷静な自覚がある。まるで何かに干渉されたかのように、他人事のように、自分の現状がわかる。


 自分がおかしくされて、エフのことを食べて、正気に戻った。わたしが無意識下で目を逸らしていた真実は、師匠がわたしの仇で、敵で、諸悪の根源だということは、暴かれてしまった。もう今さら、知らなかったことにはできないくらいに。


 それは、唐突に訪れた別離。別れるのが受け入れられなくて、捨てられたと信じられなくてこんなところまで探しに来たくせに、事実はこんなものだったのだ。これなら、ただ師匠に捨てられただけの方がよっぽどマシだった。


 色々な思いが頭の中でぐちゃぐちゃになって、叫び出したくなる。また、おかしくなってしまいそうになる。そうなれてしまえた方が幸せかもしれないなと思いながらエフだっだものを見ていると、異常に気がついたのか部屋の外から騒がしい足音が聞こえてくることに気付いた。


 どうしようか、どうするべきかと他人事のように考える。冷静なだけで、いつもみたいに回ってくれる訳でもない頭で考えて、何も思いつかないままたくさんの人に囲まれる。囲まれて、刃先を向けられる。


 両目がずくんと疼いたのは、その時だった。突然、最初から備わっていたもののように、その使い方がわかった。野生の動物が生まれた直後から立ち上がれるように、それが出来て当然のように、使い方がわかった。


 使い方は、簡単だった。魔法を使う時のように、両目に力を込めるだけ。ただそれだけの簡単なことで、直前までわたしに武器を向けていた兵たちはそれを下ろし、少し遅れてやってきたエドワードは兵たちにエフの残骸を処理するように命じる。


 誰も、それに対して違和感を持たない。明らかにおかしい事態のはずなのに、そうあるのが当然かのようにわたしの都合のいいように物事が進んでいく。兵の一人に尋ねてみても、エフのことを忘れているわけではなかった。エフがこの国の王妃だということも覚えているし、優しくて理想の王妃だと絶賛もしていた。


 なのに、そのエフが死んでいても何も思わないのかと聞いたら、あなたがそうしてしまうだけの理由があったのでしょうと、澄み切った目で言う。わたしとは初対面のはずなのに、わたしのことを疑いもしない言葉。


 目の前のものが、人間だとは思えなかった。わたしの知っている、自分の意思で考えて、経験で育って、幸せを目指す生き物と同じだとは、思えなかった。


 けれど、わたしが直接聞いた兵だけではなく、きっとほかの兵たちも同じなのだ。わたしのことを疑いもせず、おかしな事態も受け入れられてしまう、歪な状態。彼らをそうしたのは、わたしだった。わたしがエフから継いだ、この目のせいだった。


 周囲が、とても気味の悪いものに見える。人が、人形に見える。まるで子供たちのおままごとの世界にでも紛れ込んでしまったかのような、凄まじい違和感。


 この場所に、少しでもいたくなくて、なにかに呼ばれるみたいに、この場所から追い出されるみたいに、家に帰る。誰もいないはずの家に、空っぽのはずの家に帰る。誰もいなければ、目の力なんて関係ないから。相手がいなければ、普通の目と変わらないから。


 人から逃げるために、一人しかいない家に帰る。家を出た時とはまるで反対の気持ちになっていて、欠片ほども面白くないのに乾いた笑いが出た。こんなの、笑いでもしないとやってられない。


 目を何とかできるまでは、しばらく一人で閉じこもっていようと思っていると、誰もいないはずの家の中から嫌な気配を感じた。いつもの魔王のしもべと比べるとだいぶ小さな気配で、師匠のことを知る前であれば、気の所為で済ませてしまったような弱い気配。


 けれど、師匠がわたしの敵だとわかっていれば、この家の中で魔王のしもべがいてもなにも不思議ではない。しもべどころか本人がいたのだから、何も驚くようなことじゃない。どちらにせよ、何が出てくるにせよ、わたしのすることなんて、全部斬り捨てるしかないのだ。たとえエフの言うように、それが元々わたしの妹や娘だったとしても、わたしにできることはそれしかない。


 そう思いながら、すぐにでも斬れるように武器を構えて気配の元に向かう。その先にあったのは、テトラがもともと使っていた部屋。そういえば、そこまで頭が回っていなかったけれど、師匠が敵ということは預けていたテトラやアイリスが危ない。ずっと会わせてもらえなかったテトラはもう手遅れになっているかもしれないし、まだ幼いアイリスは今は大丈夫かもしれないけどいつまでそのままでいられるのかはわからない。


 叶うなら、二人とも無事でありますようにと祈ろうとして、祈る相手である悠久の賢者様が敵だと言うことを思い出した。もう諦めるしかないのかもなと思いながら扉を開けると、魔王のしもべがいるという予想に反して、そこに居たのは一人の女性の後ろ姿。その気配とは裏腹に、心底リラックスしているような自然体。


「あれ、ママ?おかえりなさいっ!」


 その声は、テトラだった。ずっと長いこと会うことの出来なかった、大切な大切なわたしの娘。無事でいてくれたことに、まだ生きていてくれたことに、喜びを感じた。これ以上間違えなければ、師匠から隠すことが出来れば、この子だけでも守れるから。


 けれど、そう思ったのとほとんど同時に、今の状況に対する違和感を覚える。だって、この家の中身は空っぽになっていて、師匠もテトラもアイリスもいなくなっていたのだ。それなのに突然、テトラだけが以前のように戻ってきているなんておかしい。それに、さっきからずっと感じている嫌な気配は、テトラしかいないはずのこの部屋の中から感じられるのだ。


「ママ、そんなふうに固まってどうしたの?そんな、化け物でも見るような目で私のことを見て。私だよ、ママの娘の、末っ子のテトラ。まさか私のことがわからないの?」


 答え合わせは、テトラがこちらを向いたことで強制的にさせられた。声は、テトラのままだ。話し方も、わたしのことをママと呼ぶのも、テトラの特徴だ。ちょっと生意気な雰囲気も、テトラのもの。なのに、その体には魔王のしもべに変わる直前の仲間たちのような、真っ黒い線が浮かび上がって、ドクンドクンと脈動している。体の所々が黒く染まりきって、蠢いている。左手の薬指が、触手になってうねうねしている。


 それを見て、テトラだとは信じられなかった。いや、信じたくなかった。わたしの娘が、こんなふうにほとんど化け物になりかけているなんて、素直に受け入れられるはずがなかった。


「……テトラ、一体なんで、どうして、何があったの?」


 ショックを隠しきれず、何とか絞り出せたのはそんな問い。それを受けて、テトラはクスクスと笑う。ちょうど少し前のエフを思い起こさせるような、いやな笑い。


「なんでも何も、ママだってわかっているでしょ?パパがママにいじわるしていて、私はそんなパパに育てられたの。パパの役に立つために、パパのために育てられた私が、パパの役に立とうとする。ただそのために、私は生まれたんだから」


 違う。テトラが生まれたのは、師匠のために生きるためなんかじゃない。テトラ自身が幸せになるためだ。そのためにわたしはテトラを、子供たちを守ろうとして、頑張っていたんだ。


「……ママってさ、いつもそうだよね。自分が頑張る理由、二言目にはすぐに私たちのためって。そうやって、私たちのことを理由にしていたかったんでしょ。よかったね、理由を人に押し付けられて。そうしているあいだは、まるで私たちのことを愛しているみたいに思えたもんね」


 理由を押し付けてなんていない。わたしは本当に、家族を守りたかった。家族のためだから、どんなに辛くても頑張れたのだ。たとえ折れそうになっても、立ち上がれたんだ。家族への、子供たちへの愛は、本物だ。


「うそつき。私が生まれたこと、喜んでなんていなかったくせに。私なんていなければお父さんは死ななかったって、仲間を守れたって思ってたくせに。私を褒める時だけ表情が硬かったの、小さいから気付かないとでも思ってたんでしょ」


 思ったことがないと言えば、嘘になってしまう。確かに、一時とはいえ、そう思ってしまったことはあった。テトラがお腹の中にいなければみんなを、リックを助けられたのにと、恨んでしまったこともあった。あったけれど、そんなのは本当に、ただの一時の気の迷いだ。わたしは間違いなくテトラのことを愛していたし、愛している。


「口だけならなんとでも言えるの。少なくとも私はママに愛されていなかったと思っているし、どれだけひどいことをした人でも、パパの方が好き。お姉ちゃんたちやお兄ちゃんがどうなったのか知った上で、私はパパに使われるの」


 テトラとは、戦いたくない。たとえ思いが伝わっていなくても、どのように思われていたとしても、わたしにとっては守らなくてはならない愛する娘なのだ。失いたくは、ない。


「それなら、諦めて死んじゃえばいい。安心してよ、ママの変わりは私がするし、ママのだって、私が用意してあげるから!」


 そう言って、テトラはわたしに攻撃を仕掛けてきた。まともに話をするのは、もうここまでということなのだろう。けれどもテトラに攻撃する気にはなれなくて、テトラからの一方的な攻撃を凌ぐ。


「ママはいいよねっ!最初からパパに求められて、何をしても見捨てられなくて」


「……テトラは、師匠のために生きることが、そんなにいいことだと思っているの?」


「当たり前でしょ!お兄ちゃんやお姉ちゃんたちも、きっとママのお腹の中で喜んでるよ。パパのためになれたってさぁ!」


 言葉を交わす。テトラからの攻撃をしのぎながらだから、多くは話せない。それでも、わかることはあった。一つは、テトラはもう、わたしと一緒に生きてはくれないこと。一つは、テトラをこのまま自由にしたら、わたしがこのままテトラに殺されたら、きっとこの子は、犠牲者を増やし続けること。


「ママなんて、ここで死んじゃえばいいんだ!」


 そして最後に、わたしが子育てを失敗したこと。テトラと、ちゃんと向き合ってあげられなかったこと。 この子の犯した間違いは、これから犯そうとしている間違いは、わたしが止めてあげなくてはならないこと。それが、この子の親として、わたしが最後にしてあげられることだ。


 まずは、このまま止められる可能性にかけて、両腕を動かせなくする。氷の剣を関節に差し込めば、普通の人ならそこから先を動かせなくなる。


 その結果は、ある意味でとても慣れ親しんだもの。氷の剣なんてなかったかのように内側から何かが盛りあがってきて、傷を塞ぐ。魔王のしもべの体が治る時と同じだ。これならば、きっともう生け捕りは不可能。この子を止めるためには、命を奪うしかない。


 覚悟を決めて、感情を落とす。愛情も、悲しみも、今はいらない。テトラを止めるためには、必要のないものだ。ただ効率的に、機械的に、テトラのことを傷つけ続ける。




 テトラと戦っていて抱いた印象は、思ったほど強くない、力を使いこなせていない、稚拙、そんなものだった。わたしに対する怒りを、八つ当たりにも似たそれを発散するだけ、暴れるだけで、多少考えて動いたにしても、狙いが素直すぎる。化け物みたいな見た目になってまで、手に入れなければならないような力だとは思えない。人のみをはずれてまで、手に入れたいものだとは思えない。



「立派な口を叩いていたのに、この程度だったんだ。よかった、これならまちがいなく止められる」


 攻撃のくせは覚えた。体の性能も、だいぶ理解した。確かに能力としては強いかもしれないけど、それ以外のところがあまりにもお粗末だ。この程度の実力では、師匠からのおつかいを満足にこなすことも難しいだろう。今となってはどんな意味があったのかもわからないけれど。


 これなら、苦戦する程ではない。何かを守りながらでもなければ、時間はかかるものの安全に処理しきれる。戦いの中で成長されたらもう少し厄介だったかもしれないけれど、逆に動きが魔王のしもべによっていくのだから、これ以上は苦戦する方が難しいだろう。


 もうほとんど理性を感じられなくなってしまった、テトラの姿から離れてしまったテトラのことを攻撃し続ける。守りたかったのに、守れなかったわたしの娘。守るべきものを自分の手で壊そうとしている事実に、押さえ込んでいたはずの心が軋むのを感じる。こうするしかなかったとはいえ、当たり前だけど嬉しいものでも、楽しいものでもない。


 回復が鈍くなった。切ったところが、治らなくなってきた。最初は無尽蔵にも思える魔王のしもべの回復能力も、終わり際ならこんなものだ。枯れた水源から僅かに残った水を搾り取るような、じわじわとした回復。ここまで来ればもう、頭を刎ね飛ばすだけで全部終わる。終わるけど、終わってほしくない。


 四肢だった触手をとって、他にも攻撃に使えそうな部分はなくす。そうすれば、最後に向き合う時間を設けることができた。もう理性も残っていないテトラに対して、なんの意味があるのかもわからないけれど、最後に向き合う時間を作れた。


「ちゃんと育ててあげられなくて、守ってあげられなくて、ごめんなさい」


 聞こえているのかはわからない。きっと届きはしないのだろうとも、思っている。それでも伝えたのは、わたしの自己満足だ。


「……パパは、始まりの場所。さようなら、ママ」


 それでも、届いてくれた。最期の瞬間にわたしの気持ちが届いていることは確認できた。


「生まれてきてくれて、ありがとう。あなたの事を、愛してるよ」


 そう伝えると、テトラの纏う雰囲気が柔らかくなった気がした。もう顔もわからないから表情で察することはできない。だからこれはきっと、わたしにとって都合がいいだけの妄想。それでもよかった。伝えられただけで、もう満足だった。


 変わり果てたテトラのことを終わらせるために、首を切る。これまでの魔王のしもべと同じで、死体は残らなかった。テトラが生きた証は何も残ってくれずに、真っ黒い塵になって消えていく。


 温かいものが、頬を伝っていくのを感じた。テトラの最後に、気持ちを伝えた時にわたしはちゃんと笑えていただろうか。温かみのある表情で、愛を伝えられただろうか。



 あの子が最後に見たわたしは、やさしいお母さんであれただろうか。

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