おまけ 悠久の賢者はもう死ねない

 分岐条件

 最後の一押しに失敗する(例、アイリスを人質に取らない等)


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「わたしは、師匠を殺さない。殺してなんて、あげない。そんな簡単に楽にさせてあげない」


 そういうわたしに、師匠はたくさんの言葉を投げてきた。罵倒から始まり、脅し、懇願と、これまでの超然としていた様子が嘘みたいに、なりふり構わず、情けなく、わたしに殺されようと必死になる。


 けれど、どんなことを言われようと、わたしはもう心変わりする気がなかった。わたしの大切な家族たちを、仲間たちを、全てを奪った師匠が、一人だけ満足して死ぬなんてことは、絶対に許せなかったから。


 わたしを怒らせようと、師匠が色々と手を尽くしても、そんなのは無駄だ。だって、わたしはもうこれ以上ないほど怒っているのだから。怒った上で、頭の中を冷静に保って、師匠を罰しようとしているのだ。今更、過去のことを知らされたくらいで、わたしの初めての殺人を明かされたところで、激昂して師匠を殺したりなんてしない。ただ、この人を殺しちゃダメだなと再認識するだけだ。


「あなたには、たくさん償ってもらう。あなたがこれまで撒き散らしてきた分の、それ以上の不幸を無くさせる。たくさんの人に、たくさんの幸せを届けることで、贖うの」


 その手伝いは、わたしがしよう。師匠から全てをもらって、師匠に全てを奪われたわたしが、師匠のことを許さないと決めたわたしが、それくらいの責任はもって見せよう。わたしの一生くらいでは足りないかもしれないけど、できる限りはしてみせよう。師匠の罪は、弟子のわたしが責任を持たなくては。



 何かまだ文句を叫んでいる師匠の口を無視して、小さくなってしまった体を抱き上げる。おへそから下と、両腕を失って、ピチピチ跳ねるしかできなくなった師匠の体は、酷く小さくて軽い。まるで、子供を抱いているかのようだ。


 背中をとんとん叩きながら、上下に軽く揺すってあやす。何度もやってきたことだから体が勝手に動いていたが、考えてみれば師匠は別に子供ではないし、悲しくなってぐずっているわけではない。なんか変なことしちゃったなと思っていたら、師匠が黙り込んだことに気がついた。


 きっと、わたしに子供扱いされることが恥ずかしかったのだろう。なにかに耐えるように顔を赤くしながら、何も言わなくなってしまった師匠。辱めるのは好みではないが、それで師匠が静かになってくれるのであれば仕方がない。仕方がないったら仕方がないのだ。けして、わたしが恥ずかしがる師匠で楽しんでいるなんてことはない。


 すっかり大人しいいい子になった師匠を、わたしたちの家に連れて帰る。わたしとテトラのせいでだいぶ荒れてしまった家だけれど、人が二人暮らす分には十分な環境が残っているし、ある程度時間をかければわたしだって簡単な修繕くらいはできる。


 ひとまずは師匠が勝手に死ねないように拘束して、ゆっくりお話するのは環境整備を終わらせてから。時間を置けば師匠も多少冷静になれるだろうし、冷静になってくれさえすれば、師匠はきっとおかしなことは考えない。どうやってわたしに殺させようとするか位は考えるだろうが、そんなのは変なことのうちに含まれないのでどうでもいい。


 壊れた屋敷を直して、最低限どこの部屋も機能するようにする。過ごしやすくて完璧に整えられていたかつての姿とは程遠いが、ある程度使えれば問題ない。ようやくできた時間で、師匠と沢山お話をする。お互いのことをこんなにしっかりと話したのは、きっと初めてのことだ。師匠はずっとわたしに隠し事をしていて、それをわたしは当然だと思っていたのだから。


 はじめて、師匠のことを知った。ゆっくり落ち着いて、時間に追われることもなく、戦いに追われることもない。全部終わったのだから、当然と言えば当然だ。


 最初の頃は拗ねた様子で、何を聞いてもまともに答えてくれなかった師匠だけれど、1年、2年と待っていると、ついに飽きてしまったのか、普通に話してくれるようになる。元々暇さえあれば何かを読んでいたような師匠だ。自由に動けない体で、能動的に何もできない中で、一年以上意地を張っていられたのが奇跡だろう。尺取虫みたいに器用に這いずりながら、口で掴んだ本をわたしの元に持ってきたのは、感動的ですらあった。


 モノがはじめて喋った時のような感動を覚えながら、一人では座ることも出来ない師匠のことを膝の上に乗せて、読み聞かせをする。師匠に対する怒りは、憎しみは消えていないのに、それと同時に感じる愛おしさ。きっと、わたしはおかしくなってしまったのだろう。うっすらと自覚はあるが、そんなことはもうどうだっていいのだ。わたしが正気でいなきゃいけない理由なんて、もう何一つ残ってはいないのだから。



 師匠と話せるようになったら、師匠のことをたくさんいじめる。師匠が自分でやったことを全部話させて、そのことを責める。こんなことをして、意味なんてあるのかは微妙だったけれど、師匠は苦しんでいるみたいだからきっと意味はあるのだろう。苦しんでいる師匠を見ていると、気分が晴れるのとともに、ひどい罪悪感を覚える。辛いけど、嫌だけど、それが気持ちよくもあった。悪い師匠を責めて、それを止められなかった自分を責めていると、心が軽くなる気がした。



 しばらくそんな生活を続けていると、ずっとわたしの前では超然として振舞っていた師匠が、まるで親をなくした子供のように見えてくる。何をすればいいのかも、どうすればいいのかもわからず、自分の力では何もすることができない無力な子ども。そんな師匠を見ていると、苦しくなって、抱きしめてしまうわたしは、間違いなくおかしくなってしまったのだ。抱きしめながら、首を絞めてしまうわたしは、壊れてしまったのだ。


 苦しそうな師匠の表情に満足したら、首から手を離し、乱暴なことをしたことを謝る。師匠が悪いことをしたことに対する復讐なら、罰なら、謝ったりはしない。けれど、これは完全にわたしの趣味で、八つ当たりだ。抵抗できない相手に意味もなく酷いことをしたのなら、それは謝らなくてはいけないだろう。


 ちゃんとごめんなさいをして、師匠にゆるされる。ごめんなさいができてえらいと言われて、わたしは少しだけ童心に帰る。師匠がいてくれるだけで楽しかった、幸せだったあの頃。きっとわたしは、わたしたちは、あの時間をずっと続けるべきだったのだ。


 そんな考えが、ぼんやりと頭に浮かぶ。今のままの、二人だけの時間。きっとわたしの怒りは、憎しみは、時間が癒してくれるだろう。お母さまの時も、里のみんなの時も、モニカさんの時もそうだった。いつだってわたしは、絶対に忘れないと決めた怒りを忘れてきた。少しずつ見ないように、考えないようになっていって、言われるまで思い出さなくなっていた。それならきっと今回も、子供たちのことも、いつか忘れてしまうのだろう。


 そうなれば、かつてのわたしの夢は叶う。師匠とずっと一緒にいたかった、あの頃の夢は現実になる。


 それもいいかもしれない。わたしが苦しんだ分、まず先に師匠に償わせてから、ほかの人たちへの罪滅ぼしをする。悪くないアイデアだ。ただ一つ、それに終わりが来るかわからないことを除けば。


 終わらないのは、だめだ。師匠には沢山償ってもらわないといけないのだから、わたしだけが独占するわけにもいかない。とても心惹かれる案ではあるのだけれど、だからダメだ。その生活はきっと、わたしを腐らせてしまう。


 後ろ髪を引かれる思いで諦めて、師匠をカバンの中にしまう。色々なところに出かけるのに、体のほとんどがない人間を連れて歩くわけにはいかない。わたしの目があれば、周囲の人間には“気にしないように”してもらうこともできるけれど、ずっとそれを続けるのは少し面倒だし、師匠のことを抱き続けていたらものも持てない。それなら、運びやすくて放置しやすいカバンの中でいい。


 運びやすくなった師匠を背中に背負って、のんびりお喋りなんかをしながら歩く。それ以外にできることが何もないせいか、師匠はわたしのおしゃべりに簡単に乗ってくれるからうれしい。


 背中の師匠と話しながら、久しぶりの道を歩く。人間、一度しっかり覚えてしまったものはそうそう忘れないもので、わたしは迷うことなく子供たちを育てた街に着いた。


 久しぶりに見た街は、わたしの記憶の中に残っているものとは少し変わっていて、新しい建物ができていたり、あったものがなくなったりしている。なくなったのに関しては、師匠とシーのせいでわたしたちの住んでいた辺りがめちゃくちゃになったのだから、当然ともいえるかもしれない。


「ここに来るのはずいぶんと久しぶりだね。お墓参りかな?」


 それなら、君が埋めたものは全部掘り起こして食べさせたから、何も残ってはいないよと師匠が鞄の中から教えてくれる。知りたくなかったことだが、そんなことはもう知っていたし、今回の目的はそれではない。ついでだからリックのお墓参りにはいくが、メインはそれではない。


「師匠、師匠が何回この街を壊したか覚えている?」


 答えは二回だ。わたしたち家族を襲った最初の時と、わたしの仲間たちを化け物にした二回目の時。この二回、師匠はこの街を襲った。


 師匠は、もしかしたら忘れているかもしれない。師匠はほとんどの事には興味を示さなかったし、きっと悠久の賢者からしてみれば、わたしの大切なこの街だってどこにでもあるつまらない街の一つに過ぎないのだろう。


「覚えているとも。この街が今の体制になってから、七回だ。そのうちの四回は魔王のしもべを使って壊させて、二回は危険分子を排除するために焼いた。残りの一回は、実験に失敗して半壊させてしまった」


 覚えていなかったら、思い出させようと思っていた。なのに、師匠の口から出てきたのは、わたしが歴史でしか知らないような、過去にこの街を襲った災害の真実。それらを正しく言って、全部自分がやったのだと師匠は白状する。


「全部全部、私の罪だ。私が背負わなくてはならない、私の罪だ。アリウム、君は、私に罪を償えと言ったね。その間は、自分も一緒に手伝うからと。ひとつ聞きたいのだが、君は私のことを甘く見ていたのではないかな?正しくすべての罪を償うのには、ハイエルフの寿命は短すぎる」


 償いきるなんて、不可能なんだよと師匠は笑った。私のことを馬鹿にした笑いではなく、自分がそれだけの罪を重ねたのだと呆れたような笑い。


「いくら特別製の君でも、私すら覚えていないような悠久の時間、そのすべての罪を見届けるなんて、できないんだ。もう私には、これ以上罪を重ねないようにすることしかできないんだよ」


 師匠の言っていることは、きっと本当なのだろう。だからと言って師匠の望むままに殺してなんてあげないけれど、わたしの立てた目標は思っていたよりもずっと無茶だったらしい。……けれど、だから何だという話だ。全部償うことができないから何もしないなんて、そんなのはただの逃げだ。わたしは、師匠が逃げることを絶対に許さない。


「それなら、わたしが生きている間、全部の時間を使って師匠に償わせる。それで許してあげる。わたしが死ぬ時まで、師匠が真面目に償っていたら、その時は師匠のことを終わらせてあげる」


 逃げさせたりはしない。どうせ、師匠はわたしから逃げたところで死ねないのだ。そんなに簡単に死ねるのであれば、師匠はこんなことをする必要なんてなかったのだから。


 わたしがそう言うと、師匠は少し愉快そうに笑う。君が許して殺してくれるなら、きっと私も悔いなく死ねるだろうと。そうだ。もうきっと、わたしに殺されないとそれが未練になってしまいかねない師匠は、わたしのご機嫌を取っていい子に過ごすしかないのだ。たくさん人のためになることをして、たくさん人を救うしかないのだ。そうじゃないと、わたしが許さないのだから。



 師匠と“やくそく”をして、本格的に師匠と旅を始める。目のことは気がかりだったけど、なんてことはない。一週間もすれば、師匠が対策してくれた。おかげで普通に人と関わることができるし、面倒事になりそうな時は力を使って解決することも出来る。


 本当に、便利な体になったものだ。普通に旅をする上では興ざめなくらい便利な力だけど、師匠と二人で、償いの旅をするだけなら問題ない。困っている人を助けて、貧しい村に教育を施して、人々を助け続ける。ただ便利なものを教えるだけではなく、その人たちの生活水準に合った、文明レベルに沿った知識たち。わたしがやろうとすると、一番便利な物を何も考えずに教えていたと思うが、師匠は違った。過ぎた力は余計な争いの元になるのだと、わたしに教えてくれながら、人々を笑顔にしていく。


 豊かになった街を見て、幸せそうな人を見て、師匠はいつも嬉しそうにしていた。苦しみから開放された人を見て、健康な体を手に入れた人を見て、師匠は喜びの涙を流していた。


 いつもいつも、師匠は人の心に寄り添っていた。わたしのことを育ててくれた時のように、優しい目でみんなのことを見ていた。その姿を見ていると、やっぱり師匠は優しい人なのだと思う。そしてそう思うから、わたしにはなんで師匠がそこまでして死にたいのかがわからない。


 幸せな人が好きなら、自分がその幸せを増やせばいい。今の師匠みたいに、一緒に笑い合えばいい。そうすることができるのに、しない理由がわからない。みんなの笑顔が好きならば、それを守ればいい。なんでみんなが苦しむようなことをするのか、なんで街を破壊するのか、今の師匠を見ていると、それが全くわからない。


「師匠、師匠はいつも人のために何かをしている時に、すごく嬉しそうにしてるよね。人に喜ばれることを喜んで、感謝されることを幸せに思っている。ねえ、なんで、そんな優しさを持っているのに、師匠はたくさんの物を壊したの?」


 村の開拓がひと段落ついて、開拓村のみんなから盛大に送り出された日の夜、ついに好奇心を抑えられなくなったわたしは師匠に質問する。答えは別に、なくてもよかった。ただ気になったから聞いてみただけで、わたしの好奇心を満たす以上の意味なんてなかったから。


「私も、壊したくて壊しているわけじゃないんだよ。君の言う通り、私だって幸せそうにしている人は好きだ。この世界は幸せなことで溢れていて欲しいと思っているし、そのために努力もしたさ。けれどね、どれだけ私が心を込めて育てても、気持ちを込めて愛しても、世界は毎回、私の愛したものを奪うんだ。愛してしまうから、それを許せなくなるんだ。そうして不届き者共を処理したら、いつしか私が悪者になっている」


 それが嫌になったのだと、師匠は小さい声で語った。育てて、壊されて、壊して。それを繰り返すうちに擦り切れてしまったのだと、人を人として見られなくなってしまったのだと、師匠は話す。人の名前も、自分の名前もわからなくなって、愛したものとそれ以外すら区別ができなくなる。そのまま、かつて愛したものを壊すだけの存在にはなりたくなくて、そうなる前に死んでしまいたかったのだと、師匠は言った。


「でも、師匠はわたしの名前わかるよね?子供たちのことも、師匠が作ったエルフたちのことも、みんな名前で呼んでた。それって、ちゃんと区別が着いているってことじゃないの?」


 師匠の言葉のひとつに引っかかって、疑問を口にする。師匠は、わたしのことをアリウムと呼ぶし、わたしの子供たちのことも名前で呼んでいた。


「君たちエルフは、存在が名前の影響を受けやすいからね。私から見れば、常に顔に名前を書きながら歩いているようなものだ。そんなの、名前を間違える方が難しいとは思わないかな?」


 なんとなく、師匠の言っていることはわかった。たしかにわたしも、自分の子供たちは見間違えたりしなかった。よく似ていて、周囲からはわたし自身と子供たちを間違えられることすらあったのに、子供たちを見間違えることはなかった。師匠の言うことは、そういうことなのだろう。考えてみたら、わたしの知っている限り、師匠は一度たりともエルフ以外を名前で呼んではいない。開拓村にいた時も、人を呼ぶ時は常に代名詞で呼んでいた。それは、区別ができないからだったのだ。


 師匠の話を聞いていると、師匠が死にたがる理由も、何となく理解できる。実際にその経験をしていないわたしがしたと思っている理解なんて、どの程度正しいのかはわからないけど、理解した気にはなれた。


 けれど、理解したからといってそれを尊重するかどうかは話が別だ。理解はするけれど、だからといって師匠のことを死なせるつもりは、わたしにはない。どんな理由があったとしても、その責任は取らせないといけない。もうわたしには、やることがそれしか残っていないのだ。


 少し一人で考えたくて、師匠と距離をとる。その気になれば治せるはずなのに、律儀にも芋虫を続けている師匠から離れるのは簡単だ。そうして離れて、少し冷静になる。師匠に感情移入して、絆されそうになった自分に気合を入れる。たとえ誰も気にしなかったとしても、一度決めたことをわたしが覆すわけにはいかない。


 意識をシャッキリさせるために両頬を叩いたら、体が崩れるのを感じた。気にせずに回復魔法をかけて、普段通りを繕う。わたしの体があとどれだけもつかはわからないけれど、きっとそれはそれほど長くない。ただでさえ、ずっと残しておいた未練を、解消してしまったばかりなのだ。気をしっかり持たないといけない。


 師匠の元に戻り、次はどこに行くかを話す。師匠が長生きなおかげで、どこに行っても罪滅ぼしには困らないし、昔こんなことをしたという話はそれだけで歴史の勉強になる。したところできっと大した意味は無い勉強だけど、知識を増やすのはそれだけで楽しいものだ。


 そうして放浪を続けて、またたくさんの人を助ける。一度訪れたところを再度訪ね、様変わりしていたことも一度や二度ではない。巨大な文化圏が築かれて、廃れたのも一度や二度ではない。


 師匠と比べればまだ赤ちゃんみたいなものであるわたしも、随分と時を重ねたのだ。比較対象が規格外すぎるだけで、わたしだって生きる歴史書みたいなものなのだ。それでも、いくつになっても、師匠はわたしの師匠だった。芋虫のまま一緒に旅をして、色々なことを教えてくれる人だった。


 けれど、それももうきっと終わるだろう。師匠が教えてくれることがなくなったのではなく、わたしの方が限界だった。もう、回復魔法でも体が治らなくなっていた。


 生き物としての限界をとっくに過ぎてしまった体は、塵のように崩れてしまう。回復魔法で無理やり人の形を保ってきたけれど、それももう限界だった。体からはピシピシとひび割れる音が聞こえて、修繕も間に合わずに少しずつ崩れていく。


 わたしの体は、これで終わりだ。だからわたしは、最後の仕事をしないといけない。自分が消えてしまう前に、伝えるべきことを伝えなくてはいけない。


「もう、お別れのようだね。私の罪滅ぼしにここまで付き合わせるなんて、君には本当に申し訳ないことをした。けれどアリウム、君と重ねた時間は、共に過ごした旅は、私の人生の中で最も穏やかな時間だったよ」


 最後に楽しい時間をありがとうと、師匠がわたしにお礼を言う。けれど、お礼を言うのはまだ早い。だってわたしには、まだ師匠に送らないといけないものがあるのだから。


「……ねえ師匠、師匠も知っていると思うけど、わたし昔、師匠と、ううん、おじさんと二人だけで過ごせたらきっと幸せだって思ってたの。いままでの生活は、ちょっと思ってたのとは違ったけど、あの頃夢見てた生活だった。だからね、わたし」


 わたしのことを見ながら、穏やかな笑顔をうかべる師匠を見つめ返す。こんなことをするのはとても心が痛むけれど、これが、これだけがわたしの復讐だ。きっと本当はだれよりも優しい師匠に残す、とびっきりの呪いだ。


「……すっごく、。だって、師匠のために寿命のほとんどを使うことになったんだもん、幸せなわけがないよね」


 嘘だ。幸せだった。幸せと思ってはいけなくても、わたしにとっては幸せだった。どれだけ酷いことをしてきた人であったとしても、師匠がわたしにとって大切な人だということには、一切の変わりはないのだ。そんな人とずっと一緒にいて、穏やかな時間を過ごして、幸せでなかったわけがない。里のみんなにも、仲間たちにも、子供たちにも、申しわけがたたないけれど、確かにわたしは幸せだったのだ。


「だから、そんな不幸なわたしから師匠に、おじさんに最後のお願い。わたし、まだ死にたくないの。まだまだ沢山やりたかったことが残っていて、もっとなりたい自分があった。でももう、それって今更なれないでしょ?だから、おじさんにお願いするの」


 けど、そんなことをそのまま素直に伝えるわけにはいかない。だって、伝えてしまったら師匠はきっと満足してしまうから。罪を償ったことに満足して、命に満足してしまうから。きっと未練をなくして、死んでしまうから。


「わたしじゃないわたしを作って。そのわたしで、わたしの夢を叶えて。沢山ある夢を、全部かなえ続けて。そうしているうちに、そのわたしたちにも夢やなりたかった自分が出来るはずだから、その子たちが死ぬ前になりたかった姿を聞いて、それも全部叶えていって」


 そんなの、ゆるすわけにはいかないのだ。大好きな師匠が、最後に感じるものは、誰かを幸せにしたという満足感であってほしい。それ以外の終わり方なんて、認めたくない。ただのわたしのわがままで、自己満足。


「みんな叶えるまで、おじさんはそれをやめちゃダメ。全てのわたしの夢が叶うのを見届けるまで、おじさんは死んじゃダメ。わたしを不幸に育てたおじさんは、それ以上のわたしを幸せにし続けなきゃいけないの」


 知らない誰かにしなかったのは、わたしが嫉妬してしまうから。師匠から、幸せにするためだけに育てられたかったのはわたしだ。わたしがそう育ててもらえなかったのに、他の人がそんな理想の育て方をされるなんて、ずるいじゃないか。だから、わたしが望むのはわたしが幸せにしてもらうこと。その結果として、師匠にも十分に満足してもらうこと。



 本当の気持ちを書いた手紙を、師匠に渡す。気持ちは、手紙にして残さなくてはいけないのだ。そして師匠は、わたしがそれを望めば、来るべきその時まできっと、中を見ることはしないだろう。師匠はそういう人で、そういう人だからこそわたしはこうしているのだ。


 中を見る条件は、全てのわたしたちの夢を叶えること。そうして、全ての償いを終えた師匠に贈るのは、わたしの本当の気持ちと今までお疲れ様の言葉。わたしの知っている師匠なら、きっとそれで十分なのだ。たくさんの幸せをつくって、その果てで感謝されれば、師匠はきっと悔いなんて残さずに終わりを迎えられる。師匠の苦しさを誰も理解してくれなかったこれまでとは違って、少しでもそれを理解できる誰かの言葉があれば、正しく感謝されながらなら、師匠は終われるのだ。わたしの知っている師匠は、そういう人だ。


 師匠の、絶望のような、深い悲しみのような表情が、心に刺さる。師匠からしてみれば、やっと幸せな終わりが迎えられそうなところで、夢にまで見たそれが遠のいたのだ。こんな顔もしたくなるだろう。でも、許してほしい。わたしは確かに自分の手で師匠を終わらせてあげなかったけれど、そういう嘘みたいなだまし討ちは、師匠もしたことだ。全部終わったらわたしと一緒にいてくれると言っていて、本当は死体くらいしか残すつもりのなかった師匠のそれと比べれば、わたしの吐いた嘘なんてかわいいものだろう。


 ピシピシと、体が壊れていくのがわかる。自分の体のことだ、わたしが一番よくわかる。


 回復魔法が行き届かなくなった体の末端から、次第に崩れていく。指がなくなってその根元がなくなって、手足が消える。最後まで頭が残りそうなのは、不幸中の幸いといっていいだろうか。師匠とおそろいの芋虫になっても、わたしの意識はまだ残ったままだ。


 師匠が、涙を浮かべてくれているのが見える。泣きながら、わたしに対して恨み言を言うのではなく、謝ってくれているのが聞こえる。本当は、もう謝ってもらう必要なんてない。どちらかと言えば今までありがとうと言ってもらった方が、うれしい。でも、そんな言葉を伝えられないのは、わたしの自己責任だ。わたしは師匠のことを恨んでいないといけないから、そう思われていないといけないから、最後に自分の気持ちを伝えることもできない。きっと訪れる、師匠が手紙を読んでくれる未来を祈るしかできない。


 髪の毛が消える。おへそから下が、消える。体の体積が減るにつれて消えていく速度が遅くなっていくのがいやらしいが、少しでも師匠のことを見ていられると思えば、悪くはない。


「……あなたのみらいと、わたしのみらいに、たくさんのしあわせがありますように」


 残したい言葉は、これで全部残せた。もう、何も心残りはない。未練はない。


 ……うそだ。本当は、やっぱり死ぬのがこわい。師匠にいった言葉は、師匠を死なせないためのものだけど、本当の事でもあった。死は受け入れられるけど、やっぱりこわい。せめて最後は、温かいところで終わりたかった。


 不意に、残った頭が持ち上げられた。もう目もほとんど意味をなしていなくて、何も見えないに近い視界が、浮き上がるのがわかった。きっと、ただの気のせいだろう。だって、持ち上げられるはずがないのだから。もう触れただけで崩れてしまうわたしのことを、持ち上げられる人なんてどこにもいないのだから。



 だから、これはきっとただの気のせいだ。気のせいに決まっている。優しいぬくもりに包まれているのなんて、気のせいだ。



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 おしまいです(╹◡╹)


 明日新しいやつをあげるつもりだから興味があったら読んでください。魔法少女のおかげで生存権を確保出来ている世界の一般モブ戦闘員おじさん()が魔法少女になる話です(╹◡╹)

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悠久の賢者ベネディクトゥスはそろそろ死にたい エテンジオール @jun61500002

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