第49話 学園のマドンナはカワハギ釣りをする

「それじゃあ、今日は暑くなるらしいから、水分補給だけはしっかりやってね」


 週末となり、俺と渡辺さんは予定通りカワハギを釣りにとある磯場へと来ていた。

 対岸には漁港があり、こちら側の近くには釣り堀もあるので、休日の本日、子連れの客が何人も目に映る。


 そんな中、俺と渡辺さんはその横を通ると、カワハギが釣れるスポットへと到着した。


「今日が楽しみであまり眠れませんでした!」


 早朝から電車とバスを乗り継いできたのだが、途中彼女と顔が合うたびに逸らされてしまう。カワハギ動画を見て寝落ちしてしまい、その後渡辺さんの膝枕で目覚めてしまったので、その時のことが尾を引いているのだろう。


「今日は管理釣り場じゃないから、柵もないし気を付けてね」


 足場はゴツゴツとした岩のため不安定だ。ライフジャケットは着用しているが、不測の事態が起こらないことを願う。


「大丈夫です。私もそろそろ釣りに慣れてきましたからね、いつまでも相川君のお世話になるわけにもいきません」


 渡辺さんは腕を叩き積極的にアピールをしてくる。彼女は勤勉なので、あの後も家に帰ってカワハギの釣り方の動画を見漁ったのだろう。


 こちらが何も言わずとも、竿に糸を通し、カワハギ用の仕掛け針をセットしていた。


「これでよし、それじゃあ早速釣りを始めましょう!」


 俺が持ってきたアサリに針をかける。カワハギを上手く釣るためにはこの付け方も重要となる。

 きちんと動画をみて勉強した成果か、水管から針を通しワタから少し針を出すという完璧な手順だ。


「私、アサリのこのワタの部分の苦いのが苦手なんですよね」


「あー、うんわかる」


「あと、噛むとたまに砂がジャリってなるじゃないですか?」


「市販のアサリの泥抜きが甘いとそうなるよな」


 俺はその時の感触を思い出すと微妙な顔を浮かべる。


「とりあえず、この暑さだから午前中いっぱいで切り上げるつもりで行こう」


 渡辺さんが熱中症になる可能性があるので、短い時間で切り上げることをあらかじめ話してあった。


 俺たちは早速竿を振ると十メートル程先に仕掛けを落とす。

 リールから糸が出て海底へと沈んでいく。カワハギは海底付近にいることが多いので、まずは底の深さを探ることが大切だ。


「ここ、結構深いかもね」


 糸が出ている時間をカウントすると、普段釣りをしている堤防よりも数秒掛かった。

 これは、海底まで距離があることを示している。

 そして、海底が深ければ深い程、様々な魚がそこにいる可能性が高かった。


 海底についてから、何度か竿を動かし誘いを入れる。カワハギは小さな口をしているので、水平に餌を食わせるよりは角度を付けたほうが針を引っかけやすいのだ。


 何度か動かし、少しまってリールを回し糸を巻き取る。これを繰り返して反応があるまで待つのがこの釣りのやり方なのだが……。


「あれ? エサがなくなっちゃいました!」


 隣では、渡辺さんが仕掛けを回収しており、三本あった針からはアサリが完全に消えてしまっていた。


「これは、エサ取り名人がいる可能性が高いな」


「エサ取り名人ですか?」


 彼女は可愛らしく首を傾げる。


「フグのことだよ。カワハギもフグもアサリをエサにしているから、狙って釣ろうとすると高確率でフグが釣れてしまうんだ。そして、フグも口が小さいから気を付けないと何の反応もないままに餌だけ持っていく」


 それを避けるためには、竿をこまめに動かしてじらす、フグがおらずカワハギがいそうな場所に仕掛けを落とすしかないのだが、どちらもテクニックが必要なので、まだ竿を持ってそれ程立っていない渡辺さんにはわからない話だろう。


「むぅ、私のアサリをただで食べるなんて。フグさんは悪い子です」


 自分の頬をフグの様に膨れさせ憤慨する渡辺さん。このような冗談を言うあたり、すっかりと俺に打ち解けてくれた。


「そのために、大量のアサリを用意したからさ。めげずにどんどん投げて行こう」


「はい! わかりました!」


 渡辺さんはそう答えると、真剣な顔をして餌を付け直し仕掛けを飛ばすのだった。



「うーん、反応はあるな」


 何度か竿を上下に動かし、動きを止める。

 生餌を使った場合、魚は何が何でもこの餌を食べようと追いかけてくる。


 こうして焦らしてやれば、フグではなく本命の魚が寄ってくるので手で竿の感触を探っていると……。


「きたっ!」


 ガツンとぶつかる感触がして、一瞬待ってから竿を上げる。するとビビビッと確かな振動が腕に伝わってきた。


「これは絶対カワハギだ!」


 これまで、何度か釣ったことがあるのだが、カワハギは平べったい身体をしている分、左右に揺らしながら逃げようとする。

 その特有の振動は他の魚と区別がつきやすく、俺は頬に笑みを浮かべ、絶対に逃がさないつもりでリールを巻いていく。


「あっ、何か見えてきましたっ!」


 海面に飛沫が立ち、魚の姿が見える。遠目でも明らかな特徴的な形で、カワハギの登場に周囲で釣りをしている人たちも注目した。


「よっと!」


 バラすことなく磯場まで寄せたカワハギを、俺は竿を持ち上げ打ち上げてやる。


「凄い小さな口をしています!」


 渡辺さんは駆け寄ると、カワハギを観察する。

 釣り動画では見たが、生で見るのは初めて。感動した表情を浮かべると楽しそうにしていた。


「うん、この時期のカワハギにしては肝も膨らんでいるな。これは刺身にすると絶対美味しい」


 秋から冬にかけて、カワハギは栄養を蓄えるのだが、これほどの良型はなかなかいない。


「俺はこいつをちょっと締めてくるから、釣りを続けてもらえる?」


 カワハギの肝を生で食べるためには鮮度が命となる。俺は釣った魚に感謝をするためその場で締めることを彼女に告げた。


「わかりました、私だって負けません!」


 目標の魚が釣れたことで、その場にいる釣り人全員のやる気が上がる。

 日によっては魚が回遊していないこともあるので、誰かが釣れると自分も釣れる確率が高くなる。


 俺は、やる気を見せる渡辺さんを余所に、カワハギのエラから頭部をハサミで切って神経を切断。次の瞬間、表面の色が真っ白になった。


「後は、血抜きをして……と」


 汲んで置いた海水につけ血を抜いた後は氷水に入れて冷蔵保存するだけ。そんな風にこの後の手順を考えていると……。


「わっ、わわっ! 何か釣れてますっ! やったあっ!」


 渡辺さんの嬉しそうな声が聞こえる。

 見ると、ちょうど彼女は何かの魚を釣り上げたようだ。


 魚を打ち上げた場所が彼女の前だったので、何を釣ったのかは彼女の背中に隠れていてわからない。

 俺はワクワクしながら渡辺さんの後ろから近付いて行くと……。


「わー、可愛い。なんか黒いというか虹色に体表が輝いてます。水をピュッと拭いてて面白いですね」


 浮かれた様子で手を伸ばす。俺はその魚の姿を確認すると……。


「だ、駄目だよっ!」


「きゃっ!」


 釣った魚に素手で触ろうとしている渡辺さんを咄嗟に抱き寄せた。


「あ、相川君?」


 彼女の顔が間近にあり、驚いた様子で俺に話し掛けてくる。

 危うく触ることを阻止した俺は安心したのか、ホッと息を吐いた。


「これ、キタマクラっていう魚なんだ」


「は、はい」


 彼女は居心地悪そうに腕の中でもじもじと動く。


「食べると死ぬからキタマクラって名付けられていて、皮膚にも毒があるから絶対に素手で触っちゃ駄目だよ」


「ひっ!?」


 次の瞬間、渡辺さんは怯えた声を出すとキタマクラを見た。先程までの余裕はなく、完全に恐怖の対象として見ている。


「ごめん、最初にこれが釣れる可能性も話しておくべきだったね」


 なまじ渡辺さんも釣りに慣れてきたからか、魚に素手で触る抵抗がなくなっていることを失念していた。


 震える彼女の身体を抱きしめる。しばらく待っていると……。


「あ、相川君。もう平気ですから」


 渡辺さんは俺と目を合わせないようにすると、両手で胸を押して離れた。


「大丈夫? 休んだ方がいいんじゃ?」


「い、いえ……平気ですから」


 そう答える彼女に代わって、フィッシュグリップでキタマクラの針を外すと海へとリリースする。

 その後、俺と渡辺さんはフグやキタマクラにアサリを奪われながらもどうにか三匹のカワハギを釣ることに成功するのだった。


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