A20.会わないでいるためだよ
そろそろ終わります(╹◡╹)
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赤く汚れた部屋の中で、お腹の底から込み上げてくる吐き気を堪えながら蹲る。本当は吐き出してしまいたいほど気持ち悪かったけれど、ここで吐いてしまったら大切なものをなくしてしまう気がした。一度受けいれて、取り込んだのだから、それは手放しちゃいけない気がした。
お腹の中身がきっと消化されて、空になってからも絶えず訪れる吐き気と戦って、数時間経ったところでようやく動き始める。まずは、セレンの残りの処理。骨や、髪なんかの可食部じゃないところは、食べないまま残してあった。わたし以外に唯一残ったセレンの存在の証拠を、丁寧に埋葬する。せめて、わたしに取り込まれなかった部分くらいは、然るべきところに帰ってほしい。
ひと房だけ、形見として髪を残し、袋に入れて懐にしまう。セレンはわたしがこんなことをするのは望まないかもしれないけれど、わたしも望まないことをしたのだ。それくらいはきっと我慢してくれるだろう。
そこまで済ませたら、急いで帰る。今は少しでも早く、休みたかった。どこまで、何まで把握していたのか師匠を問いたださないといけないし、少しでも安心できる場所にいたかった。
それなのに、ようやく帰ったわたしを待っていたのは、がらんとした家の中。いつも師匠がいた書斎にも、最近はアイリスの面倒を見てくれていたからずっといたリビングにも、師匠の姿はない。
いや、なくなっていたのは師匠の姿だけではない。師匠が面倒を見てくれていたはずのアイリスもいないし、その身の回りのものもなくなっている。それ以外にも、テトラの部屋の中身や、師匠が特に大切にしていたものたちも、ほとんどが残っていない。
残っていたのは、あってもなくても変わらないようなものと、わたしのもの。それがまるで、師匠にとってわたしが要らないものであると示しているように感じられて、すごく怖かった。わたしは自分のために、師匠のためにこれまで頑張っていたはずなのに、捨てられたのだと思ってしまった。そんなこと、受け入れられないはずなのに、そう思ってしまったのだ。
師匠に捨てられて、テトラやアイリスから離されてしまったら、わたしにはもう何も残らないと言うのに。
そんなの、受け入れられるはずがない。それを受け入れてしまったら、わたしはわたしでいられなくなってしまう。だからそんな怖いことは考えないようにして、師匠を探す。
きっと、なにか理由があるのだ。わたしに伝えられなかった理由があって、どこかに行ってしまった理由がある。そうじゃないとおかしい。師匠がなんの理由もなく、わたしを置いていくはずがないのだ。師匠の目的のためには、魔王を倒すためにはわたしが必要なのだから、置いていかれるわけがないのだ。
それならきっと、師匠は今、とても困っているはず。目的のために必要なわたしを、師匠の代わりになって働けるわたしを失って、師匠は困っているはずなのだ。それならわたしは、困っている師匠のことを探さないといけない。師匠の元に行って、師匠の困り事を解決しなくてはいけない。
その一心で家を出て、少しでも師匠がいるかもしれない場所、師匠の情報がありそうな場所を手当り次第さがす。師匠が以前話したことのある場所や、師匠のおつかいで行ったことのある場所。師匠がわたしのことを捨てていなければ、きっとどこかに手がかりがあるはずなのだ。それはつまり、どこかにないはずがないということ。見つからないのはそれがどこにもないからではなく、ただわたしが探し足りないだけ。
休むことすらほとんどせずに探し続けて、何一つ痕跡を見つけられない。気持ちが折れそうになるけれど、折れたらもう治らないとわかるから折れない。もう二度と師匠に、テトラに、アイリスに会えないんじゃないかと怖くなって、それを誤魔化すために体を動かし続ける。
思いつく心当たりをほとんど当たって、可能性の高そうなものはもう残っていなかった。見つけられそうな場所から探すのだから、当然だ。諦めの気持ちが、現実逃避じゃ抑えきれないほど大きくなる。
そうして、諦めそうになった時に、ふとエフのことを思い出した。わたしの妹で、師匠に見つけられて学園に通っていたエフ。師匠から、わたしに食べさせるようにと高級なお肉を渡されていたエフ。わたしの知っている中で唯一、居場所がわかって、師匠と面識のあるエフ。
そんなエフなら、もしかしたら何か知っているかもしれない。師匠のことや居場所は知らなかったとしても、エフが幼い頃育ったという、わたしの知らないエルフの里なら知れるかもしれない。エルフの里なら、その跡地なら、師匠がいる可能性は十分にあるだろう。
そう思いついて、急なのは百も承知ですぐにエフの元に向かった。本当なら、もっと前もって連絡しておくとか、せめて朝になるまで待つとかするべきなのはわかっているけど、焦燥感がそれを許してくれなかった。
最初止めようとしてきた警備兵に手の甲の模様と名前を伝えて、今すぐエフに会いたいのだと、邪魔をするなら無理やりにでも行くと伝えると、警備兵は少し間を置いてわたしを案内してくれた。
連れていかれたのは、来客用の部屋。もちろんそこにエフはおらず、どういうつもりかと聞いたら、国として守らないといけない体裁くらいは守らせてほしいとのこと。誰の許可も得ずにわたしをここまで連れてきておいて、今さら体裁も何もあるのかと思ったけれど、そういうことであればまあしかたがない。
少しの間一人で放置されて、やることがないのでそわそわしていると、駆け足のような足音が聞こえてきて、現れたのはエフだった。本当に急いできてくれたようで、服装も乱れているし、来客の対応とは思ないくらいの薄着だ。
「お姉さま、お待たせいたしました。いきなりいらっしゃるのでびっくりしました。一体どうなさったのですか?」
急いできたせいか、若干息を切らしているエフの質問に、師匠、悠久の賢者様の居場所を知らないかとまず聞いてみると、案の定というべきかエフは知らないといい、先ほどよりも緊張感のある表情で、いったい何があったのですかと聞き返してくる。
最初は焦ってしまったけれど、エフが知らないのであれば、わたしの知りたいことを一つ一つ聞いていくよりも、エフに事情を話して協力してもらった方が話は早いので、現状とこれまでの経緯を軽く説明する。
「なるほど……セレンおねえちゃんは、御自身の望みをかなえられたのですね。ずっと苦しんでいらっしゃったから、きっとこれでよかったのでしょう」
セレンとの話をしたところで、エフはそう言って何かを考えこむように黙り込んだ。賢くて、頭の回るエフが黙り込むほど、思考を深いところまでめぐらせている。一体何を考えているのかはわからないけれど、きっと何か心当たりがあるのだろう。そう、信じたい。
「事情はおおよそ把握できました、お姉さま。きっとお姉さまがわたくしのところに来られることを、賢者様も望まれていたと思いますわ」
永遠にも思える、短い時間。その思考時間で何かに思い至ったらしいエフが、わたしにそう伝える。一筋の光明が差した気持ちで、わかることがあるのなら何でもいいから教えてほしいと言えば、エフは全部話しますからひとまず落ち着いてくださいと宥めてきた。
「まずはそうですね、わたくしは、お姉さまにいくつか謝らなければならないことがあります。最初は、お姉さまに吐いてきた嘘から謝りましょうか」
わたしを宥めたエフが言ったのは、そんな言葉。そんなことはどうでもいいから、早く師匠のことを教えてほしいと言おうとして、怪しく光るエフの瞳を見て何も言えなくなる。
「まず、わたくしは正確には、お姉さまの妹ではないんです。お姉さまの腹違いの妹と言っていましたけど、本当はお姉さまとお姉さまの御父上から作られました。お姉さまはお姉さまであるのと同時に、わたくしのお母様でもあるのですよ」
エフの言っていることが、理解できない。その言葉が真実だなんて、欠片ほども信じられない。だって、エフと初めて会ったのは学園にいた頃で、そのころのわたしには子供なんていなかった。わたしの子供は、モノ、ジエン、トリーナ、そしてテトラの四人だけだそれ以外の子供なんて知らないし、生んだ記憶もない。
「あらあら、やっぱり信じてもらえませんでしたね。わたくしはずうっとお母様に認知していただきたかったのに悲しいですわ」
よよよ、とわざとらしく泣いたふりをして、すぐにくすくす笑いながら顔を上げるエフ。何が真実なのかはすぐにわかりますわと、いやに自信ありげだ。
「ついでに言えば、お母様の妹も、娘も、わたくしだけではありませんし、お母様はたくさん出会って来ていますの。だぁれも認知してもらえなくて、みんなお母様に殺されてしまいましたけれど」
魔王のしもべって、ほとんどがわたくしたちの家族だったのですよ、と、エフは言った。適当に考えたにしては矛盾がなく、いたずらで言ったにしては悪質だ。わたしの知っているエフは、そんなひどいことをする子ではない。わたしの知っている得エフは、こんなことを笑って話せる子じゃない。
じゃあ、この子はエフじゃないのだろうか。いや、その辺で偶然出会ったのならともかく、わざわざ警備の厳しいこんな場所まできて話を聞いたのだ。まさか偽物がすり替わっているなんてこともないだろう。発言以外の、言動以外の全てが目の前の存在をエフだと示していいる。
それなら、これはエフなのか。わたしの知らないこれは、本物のエフなのか。信じたくはないけれど、頭の冷静な部分が信じるしかないと言っている。
「ねえ、お母様、妹たちを殺すのはどんな気持でした?娘たちを殺すのは、すっきりしたましたか?あの方がお母様のために作って、育てたわたくしたちは、お母様にとってどんな存在でしたか?」
目の前絵の存在の言葉を信じたくなかった。でも、あの方。その呼び方をする人には、心当たりがあった。わたしよりも強くって、何度も苦しめられた存在。わたしから大切なモノを奪った、シー。シーも、同じ言葉を使っていた。そして、魔王のしもべのことを知っていた。何より、エフは以前、自分の里の仲間は姉に殺されたと言っていた。
その可能性に思い至ったら、エフの言葉がきっと真実なのだろうと理解出来てしまった。魔王がエフを作ったのなら、全部ありえることだ。エフが知らないはずのことを知っているのも、エフがこんなに楽しそうにしているのも、仕方のないことだ。
「たくさんのたくさんの贈り物、お母様は喜んでくれましたか?お母様が思っている以上に、お母様はあの方から覆われていたのですよ。そう言えばお母様、以前わたくしと一緒に食べたお肉を覚えていますか?」
覚えていないわけがない。わたしがジエンを失った日の、失った理由になった肉だ。師匠からの贈り物だと言って、エフがわたしに食べさせたものだ。忘れるわけがない。
「あのお肉、お母様は味わいもせずに食べてしまいましたね。せっかくの貴重な、わたくしの姉弟、甥っ子のお肉でしたのに。ねえお姉さま、あの日食べたジエンのお肉は、どんな味でしたか?その次の日に殺したジエンの成れの果ては、どんな気持ちで戦いましたか?」
くすくす、くすくすと口元を隠して笑いながら放たれた言葉に、頭が理解を拒む。あの何かがおかしかった日に、何もかもがおかしくなった日に、起きたことを思い返す。ああ、それは。エフが魔王の信奉者だったなら、ありることかもしれない。
「内側からブクブクと膨れ上がって、魔物みたいな大きさになったトリーナちゃんnの相手はどうでしたか?もっと前、わたくしがお母様にお会いする前の、モニカさんと言いましたっけ?お母様と見間違えて、シー姉さまの手で苗床にされたあの人の最後は気に入っていただけましたか?」
全部全部がお母様への贈り物なのですよ、とエフは言う。モニカさんのことは、エフにも、セレンにも、エドワードにも伝えたことのなかった話だ。それを知っているのであれば、きっと間違いないのだろう。
「その様子ですと、お気に召したようですわね。わたくしからの贈り物はいかがでしたか?お母様のために、いろいろがんばったのです。お母様がずっと気にしていたエドワードの気を引いたり、お母様がわたくしのことを優先してくださるように、タイミングを考えたり。あの方のものに比べるといささかささやかではありますが、喜んでいただけたでしょうか?」
頭の中で、かつての記憶、少し苦い思い出に変わっていたそれがよみがえる。初めて好きになった人。たくさん悩んで、考えて、けれども形にするよりも前に、目の前の妹に譲ったそれ。リックと結ばれてからは、いい思い出、記憶の中の綺麗な風景に変わっていたそれが、汚される。他人と一緒に生きることを選んだ、幸せを求めた大切な思い出が、心の中で色あせていく。
「ぜんぶ、ぜんぶ。お母様への贈り物です。誰よりもかわいらしくて、だれよりも愛おしいお母様への、わたくしからの贈り物です。……あら、お母様、そんなにうなだれてどうなさったのですか?」
くすくすと、笑いを隠そうともせず、エフはわたしの顔を両手で包むと、わたしのことをのぞき込む。わたしがいやでも、エフの瞳を見なければならないようにする。
「実はもう一つだけ、お母様に贈りたいものがあるのです」
わたしはもう、おまえからなにももらいたくなんてない。
「わたくしの目、綺麗でしょう?あの方に頂いた、特別な目なのです。人の心を惑わす、素敵な目」
ああ、いまならわかる。この目のせいだ。この目のせいで、わたしはエフを信じてしまっていた。この目がなければ、話の途中で黙らせていたはずだ。
「これ、お母様に差し上げます。……それにしてもお母様、反応が悪いですね。いつまでそうしているんですか?」
そんなもの、いらない。ほしくもない。
「いつまで、気が付かないふりをしているのですか?いつになれば、現実を見るんですか?わたくしがこんなにもお手伝いをしているというのに」
何を言いたいのか、わからない。わかりたくない。けれど、わかりたくないということは、つまり本当はわかっているということだ。
「セレンおねえちゃんの話を聞いた時点で、本当はもうわかっていたのでしょう?自分がこれまで何をしてきたのか、何を食べていたのか」
セレンは、エルフを食べれば強くなれると、その性質を引き継げると言っていた。そしてわたしはこれまで何度も、同じ効果のある何かを食べてきた。
「お母様はこれまでずっと、大事な家族を、仲間を食べてきたのでしょう。現実逃避が許される時間は終わったのですよ。あなたが戦わないといけないのは、あの方の正体は」
わかっていた。わかっていたけど、考えたくなかった。
「魔王の正体は、悠久の賢者様なのですから」
あたまのなかが、まっしろになった。
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