A19.悪い事をした自覚があって、楽になりたいからだよ。あとは単純にマゾな場合もある

 目の前でモノを失ってから、何をしていたのか記憶はなかった。気が付くと、血と土で汚れたまま、師匠の家で、味もわからない何かを食べさせられていた。


 たぶん、ハンバーグだったのだろう。味どころか食感もまともにわからなくて、ハンバーグなのに、土でも混ざっているかのようにジャリジャリしたように感じた。


 何も、わからなかった。意識が飛んでしまっているみたいに、気がつくと時間だけが過ぎていた。何もできなくて、何もしたくなかった。このまま全部終わってしまうまで、何もしないで過ごしたかった。


 そうしているあいだも、わたしが何とか生きていたのは、師匠が助けてくれていたからだ。わたしのことを心配して、気遣ってくれた師匠が、わたしのお世話をしてくれたから、わたしは生きていることができた。


 そして、そんな状態になっていたわたしに、生きる理由を思い出させてくれたのもまた、師匠だった。シーはもういなくなったけれども、魔王の信奉者はまたいつ現れるのかわからない。そして、魔王を倒せない師匠では、その発生を止めることも出来ない。


 また魔王の信奉者が現れたとして、それに対抗できるのは、わたししかいないのだ。もう魔王の信奉者がいないとして、わたしがなんとかしなければいつまた生まれるかわからないのだ。


 それはつまり、テトラのことを本当の意味で守れるのはわたししかいないということ。あの日に生き残ることが出来たアイリスを守れるのは、わたししかいないということ。


 わたししか、守れないのだ。その事実が、わたしに再び立ち上がるための力をくれた。立ち上がって、また戦うための。今度こそ魔王本人を倒すための、力をくれた。逆に言えば、今のわたしを動かすものは、もうそれくらいしか残っていなかった。


 それでも、あと少しで準備ができると言っていた師匠の言葉を信じて、また頑張ろうとしたら、師匠は少し話しにくそうな様子で、わたしにとある人に会ってくるように伝える。


 誰に会うのか、何をしてくればいいのかも、何も教えてもらっていない状態で、ただ場所だけを伝えられる。曰く、行けばわかると。それより先は私が話すべきではないと。


 何が出るのかはわからないし、想像もできない。何も教えて貰っていないのだから、当然だ。ようやく立ち直ったばかりの心を奮い立たせて、何が待っているのか分からないそこに向かう。


 言われた通りの場所に向かって、着いたのは人里離れた森の奥にある、休憩所のような小屋。誰かが住んでいるようには見えず、けれども空き家にも見えない。旅人が休むだけの場所のような、そんな見た目の小屋だった。


 会ってこいということは、今回待っているのは人なのだろう。その人から何かを貰えばいいのか、その人に何かを渡せばいいのだか。そんなことすらわからない状態で、けれども師匠に言われたからその中に入る。


 思っていたよりも、小屋の中身は綺麗だった。人が住んでいるような生活感はやっぱりなかったけれども、掃除は行き届いているように見える。


 こんなところで会わなきゃいけないのは一体どんな人なのだろうかと怪訝に思いながら、誰かがいる雰囲気がある奥の部屋に向かう。その先で、いくつかある椅子のひとつに腰をかけていたのは見覚えのある人影。肌の色も、髪の色も、その耳も、その特徴を全部備えている人を、わたしはこれまで一人しか見たことがなかった。わたしの大切な大切な親友。かつてのわたしの馬鹿げた夢を、信じてくれた人。


 長いことあっていなかった、セレンがそこにはいた。そこに居たのは間違いなくセレンだったけれど、しかしそうなると師匠がわたしに話してくれなかった理由がわからない。だって、説明もできなくて詳しいことは会ってから聞けと言われた相手が、わたしのこれから会わないといけない相手だ。セレンならわたしも師匠も知っている相手なのだから、わざわざこんなところにきて話す必要は無いだろう。


 そうなると、わたしが会う相手はきっとセレンではないのだろう。セレンがここにいたのは、ただの偶然。そうに決まっている。だって、そうじゃなければわたしはこれから、セレンと“こんなところじゃないとできない話”をしなければいけなくなるのだ。大切な友達とそんなことは、したくなかった。


「アリウム、久しぶり。こんなところで一体どうしたの?」


 どことなく物憂げにしていたセレンが、わたしに気付くと尋ねてきたので、賢者様から言われてここに来たことを伝える。


「そっか。……そっか。じゃあ、アリウムが私の運命の人、ずっと待っていた、“その人”だったんだね。……賢者様はやっぱり意地悪だ」


 わたしの言葉を受けたセレンは、なにかショックを受けて、そのあと納得したようによくわからないことを言った。師匠が意地悪なんて言ったことに反論したかったけれど、そんなことが許されるような雰囲気ではなかった。


「そういえばアリウム、あなたに私の話をしたことは、きっとほとんどなかったよね。少しの間でいいから、聞いてくれないかな。私の昔の暮らしと、その失敗を」


 その話が、ここでしか話せないような話なのだろう。セレンが話しやすいように、一つ隣の椅子に座って続きを待つ。そうするとセレンは、思い起こすように宙を見ながら、昔語りを始めた。


 話の始まりは、セレンの生まれた集落のこと。ここよりもずっと南の、暑いところだったらしい。そこでは街の中や、わたしたちの里のような文明と呼べるものはほとんどなくて、魔物の脅威と戦い続ける生活をしていたらしい。外の世界とのつながりはなく、唯一それを知れるのは偶然迷い込んだ人の持ち物、それもその近くに着く頃にはもう息絶えている人のものだけらしく、その外に惹かれてしまったセレンは、集落の中で浮いていたこと。


 そんなセレンにも味方が一人いて、父と呼んで慕っていたその人の元で暮らしていたから寂しくはなかったこと。ある年に起きた干ばつで、悠久の賢者様に対する雨乞いのための生贄として選ばれたこと。他とは違って信仰心のなかったセレンはそれを拒んで、自分が生き延びるために集落のみんなを殺すことになったこと。


 そして、最後に目の前で命を落とした父に、誰か一人、自分たちの全てを継がせなければいけないと言われたこと。自分たちの一族の存在が無駄ではなかったことを証明するために、なにか大きなことを成し遂げられる誰かを見つけるまで、その全てを絶やしてはならないと言われたこと。


 集落の全員を継いで、あてもなくて、困っていたところで賢者様に会い、一族を継ぐに足る人を見つけると約束してもらったこと。


 それがわたしなのだと、セレンは言った。悪名高い魔王を倒すための一助になれれば、自分もみんなも報われると、その終わりなら受け入れられると、セレンは言った。


 嫌な予感がした。ろくでもない話の予感。だって、普通なら、わたしの知っている常識なら、人から継げるものなんて、なにかの物か、形のないもの、思いや目的くらいだ。なのに、セレンは一族をと言った。セレンが継ぐと言うだけの話なら、まだわかる。なのに全く関係の無いはずのわたしに継ぐなんて言うのだ。間違いないことは、この話が平和には終わらないということだろう。


 内心、聞きたくないと思いながらも、継ぐとは具体的に何をするのか質問する。師匠がわたしをここにこさせた以上、話を聞かずに帰ることは許されない。


「そのことね。とっても簡単だよ、ただ、食べるの」


 本心から簡単だと思っているように、こともなげにセレンはそう言った。偉大な戦士たちの肉を取り込むことで、その力の一部を得ることができるのだと。


 まるで当たり前のようにそう言って、だから私を食べてと続ける。そうするのが当然だと疑ってすらいないかのように、平然とした言葉。でも、セレンにとっては普通のことで、幼い頃からしてきたことかもしれないけれど、人喰いそんなことなんて、わたしにとっては親しみもなければ考えたこともない、おそろしくおぞましい行為でしかない。



 当然、嫌だと言って拒否する。友達を食べないといけないなんて、受け入れられるわけがない。もう誰も失いたくないのに、自分で奪わないといけないなんて、考えたくもない。たとえそれが必要なことで、師匠がここに来させた理由だとしても、それだけは、受け入れるわけにはいかない。


 そのことを伝えると、セレンは豹変した。先程までの、懐かしむような、何かを惜しむような、解放されたような不思議な表情を崩して、なんでそんなひどいことを言うのかとか、何でもするからお願いとか、手を替え品を替え、なんとしてでもわたしから了承の言葉を引き出そうとしてくる。


 その、あまりに必死な姿が怖かった。わたしの知っているセレンが、一度も見せたことのなかった姿。わたしから言わせてもらえば、自分を食べろなんて酷いことを言っているのはセレンの方だし、何でもするなら食べろなんて言わないでほしいし、これ以上わたしから大切なものを奪わないでほしい。


 けれど、わたしがどれだけセレンに生きていてほしいと思っていても、その気持ちは届くことはない。この日のためだけに生きてきたのだと言い切るセレンを思いとどまらせる言葉を、わたしは持っていなかった。


 それでも、わたしが頑として聞かなければ、セレンは生きざるを得ないだろう。そうタカをくくって断り続けていると、セレンの表情がまた変わる。わたしの了承を得るための必死なものから、全部が抜け落ちてしまったかのような、虚ろなものに。


「そっか。じゃあ私はもう、ひとりで無駄死にするしかないんだね。アリウムが継いでくれないのなら、私も、私の家族たちも、最初っからいなかったのと同じだもん。……私なんて、生まれてきたのが間違いだったんだ」


 小さな声でさようならとだけ言って、セレンはどこかから取りだした刃物を自分の首に突き刺そうとする。


「……どういうつもり?」


 首の寸前で刃物を止められたセレンが、怪訝そうにわたしに尋ねる。わたしが、セレンに刺さろうとするナイフを反射的に掴んでとめたからだ。セレンからしてみれば、自分の目的に協力しないと言ったわたしが、次善策すら邪魔しているように思えるだろう。


 けれど、わたしの目的はただ邪魔をすることではない。その命を、何よりも大切にしていた仲間の、先祖ののことを無駄にしようとしているセレンのことを止めるためだ。


 もちろん、自分の行動が少し前までのものと正反対だということは理解している。けれど、わたしが拒否した理由は、そうすることでセレンが生き長らえると思ったからだ。自分の手で友達を殺したくないという思いももちろんあるけれども、主たる理由としてはそちらの方になる。


 それでは、わたしが断った結果のセレンの行動は?これまでのことを全部捨て、ただ失意のままに命を終わらせようとしていた。これまで苦しんできたはずのセレンの最後がそんなものなんて、受け入れられるわけがない。


 わたしの行動で、わたしの我慢で、全く話が変わってくるのであれば、それくらいは我慢して見せよう。わたしのわがままだけで待っているものが違うのであれば、多少の苦しみは、受け入れよう。



 食べるから自殺しようとしないでくれと頼んで、セレンに言われた通りにセレンを食べ進める。失血死させないために食べたそばから回復魔法で止血をして、セレンのことを減らしていく。


 それを始めた時点で、わたしはもう戻れなくなってしまった。不完全な状態で治すということは、もうこれ以降回復魔法を使ったとしても再生させられないということ。指を一本食べたら、セレンが途中で心変わりしてくれたとしても、もうその指は生やせない。


 それでも希望を捨てなかったのは、たとえ不具になったとしても、欠損が残ったとしても、生きていて欲しかったから。だから、ギリギリまで死なないようにした。そして、より自分を苦しめるためと言って、セレンもそれを望んだ。


 口の周りが温かいもので汚れる。セレンのことを汚いなんて思っていなくても、それが付いたら汚れだと思うのかと、頭の中の冷静な部分でそんなことを思った。


 あまり頭を働かせずに、作業のように食べ進める。そうしないと、心が持たないとわかるから。食べ進めないと、セレンを無駄にしてしまうから。どんどん食べ進めて、気がつくとセレンはもう動かなくなっていた。温かかったものが抜けていき、体が固くなっていく。


 早く、食べきらないといけない。もうセレンはいないのだから、残りを食べ残しにしてもバレないだろうけど、友達に対してそんな不義理なことはしたくなかった。



 部屋には、赤い汚れと白い骨だけが残った。

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