第48話 学園のマドンナは寝顔を見る

「それじゃあ、勉強をしようか」


「はい、カワハギの気持ちがわかったので頑張ります」


 家に帰り、食事を終えた後、珈琲を淹れソファーへと座る。

 俺の隣には渡辺さんが座っているのだが、腰を浮かせると少し身体を寄せてきた。


 座る場所が良くなかったのだろうか?


 これから俺たちは、カワハギの釣り動画を見る予定だ。

 これまでは俺がその場で釣り方を教えていたが、カワハギのように釣るのにコツが必要な魚は、動画で予習するに限る。


 そんなわけで、俺の家で観ることになったのだが……。


「今までもこうして勉強していれば良かったかもしれませんね?」


 渡辺さんはそんな疑問を口にした。

 可愛らしい顔を俺に向け、そっちの方が効率的だと主張をする。


 確かに言われてみればその通りなのだが、


「そのころはまだ家に呼べるような状況でもなかったしな……」


 今でこそ家にあげているが、付き合ったばかりのころは彼女を家に招き入れることに躊躇していた。

 恋人となった男女が同じソファーに座っているのだ。手を出さないように自制心を強化するのにどれだけ苦労したことか……。


「学校帰りに相川君とおうちデート。楽しいです」


 改めて言われると恥ずかしさがこみあげてくる。これまでの私服姿も可愛いのだが、久しぶりにみる制服姿は新鮮で、まだ夏服ということもあり、うっすらと見えてはいけない紐が見えてしまっている。


 渡辺さんはそんなことに気付いていないのか、スマホをセットすると釣りの動画を目の前のモニターに流し始めた。


「なるほど……アタリがきてもすぐに「あわせ」てはいけないのですね。勉強になります……」


 動画を見ながらメモを取っている。


「エサの付け方は、水管から通してぐるっとねじってワタから出す……」


 彼女が見ている動画は、俺が既に何度も見返しているものが多いので内容も当然頭に入っている。

 そのせいか段々と眠くなっていき…………。


「――相川君?」


 昼飯後ということもあってか、俺は意識を落とすのだった。


          ★


 美沙は身体を硬直させると自分の肩に感じた重みに意識を集中させた。

 そこには良一の頭が乗っており「すーすー」と寝息が聞こえてくる。


「あ、相川君?」


 美沙はおそるおそる良一に声を掛けるのだが、すっかり寝てしまった良一から反応が返ってくることはない。


 しばらくの間、目の前のテレビからは実釣動画が流れてくるのだが、美沙はそれどころではなくチラチラと良一の様子を窺がっている。


(なんでしょう、この幸せな気持ちは)


 これまでも、夏休みの間、美沙は何度も良一の家に滞在していた。

 良一は美沙との適切な距離を心掛け、自ら身体を寄せるようなことはしなかった。

 美沙が滞在している間は常に気を使い、何不自由することないように振る舞っていたのだが、それは逆に言えば隙を見せていないということ。


 美沙はもっと良一に甘えて欲しいと思っていたのだ。

 良一が寝落ちしてどれだけの時間が経っただろうか?


 動画の再生が終わり、リビングからは音が消えた。

 段々とこの状況に慣れてきた美沙は、大胆な行動を取り始める。


「あ、相川君……朝ですよ?」


 耳元で囁き、良一が目を覚まさないのを確認すると髪に触れる。


「ふふふ、チクチクします」


 ワックスのせいで髪の先端が硬くなっている。


「それにしても……やっぱり危惧した通りになりそうです」


 美沙は眉根を寄せると、やや不満そうな顔で良一を見る。

 始業式の間、何人かの女子生徒が良一を見て何やらヒソヒソと話している姿を目撃してしまった。


 これまで目立たなかったものの、ちゃんとした格好をすれば良一はそれなりにモテる要素を備えている。

 ましてや釣りで日焼けもしているし、身体もそこそこ鍛えられているので目を惹くのだ。


「うう……ん?」


 少し、寝苦しそうな様子を見せる良一に、美沙は彼の頭を自分の膝へと導いた。


「ふふふ、可愛いです」


 起きている時はこのような大胆な行動を取れないのだが、眠っている良一は普段より幼く映り、ついつい庇護欲が沸いてきてしまう。


 しばらくの間、良一の頭を撫でるのを堪能していた美沙だが、ふとした拍子に指が良一の唇に触れてしまう。


「ひゃっ!」


 思わぬ感触に声が漏れ心臓がドキドキと高鳴り、美沙は顔を真っ赤にすると黙り込んだ。


(そう言えば、付き合ってもう一ヶ月経ってるんですよね……)


 恋愛事情に詳しい真帆からの話では、カップルは付き合ってから大体一ヶ月でキスをすると聞いたことがある。

 そう考えると、自分たちもそろそろしてしまっても構わないのではないか?


 美沙はそう考えながらも良一の唇から目が離せなくなった。

 呼吸をするため、少し開いた口からは白い歯がのぞかせる。虫歯一つなさそうな綺麗に並んでいる歯。


 昼食後にお互い歯を磨いている姿を見ているので、今キスをすればどのような味がするのか?

 そんなことを考えながらも、段々と心臓の鼓動が早くなり、体温が上昇している。


 寝ている相手にキスをするというのは美沙の中ではあり得ないのだが、だとするとどうすれば良一とキスが出来るのか考えてしまう。


『相川君、キスがしたいです』


 積極的に希望を告げるべきか?


『渡辺さん、キスしてもいい?』


 ムードを高めて良一からキスをしてくれるのを待つのか?


 だが、そもそもの話。良一の自宅に二人きり、ソファーに隣り合って座っているという時点でかなり際どい状況になってしまっている。

 だというのに、良一は美沙に紳士的に接してきて、欲望を曝け出すような真似をしたことがない。


(もしかして……私、魅力が足りていないのでしょうか?)


 真帆のように露出を増やすか、里穂のようにお洒落や化粧に力を入れるべきか?


 もしそれをしたとして、良一からキスを迫ってくるイメージが美沙にはまったくわかなかった。


「私のことをどう思っているのかわかり辛いんですよ!」


 好意を寄せてくれているのはわかる。だけど、異性というよりも親族、姉か妹と接しているかのような態度なので、もう少しガツガツ来て欲しいと美沙は思った。


(いっそ、私の方から……)


 先程考えた倫理観が片隅へと追いやられていく。美沙はドキドキしながら、もしここで良一の唇を奪ってしまったらどうなるのか考えた。

 右手を良一の頬に当て、少しずつ顔を近付けていく。


 頭の中に葛藤が起こり、このままいけば唇を奪える。そんな状況の中……。


「む、無理ぃ~」


 後少しというところで、良一とキスをしてしまった後の自分を想像した美沙は顔から火を出すとそう叫んでしまった。


          ★


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