第50話 学園のマドンナはカワハギを食す
「それじゃあ、早速料理を始めようか」
「はい、宜しくお願いします」
釣りを終え、俺たちは家に戻ると、遅めの昼食の準備を始めた。
「まずは煮つけだね、こうして皮を剥ぐんだ」
俺はそう言うと片面を剥いで見せた。
「手でこんな簡単に剥げるんだ、面白いですね!」
隣では渡辺さんが感心した様子で作業を見ていた。
今日の彼女はフリルがついた可愛らしいエプロンを身に着けている。
釣りをした後で料理を一緒にする予定だったので、あらかじめ用意していたようだ。
「カワハギは、皮を簡単に剥げることからその名前がついたんだよ。さあ、渡辺さんもやってみて」
俺は一歩横にずれると、彼女に皮を剥ぐように促した。
「うーん……、思ってるより……硬いです!」
「そこは一気に力を入れる感じだね。頑張って」
「は、はい!」
渡辺さんは返事をすると、プルプルと腕を震えさせながらもどうにか皮を剥いだ。
「んで、次に内臓を取り出す。この辺は他の魚と同じだから変わらないよ」
「はい。お任せください!」
引き続き指導をする。彼女が魚を捌くのはまだ三度目なのだが、こうしてひたむきに料理に向き合う姿勢は好ましい。
特に理由について聞いてみたところ「してもらうだけじゃなくて、私も相川君の喜ぶ姿が見たいんです」などと言われたので、その時は思わず彼女を抱きしめてしまいそうになったくらいだ。
「相川君、できました」
少してこずったようだが、概ねうまく内臓を取り出すことが出来たようだ。
「後は、内側を真水で洗って、タレで煮つけるんだ」
俺は市販の煮つけ用の醤油タレを水で割ると鍋へと入れる。
「相川君はタレは作らないんですね? レシピとかネットであるかと思うのですが……?」
そんな俺の動きを見て、渡辺さんは首を傾げる。
確かに基本的にはタレなども調合するのだが、こと煮つけについては別だ。
「これ、地域限定の醤油タレと味噌タレなんだけど、凄く美味しいんだ。前に釣り場で会ったお爺さんに勧められたんだよ」
実際に試したところ、自分でタレを混ぜ合わせるよりも圧倒的に味が沁みて美味しかったので、それ以降煮物料理には市販のタレを使うようにしている。
「相川君って、わりと社交的なところありますよね?」
「そうかな……? 学校でも相沢くらいとしか話さないけど?」
渡辺さんの物言いに俺は首を傾げる。
「真帆さんや里穂さんとだってちゃんと会話してますし、バイトの時もそつなく接客をこなしてましたよね?」
「まあ、聞き上手という部分はあるのかも?」
あくまで俺の体感だが、釣り場には話をしたがる人が集まりやすい。
過去に釣った魚の話だったり、息子や孫の自慢話だったり、はたまた事業で成功した話だったりなどなど。
普通に聞き流せば良さそうなことを延々と話してくる人もいる。
俺はそう言った会話の中から釣りに関する情報や、雑学などの面白い話を聞くことができるので、割と長時間付き合ったりもする。
「わ、私とももっと話をして欲しいです」
渡辺さんはそう言うと俺を見上げてきた。
今のところ、学園で彼女との接触をしないようにしているので、そのことにおおいに不満を抱いているようだ。
「さて、次は刺身の準備かな」
「も、もうっ!」
返事を保留すると、俺はまな板に残る二匹のカワハギを並べる。
「鮮度を保つために締めておいたから、まずは頭と胴体を物理的に離すんだ」
頭と背を左右別々の手で持つと力を入れていく。
「この臭い玉というのがあるんだけど、これを傷つけると肝にかかってしまい生臭くて食えたものじゃなくなるから注意してね」
俺は彼女に臭い玉をみせてから慎重にそれを取り除く。
「後は皮を剥いで、三枚におろして刺身にする。肝の半分は刺身で、残り半分は包丁の背で叩いておいて最後に醤油と絡めれば完成だよ」
流れるように調理をすると、残る一匹の調理を渡辺さんに頼んだ。
俺は彼女が手順を思い出し、カワハギに包丁を入れるのを指導しながら、煮つけの方にも意識を向ける。
「で、できました!?」
少し歪な形になってしまったが、初めて捌く魚でこれなら上出来だろう。
「それじゃあ、煮つけもそろそろできるし、食事にしようか」
御飯と味噌汁をよそうと、俺たちは食卓へと移動した。
「私、カワハギって初めて食べるかもしれません」
「スーパーとかには出回らないからね」
高級魚ということで、あまり市場で見かけることがないのがこのカワハギだ。
特に新鮮なものは少なく、生で肝を食うというのは釣り人の特権と言っても過言ではなかろう。
「まずは、煮つけから……」
丸ごと一匹煮つけたカワハギに、俺と渡辺さんは同時に箸を伸ばす。
身をほぐし、口元へ運ぶと……。
「美味しいです! 煮つけのタレが甘くて、カワハギの身がほくほくして柔らかくてジワリと旨味が伝わってきます。これは御飯にあいますね」
彼女はそう言うと、白米を口に運ぶ。魚の煮つけと白米はそれだけで完璧な組み合わせとなるので、無限に食べ続けることができる。
「次は肝を食べることを勧めるよ」
渡辺さんがこの後どのような反応をするのか期待して、俺は彼女にカワハギの肝を勧める。
「えっと……これですか?」
桃がかった色合いの肝を見て、彼女は少し引いた様子を見せる。
実際に自分で捌いているので、リアルに想像してしまったからか及び腰になっているようだ。
「騙されたと思って、食べて欲しい」
「ううう、相川君がそこまで言うのなら……」
彼女はおそるおそる肝を一つ摘まむと、チョンチョンと醤油に付け口に運んだ。
「んんっ! 凄く濃厚で甘いですっ!」
次の瞬間、渡辺さんはパッチリを目を開くと言った。
「カワハギの肝は本当に新鮮な状態じゃないと真価を発揮しないからね。釣ったその場で締めて、鮮度を保ちながら持ち帰らないとこの味にはならない」
俺も箸を伸ばすと肝刺しを食べる。口の中一杯に豊かな風味が広がり、濃厚な味がねっとりと舌に絡みつく。まさに、海をそのまま食べているかのようだ。
「次は、叩いておいた肝を醤油に溶かして、白身の刺身を食べてみてよ」
「こっちも美味しいです!」
先程まで躊躇っていたことなど完全に忘れた渡辺さんは、肝醤油で食べたカワハギの刺身を絶賛した。
「うん、身もまだ透明だし、プリプリしていて美味しいな」
「そうですね……美味しいですね……」
そこで二人して言葉が止まる。
どうやら俺たちは同じことを考えているようだ。
「でも、これだけじゃ量が足りませんね」
「そうだよな……」
せっかく美味しいカワハギなのだが、今日は三枚しか釣れなかったので一人当たりが食べられる量が少なくなってしまう。
今はまだ時期の始まりということもあるので、この後に期待するしかない。
「相川君、これからは毎週カワハギ釣りでどうでしょうか? さしあたって、来週末の予定は?」
すっかり釣り人の顔になった渡辺さんが俺の週末の予定を聞いてきた。
それに対し、俺は苦笑いを浮かべると、自分のスケジュールを彼女へと伝えるのだった。
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