悠久の賢者ベネディクトゥスはそろそろ死にたい

 師匠からの最後の贈り物、わたしの貰った三つ目の名前は、ベネディクトゥス。師匠の知る古い言葉で、“祝福があるように”という意味があるらしい。


 あまりかわいくない名前だけど、師匠がわたしのために考えてくれた名前だ。それも、しっかり考えてくれた、意味が、願いが込められた名前。受け取らないこともできたけれど、それはしたくなかった。悠久の賢者だけなら受け取らなかったかもしれないけれど、もうひとつの名前は欲しかった。


 だってその名前は、師匠がわたしの幸せを願ってくれているということ。苦しませるためにわたしを育てた師匠が、もう幸せになっていいと言ってくれたということ。そんな素敵な“最後の贈り物”を、受け取らないなんてことはしたくない。


 結局わたしは、悠久の賢者を襲名した。アイリスを守るために、その名前を利用した。なくなった故郷を作り直して、そこに異物を混ぜ込まないために、力を使った。


 やることは、簡単だった。周辺の国からしらみつぶしに、わたしが悠久の賢者だと信じさせるだけ。師匠の書いていた通り、誰の師匠の姿を知らなかったから、簡単に信じてくれた。最初は全然信じてくれない人達も多かったけれど、わたしが目を合わせて真摯に話しかけると、疑うような人は一人もいなかった。わたしはただ、真摯に頼んだだけ。それだけのはずだ。ただのカリスマだけで、異教徒であってもたちまち改宗させてしまう存在。少なくともエルフにとって、わたしはそういう存在である。


 人々を事実上の支配下において、エルフの発展を見守る。最初の方に、高スパンで増やし続けた甲斐があってか、アイリスの子孫はとても増えた。最初の頃はわたしの人形と化した元里のみんなの生まれ変わりで人口を賄っていたのだけれど、次第にその割合は減っていく。わたしの思うままに振る舞う都合のいいお人形は数を減らして、アイリスの子孫であるエルフたちが多数派になる。


 わたしのことに絶対的に服従するあの目が、こわかった。わたしが言えばどんな些細なことでも、赤子の世話より優先してしまう彼らが怖かった。同じ人間だとは、エルフだとは思えなくて、でも将来のために必要だがら減らすことはできなくて。ずっとずっと怖い思いをしながら、ようやくわたしの周囲からなくすことが出来た。



 そうして、人が増えて、里が街と呼べる規模に育った頃。外の知り合いは、みんなとっくのとうに死んでしまって、その子孫かすら怪しい人しか残らなくなった頃。少しでも長生きできるように延命を続けていた長のアイリスが、とうとう寿命で命を落とした頃。誰よりも街のために尽くし、誰よりも街のことを考えているという理由で、わたしは長に祭り上げられた。そんなもの、なりたくなんてなかったのに。わたしはただ、みんなが穏やかに暮らしているのを見守ることが出来れば、それだけで満足だったのに。


 なのに、だれも悠久の賢者が働くなることを、隠居して穏やかに暮らすことを望んではくれなかった、力を持つものにはそれを適切に使う義務があるのだと言って、わたしのことをはたらかせ続けた。


 けれども、それならそれでいいのだ。わたしがいなくても困らないに越したことはないが、そうなったらそうなったで、きっとわたしは寂しくなってしまっただろうから。誰かから頼りにされるのは、嫌いじゃなかった。


 嫌いじゃなかった。嫌いじゃなかったけど、でも、こうしてみんなのことだけを考えるのは、間違いな気もするのだ。わたしが守ろうとしているアイリスの子孫たち、このままただただ言われるがままに、求められるがままに応えるのは、本当にいいことなのだろうか。


 良くない気がした。みんなの期待に応え続けるべきではないと、そう思ったのは、わたしにはどうしようもない事態が起きてしまったから。


“気を付けるといい。人は、思わぬところから道を踏み外す。厄介なのは本人たちはそれを、正しい行いだと心底信じていることだ。例えば、一つの国に超技術を与えれば、その国民は自分たちのことを選ばれし者、その他のものを未開の野蛮人だと思うようになり、完全な善意から、周辺国を征服しようとする”


 師匠が書いた遺書の、その一ページ。そこに書かれていた内容は、あまりにも現在の状況に近いものだ。一部のエルフたちが、悠久の賢者が身内にいることから選民思想を抱くようになり、人々を管理するべきだと主張しだした。悠久の賢者の庇護下で繁栄する我々には、哀れなる人間共を導く義務があるのだと。そう言い切る、どこまでも純粋で曇りきった瞳。


 わたしがいれば、すぐに道を正せると思っていた。みんないい子だから、話をすればわかってくれるだろうと。なのにこうなってしまったのは、わたしがまた子育てを失敗したのか、国育てを失敗したのか。


“私達のような存在が誰かから行動を制限されたり、極力表には出ないように言われたりすることがあれば、実質上クーデターを起こされたようなものだ。殺されて死ぬようなものではないから命は取られないが、自由を奪われ、都合のいい象徴となることを望まれる。解放されるためには、自分の意思でそのカゴを壊すか、自然と向こうから再び頼ってくるようになるのを待つかだね。後者の場合は、稀に権威のために生殖を望まれることもある。気を付けるといい”


 幸い、と言ってもいいのだろうか。そういうことを望まれることは無かったけれども、師匠の書いている通りに、わたしは軟禁された。名目上は自由もあったけれど、お世話係から常に監視され、何かをしようとする度に止められる。わたしに多少でも、暴君の才能があれば気にせずに振る舞えたのかもしれないが、こうなってしまっては不幸なことにわたしにはその才がなかった。


 自然とわたしは自らも引こもるようになり、外界との接触を断つ。いい意味で捉えれば、子供たちが、国がわたしを必要としなくなって、独り立ちしたということ。そうだと自分に言い聞かせるしか、わたしにできることはなかった。が起こった時のために、師匠の残した遺書を読み耽るくらいしか、それを参考に色々考えるくらいしか、わたしにできることはなかった。わたしがわたしでいるためには、師匠の遺書が必要だった。そこにしか、わたしの拠り所は残っていなかった。


“絶対的な象徴を失えば、完全な庇護を失えば、自ずとそれに縋った国は滅びることになる。とくに、自らそれを望んだ場合は顕著だね。結局彼らの成したい独立なんてものは、親から全てを保証された上での一人暮らしみたいなものだ。頭ごなしに命令できる人がいるのは鬱陶しいけど、だからといって自分一人で生きていられるわけじゃない。彼らの生命線を握っているのは君なのだから、何か困ったことがあればすぐに頼ってくる”


 全部、師匠の書いた通りに世界が進む。まるでこうなることまでわかっていたみたいに、そうあるべしと作られた絡繰人形かのように、その通りに進んでいく。いつしかわたしは、考えることをやめた。嫌なことを考えないでいられるように、魔法の研究に耽るようになった。師匠が残した宿題を、全部できるようになるのだ。それ以外にやることも、やりたいこともない。


 いつしか外界のことは、気にならなくなっていた。引きこもり生活も、完成した研究成果を試せないことを除けば、特に不満はなかった。暇つぶしには事欠かなかったのだから、当然だ。



 そんな生活をしていると、ある日からお世話係が来なくなった。もう何代重ねたのかもわからないような、いつの間にか名前すら認識しなくなっていたお世話係。最初の方は、話し相手にもなってもらったし、わたしの弟子のような扱いにしたこともあった。その成長を、卒業を喜び、感慨深く思うこともあったのに、家族のように思っていたと言うのに、いつしかそれもなくなっていた。結局最後のことは、最低限の会話しかしていなかった。名前も、最初に名乗ってくれたはずなのに、一度も呼んであげられなかった。


 なんてことはない、自分を保てていると思っていただけで、わたしはとっくのとうにおかしくなっていたのだ。一人が寂しくて、外の子供たちが心配で、それから逃げることしかしていなかったのだ。


 誰もいなくなってしまった家を出る。家というにはかなり大きく、屋敷や城とでも言うべきものだが、ほとんど部屋から出ずに暮らす上では、大差なかった。


 家から出ると、街、国の様子はすっかり変わっていた。わたしがみんなのために作った、使いやすく過ごしやすい町並み。それはここまで増えた人のことを受け入れられるキャパシティがなかったようで、路地に人が転がっている。機能的に整備した区画は壊されて、大きな建物が沢山できている。


 もともと、必要に応じて拡張する予定ではあった。だから壊れているのは、作り替えられているのは、ある意味で予想通りのものではあったのだ。けれど、その方向性は、わたしが望んでいたものとは異なっていた。


 辺りに、人が転がっていた。みすぼらしい格好の、汚れた人。首に首輪をつけた人。まともな服を着せられず、鎖で犬のように引かれている人。そして、それを当然のような顔で受け入れて、自然に笑っているエルフたち。


 罰だと言って魔法を撃つエルフ。褒美だと言って鞭を打つエルフ。地面に落ちた食べ物を食べさせて、お礼を言わせているエルフ。どれも、わたしがいた頃には存在しなかった光景だ。今の当然だとしても、到底受け入れられることではない光景。


“自称文明人たちは、ある程度文明を発展させるまで、自分たちと同様のそれを持たない人間を野蛮人、ひどい場合だと人間ではないとみなすことがある。この場合、人ではない人は、なんの権利も与えられず、娯楽のために消費されたり、一方的に搾取されるだけの存在に成り果てる。すばらしさの欠けらもない光景だが、ニンゲンというものを知るためには、一見の価値はあるだろう”


 師匠の遺書の中では、読んだことのある光景だ。だけど、それがこんなにも醜悪なものだとは、思いたくなかった。わたしの子供たちが、わたしの愛した子孫のいく末が、こんなものになっているだなんて考えたくなかった。


“どうにかしたい、方向修正したいと願うのなら、地道な説得しかない。彼らはそれを悪い事だとすら思っていないから、とても時間と手間がかかることだ。けれど君であれば、その目の力を使いこなした君であれば、そんなことはせずとも簡単に解決できるだろう。目の力が効かない因子なんて言っても、完全に無効化できる訳ではなく極めて高い耐性を持つ程度。君が本気を出せば、そんなものは簡単に無視できるだろうね”


 確かに、そうすればこの状況は簡単に収められるだろう。そのための方法も、一人で研究したことで身につけることが出来た。できるかできないかで言えば、間違いなくできる。けれどそれは。


“そう。君が世界のことを見守る立場ではなく、適切に管理する、支配する立場になる。こわいだろうし、不安もあるだろう。けれど考えてみてほしい、君にとって、誰かに従う生活は、誰かに導かれる日々は、そんなに辛くてこわい日々だったかい?”


 むしろ逆だ。とても楽で、安寧の日々だった。今もこうしてその影に縋ってしまうくらいには、捨てがたく、幸せな日々だった。


“それなら、君がしなければいけないことは何かわかるね。今世界に、それを与えられる存在は君しかいない。君がなるんだ、絶対的な平和の象徴に。安定と安寧に満ち足りた、やさしい停滞に”


 それは、わたしのこれまでの努力を否定するものだ。それは、わたしのこれまでの苦しみを終わらせるものだ。ここまで、師匠は読んでいたのだ。わたしの苦難を。読んだ上で、わたしにこの道を選ばせたのだ。あの人はなんて性格が悪いのだろう。


 けれど、どれほど性格が悪くても、その言葉に従えば、正しい方向に進める。道の正しさなんて知らなくても、誰かの進んだ後を追える。たとえその先に待つものがなにかわかっていても、追いかけることしかできない時がある。



 手始めに、目の前で笑っているエルフを人形にした。そのままの足で、エルフの国の王宮へ向かう。わたしを差し置いてエルフの支配者とは、随分偉くなったものだ。すぐに支配下に置いて、全国民にわたしと会うことを徹底させる。今のエルフは、この傲慢になってしまったエルフたちは、もうダメだ。一度全て人形に変えて、次世代からニンゲンに戻す。まだ幼い子供たちにはかわいそうなことをするが、今の大人たちの価値観に歪められた子をそのまま育てれば、それはきっといつか最悪の形で返ってくるだろう。


“どれほど強大な力を使って洗脳したとしても、必ず取り残しが生まれるものだ。それを潰すためには、予めこちらで反抗勢力を築く必要がある。こちらの統治に反対する主張をするように命令をした連中を作れ。そうすれば、群れたがる人間は自然と集まって、対処が楽になる ”


 師匠の書いた通りにすれば、驚くほど簡単に反乱分子はいなくなった。そうしてみんな人形に変えて、作り出すのは平和な世界。都合の悪いことを知らせず、過度な発展を許さず、管理されることによって成り立つやさしい世界。


 それを作れば、わたしに残った仕事はそれを管理するだけ。常に反乱分子を集めつつ、適宜それを治める。最高学府を設けて、危険な研究が行われていないか管理する。そうして管理するのが、悠久の賢者の仕事。わたしの幸せだった世界を作って、維持するための人生。


 気付けば、誰もがわたしを崇めるようになっていた。そうするべく振舞っていたのだから当然だ。誰もがわたしに逆らわなくなっていた。逆らうものを摘んできたのだから当然だ。誰もが、わたしを上位存在として見るようになっていた。そうなるように作り替えてきたのだから、当然だ。


 わたしのことを対等に扱ってくれる人は、どこにも存在しなくなっていた。わたしのことを人としてみてくれる人は、誰もいなくなってしまった。わたしがわたしでいる必要なんて、何もなくなってしまった。



 ああ、今ならわかる。ずっとずっとみんなのためを思って、失敗して、その果てに上位者として生きることを選んだ今ならば、その気持ちがわかる。一人しかいないことの孤独が、辛さが、自分に強い気持ちを向けてくれるニンゲンの嬉しさが。愛おしさが。そしてそれを失ったことによる、空虚さが。


 いまなら、わかる。あの人の気持ちが。けれど、だめだ。あの人のそれを止めようとしたわたしには、あの人にそれを許さなかったわたしには、楽になることは許されない。



 許されないけど、思ってしまうのだ。願ってしまうのだ。わたしも、そろそろと。








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 これでひとまずは完結です(╹◡╹)


 短編とか別のとかあげたりするつもりなので良かったらそっちも見てね(╹◡╹)

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