第39話 学園のマドンナと話し合う

 食事を終え、キッチンに二人で並び後片付けをする。

 渡辺さんが洗った食器を受け取り俺が拭く。そんな分担をしていると……。


 これって、夫婦みたいでは?

 と、考えてしまった。


 付き合い始めてまだ二週間も経たないのに、家に呼び、一緒に料理を作って食べ、片づけをする。いくつか段階を飛ばしてしまっているのではないか?


「どうしたんですか、相川君」


 渡辺さんが皿を渡しながら顔を覗き込んでくる。彼女は特に疑問を浮かべることもなく普通にしている。


「いや、何でもないよ」


 よく考えたら、付き合う前から釣りに出掛けたり、水族館に行ったり、海に行ったりしていた。あれをデートと考えるのなら順当な流れというやつなのかもしれない。


 どこからが異性との付き合いで、どこまでが友だち付き合いなのか?

 その辺の線引きが俺に分からない以上、気にするだけ無駄と判断する。


 今は、楽しそうに食器を洗っている渡辺さんの姿がただひたすらに可愛いということだけ刻み込んでおけばよいだろう。


「相川君、エプロンどこに置けばいいですか?」


 洗い物を終え、エプロンを外した渡辺さんが聞いてきた。


「椅子に掛けておいて」


 俺がそう言うと、渡辺さんは先程、自分が座っていた椅子にエプロンをかけた。

 

 そのことを確認しながら、珈琲を淹れ始める。


 普段も食後には飲む習慣がついている。渡辺さんも飲むか確認したところ「相川君が淹れてくれる珈琲なら是非」と返答があったので、いつもより丁寧に淹れることにした。


 フィルターに珈琲豆の粉を入れ、お湯を注ぎ蒸らす。

 この時間次第で味が変わるので、注意が必要だ。父親に頼んで買ってもらった専用のドリップポットのお蔭で、注ぐ湯量の調整ができるので、真剣だ。


 ふと、後ろに気配を感じると、渡辺さんが立っていた。彼女と目が合うと、


「相川君、珈琲を淹れる姿が様になっていますね」


「……まあ、慣れているからね」


 話し掛けてきた渡辺さんにそう返事をする。実際のところ、かなりの回数を淹れているので当然ではあるのだが、渡辺さんに褒められると素直に嬉しい。


「もう少しで用意できるから、リビングで待っていてもらえるかな?」


「はい、わかりました」


 俺が促すと、彼女はリビングの方へと向かうのだった。




 珈琲とクッキーを用意しリビングに行く。

 彼女はソファーに座り、スマホを操作していた。


 渡辺さんは俺がリビングに入るとスマホの操作を止めた。

 俺はソファーの前のテーブルに珈琲とクッキーを置くと、


(さて、どこに座ろう?)


 新たな悩みが浮かんだ。

 リビングに置いてあるのは数人掛けのソファーとテーブル、向かいにはテレビがある。


 我が家には来客がくることもなかったので、これまで特に気にしたことがない。

 ところが、その来客がきてから事態に気付いてしまった。


 こういう時、どこに座ればいいのかということに……。

 これが相沢とか男友だちなら、特に意識することなく隣に座ればいいだろう。


 だけど、異性の……それも学園のマドンナと評される程の美貌をもつ渡辺さんだったら?

 家に二人きりというだけで緊張しているのに、隣り合って座るなど心臓が持たない。俺は自然と向かいの絨毯に正座をしようとすると……。


「相川君、そんな床よりもこちらにどうぞ」


 彼女は自分の横をぽんと叩いた。


「いや、でも……」


 現在、家には俺と彼女の二人きり。父親は夜遅くならないと戻ってこない。

 もし、妙な気を起こしたら止められる者はいないのだ。


 そして、渡辺さんは無自覚に可愛さを放ち続けているので、距離が近ければそれだけ理性が飛ぶ危険性が増す。


「家の方を床に座らせて私だけソファーというのはよくないです。それなら私が床に座るべきです」


「いや、そこまでしなくていいから!」


 渡辺さんを床に座らせて自分がソファーに座るなんて無理に決まっている。

 俺は彼女を止めると、


「だったら隣に座って下さい。それとも、私の隣は、お嫌ですか?」


 星屑をちりばめたような綺麗な瞳を揺らし、悲しそうに顔を伏せる。


「嫌じゃないっ! 座るから!」


 渡辺さんを悲しませてまで距離を取るなんてない。ようは俺の理性が壊れなければいいだけ。

 俺は、彼女に指一本ふれない覚悟を決めると、隣に座るのだった。





「相川君が淹れてくれた珈琲美味しいです」


 カップに口をつけると、彼女は落ち着いた様子で珈琲を飲む。


「そっちのクッキーも食べてみて」


 俺は用意しておいたコインほどのサイズのクッキーを勧める。


「こちらも美味しいですね。どこかの店のでしょうか?」


「まあ……、もらいものだよ」


 口元に手をあて、そう評価する渡辺さん。俺は自分も珈琲を飲み、クッキーを食べた。



「それじゃあ、そろそろお話したいのですけど……」


 カップをテーブルに乗せ、渡辺さんは真剣な表情でそう切り出してきた。

 今から話すのは、五人のグループの今後についてだ。


「里穂さんの様子を窺がったところ、まだ失恋の傷は癒えていないようでした」


 花火大会からまだ二週間しか経っていないので、流石に相沢への想いを振り切るまでには至っていないらしい。


「沢口さんの様子はどうだった?」


 最後に別れた時、彼女は悔やむような表情を浮かべていた。

 今回の告白の仕掛け人でもある沢口さんが受けたショックは、石川さん程でないにしろ大きいに違いない。


「そうですね、三人で話している間、真帆さんは常に里穂さんの様子を気にしていて……元気もあまりなかったです」


 やはり、沢口さんもこたえているのだろう。沢口さん人一倍友だちを大切に思っているので、今も引きずっている可能性が高かった。

 いずれにせよ、関係を修復させるためには、あの二人の調子が戻らなければ不可能だ。


「これは、少し時間が掛かるかもしれないな……」


 失恋には特効薬が存在しないという。時間が経てば癒えるという話なので、強引にことを進めるよりは、今後も渡辺さんから情報を得るべきかもしれない。


 俺がそのことを伝えると、渡辺さんも頷いてくれた。

 ひとまず状況を整理し終え、珈琲を飲んでいると……。


「相沢君の様子はどうだったんですか?」


 彼女は一瞬躊躇うと、探るような目で俺を見てきた。

 釣りの最中もこの話をせず、今も避けていることから、聞き辛い内容だと察している様子。


「ごめん、相沢のことは……話せないんだ」


「そ、それって……どういうことでしょうか?」


 渡辺さんは眉根を寄せると、俺の真意を確認してくる。


「理由は……言えないんだ」


 相沢と男の約束をしたということもあるのだが、俺自身この話を渡辺さんに聞かせる勇気がない。


「本当に、ごめん」


 散々、彼女から情報を聞いておきながら何一つ話せないことを謝った。普通は怒っても仕方ないところ、彼女は優しく微笑む。


「そのような顔をしないでください。私は、無意味に相川君が情報を伏せるとは思いません。そうしなければならない理由があるなら仕方ないです」


 渡辺さんは手を伸ばすと俺の顔に触れる。細く白い指が頬を撫で顔を挟み込んだ。


「えいっ!」


 次の瞬間、彼女は俺の頬を引っ張った。


「ふぁふぁふぁふぇふぁん(渡辺さん)?」


「ふふふ、相川君のほっぺた、柔らかいですね」


 彼女は屈託のない笑顔を浮かべると、楽しそうに俺の頬を弄る。


「相川君が罪悪感を覚えていたようなので、これがお仕置きということでどうでしょう?」


 渡辺さんがパッと手を離すと、自分の頬に触れる。彼女に触れられた部分が熱を持っていた。


「本当に、聞かなくていいの?」


 このくらいで許されてしまうと、俺としても困惑する。もっと追及されてもおかしくないと考えていたからだ。


「いいんです。だって、相川君、今日はそのことで散々悩んでたんですよね? なら、私がこれ以上責めると可哀想です」


 渡辺さんはピッと指を立てるとそう告げてきた。

 そんな彼女が愛おしく、俺はいつの間にか彼女の頭を撫でていた。


「ふぇっ!?」


「あっ……」


 彼女の驚き声とともに、俺も意識が戻る。

 先程、指一本触れないと誓ったばかりだったのに、まったく守れていなかった。


 渡辺さんを見ると、恥ずかしそうに顔を伏せ、プルプルと震えてしまっている。


「ごめん、嫌だったよね?」


 俺は慌てて彼女の頭から手を離すと……。


「いえ、相川君から触れてきてくれるのが珍しかったから少し驚きましたけど……その……嫌じゃないです」


 渡辺さんはそう言うと、両手で俺の右手を掴み、自分の頭へと導く。


「私、相川君の頭を撫でるのも好きですけど、相川君に頭を撫でてもらうのも好きです」


 そう言って、身体を近付け頭を肩に乗せてきた。瞳でうったえかけてきたので、俺は黙って頭を撫で始める。


 すると、彼女はリラックスしたように身体の力を抜くと目を瞑った。

 しばらくの間、沈黙が流れ、俺は彼女の頭を撫で続ける。


 体感では数分なのだが、時間間隔が狂ってしまい、どれだけ撫でているかわからなくなる。


「あ、飽きたら言ってね、撫でるのを止めるから」


 いつ止めてよいのかわからず、俺は渡辺さんにそう告げるのだが……。


「それは、どうなんですかね?」


 渡辺さんが目を開ける。いつの間にかさらに近寄っており、頬が当たる距離に彼女の顔があった。


「ど、どうって?」


 フローラルの香りが鼻腔を刺激し、彼女の温もりと、柔らかい感触が伝わり心臓を高鳴らせる。


「私は相川君に触れられるのが好きなので、飽きるということがないなーと考えてしまいまして。そうすると、相川君はずっと私の頭を撫で続けてくれるのですかね?」


「ごめん、それは無理だ」


 本当なら、今すぐ撫でるのを止めて、その手で彼女を抱きしめたい。

 あまりにもツボを押さえた言葉に、理性が吹き飛びそうになるのを必死に堪えているのだ。


「むぅ……、そこまでキッパリ言わなくてもいいじゃないですか」


 俺の葛藤を知らず、渡辺さんは頬を膨らませ俺から離れた。どうにか耐え抜いた俺は、ホッと息を吐く。

 自分の胸に触れると、これでもかというくらい心臓が暴れていた。


 俺が安心していると、ふたたび渡辺さんが近付いてくる。

 ソファーの上に膝立ちしている彼女を見上げると目が合う。


 一体どうしたのかと思い、見ていると……。


「相川君が撫でてくださらないなら交代です。次は私に撫でさせてください」


 そう言って両手を広げる彼女に、理性の壁がボロボロと崩壊していくのを見た俺は、


「ごめん。それは流石に無理です」


 彼女の要求を断腸の思いで断るのだった。

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