第32話 学園のマドンナは激情に駆られる

          ★


「ひっく、うぇ……」


 波の音が耳を打つ臨海公園で、里穂が泣きじゃくる声が静かに風に流され消えていく。

 相沢に振られて悲しむ里穂の傍らには、真帆と美沙が心配そうに寄り添っていた。


「『これからもいい友達でいてくれ』って言われた」


「そっか……辛かったね」


「里穂さん……」


 里穂は告白した時の話をポツポツと真帆と美沙に話し始めた。


 良一と美沙が飲み物を買いに行き、真帆が花を摘むために離れたので二人きりのシチュエーションができあがった。


 これまでも何度か二人きりになるタイミングは合ったが、校内だったり、人がいる場所だったりしたのでそれ程意識することもなかった。


 だが、今回はお膳立てされたかのように状況が整ってしまった。

 花火大会直後、夜景の見える臨海公園、ライトアップもされていてムードは最高。

 これだけの条件が揃ってしまえば、勇気をもって告白しなければ嘘だろう。


 最初は普通に話し掛けていた相沢も、里穂の口数が少なくなってきたことを感じ取ると、冗談を言って場を和ませようとした。

 里穂も相沢が逃げようとしている空気を察するのだが、ここまで覚悟を決めてしまえば止まることはできない。


 気が付けば「相沢が好き」と、告白をしていた。


 結果は振られてしまい、その場にい辛かった相沢は、良一に「先に帰る。後を頼む」とメッセージを送りその場を後にした。


 里穂は二人に慰められながらも、相沢のどこが好きだったか漏らし続ける。

 格好いいところ、スポーツができるところ、意外と子供っぽいところ、優しいところ。


 里穂の言葉を聞いている間、良一は自分がこの場にいても良いか悩む。


 相沢から頼まれた以上、無事に彼女たちを送り届ける義務があるのだが、女子だけの方が里穂も良いのではないかと。


 自分が里穂に掛けてやれる言葉は何一つなく、今頃相沢がどうしているか考えていた。


 里穂は、次第に声が小さく、とぎれとぎれになっていく。

 振られたショックが抜けないのか、最後は無言になるとぼーっと空を見上げていた。


「相川っち。私の家、ここから近いから里穂を連れて帰る。美沙のこと送ってもらえない?」


 里穂がこの姿を家族に見られたくないだろうと気を利かせ、真帆の家に泊まることになった。

 美沙は家が厳しいので事前に許可がなければ外泊をすることはできない。なので美沙を送り届けて欲しいと良一に頼んだ。


「わかった、いいかな?」


「……はい」


 自分が送って行っても良いか?


 そんな良一の確認に、美沙は頷く。里穂が振られたことで、まるで自分が振られてしまったかのように傷つき、蒼白な顔をする。


 このまま一人で帰らせるのは良くないと判断した真帆は正しいだろう。


「それじゃあ、またね」


 別れる際、真帆は傷ついた顔をしていた。

 自分がお膳立てしたことに責任を感じているのだろう。里穂を後押ししたい気持ちがあったのは確かだが、振られた後にどうなるかまでは考えていなかったのだ。


「沢口さんも、何かあったら相談して!」


 良一のその言葉に、真帆は救われたように一瞬笑みを浮かべ手を振った。


「それじゃあ、渡辺さん。送るよ」


 そう言って良一と美沙は歩き出した。



          ★



 席に座り電車の流れに身を任せて身体が揺れる。

 席一つ挟んだ隣には渡辺さんが座り、疲れたような顔をしてぼーっとしている。


 無理もない、先程、親友が失恋する姿を目の当たりにしてしまったのだ。

 俺たちが余計な策を弄したせいで、石川さんは相沢に振られた。


 相沢に送ったメッセージに反応はなく、あいつも傷ついているのだということが伝わってくる。普段は既読がつけば即返事がくるのに、今回はその後にメッセージがとんでこないから。

 以前俺は、沢口さんに「男女のあれこれに関わるのは嫌だ」と言ったが、まさにその通りの事態になってしまった。


 沢口さんや石川さんが勝負に出るということは、少なからず勝算がある告白なのだろうと考えていた。

 だが、恋愛において人間は正確な判断力を失ってしまう。


 告白が成功するかどうかわからずとも、ムードに流されてしまい、勝ち目のない勝負に挑む。相手の雰囲気から無理だと判断しても止まることができない。


 結果、誰も幸せにならない結末がこうして訪れてしまった。

 隣を見ると、渡辺さんが身体を震わせ唇をギュッと結んでいる。

 石川さんの失恋に責任を感じているのだろう。握り締めた拳が青白く、まるで自分をせめているように見えた。

 慰めの言葉を掛けてあげたい。そう思うのだが、今の彼女は俺からの言葉を拒絶するように目を合わせようとしない。


 その様子を見て俺は、新学期がはじまってからこれまでの、奇跡の時間が終わりを告げたのだと認識した。






 臨海公園駅から電車に乗り、地元の駅まで到着してから道を歩く。

 時刻は既に22時を超えているせいか、あれほど騒がしかった街は静寂を取り戻し、まばらに人が歩いている程度だ。


 渡辺さんの家は、駅から徒歩十分程度の高級住宅街の一角にあるらしい。

 俺は沢口さんに頼まれていることもあって、彼女が許す範囲で見送りをすることにしていた。


 電車を降りてからというもの、渡辺さんは最小限の会話だけをすると、俺の前を歩き始める。

 その足取りは重く、あまり前に進まないのだが、まだ彼女と一緒にいられる状況に安堵し、次の瞬間自己嫌悪が襲ってきた。

 俺は前を向くと、渡辺さんの背中を見る。


 彼女は今何を考えているのだろうか?

 石川さんのこと? 相沢のこと? それとも今こうして歩いていて俺に告白されないか危惧している?


 先程みた険しい表情からして、前向きな内容ではないだろう。

 おそらく、今日彼女を家まで送ったら、この先疎遠になるのだと肌で感じていた。


 相沢と石川さんという、グループを繋ぐ架け橋は崩れてしまった。

 元々、学園内での絡みもないので、彼女から交流を拒絶されてしまえば俺から話し掛けることはできない。


 これが最後だと思うと最後に話をしたいと焦りが浮かんでしまう。


「はぁ……」


 俺は溜息を吐くとその考えを打ち消す。

 先程、石川さんが相沢に振られたという話を聞いたばかりではないか。


 この上、俺と渡辺さんの間までこじれてしまえば、彼女はますます悲しみに暮れるに違いない。今ならば、綺麗に別れることができる。

 これまでの楽しかった生活は、泡沫(うたかた)の夢みたいなもの。


 新学期からは、これまで通りの生活が待っている。それでいいじゃないか……。

 俺がそんな風に考えていると、


 ふと気が付けば、歩みが止まっている。渡辺さんが立ち止まったからか、俺が立ち止まったからか、二人揃って道端に立っている。

 渡辺さんが振り返り、泣きそうな顔をしながらこちらを見ている。いや、実際に涙を流しているのを俺は見てしまった。


「大丈夫?」


 自然と、俺は彼女に話し掛けていた。

 これまでの思考など一切吹き飛び、今だけは彼女が悲しんでいるのをどうにかしたいと考える。


「ううっ……」


 渡辺さんは自分が泣いていることに気付いていなかったらしく、手で目元を拭うと次々と涙を溢れさせた。


「どうして……私は……」


 このような場所で泣かれていると、誰かの目に止まる。俺はちょうど公園の入り口があるのを発見すると、彼女をそちらへと連れていった。




「私、最低なんです」


 公園のベンチに彼女を座らせ、落ち着くまで傍で待った。

 中途半端な言葉は届かないだろうし、弱っている渡辺さんを慰めるのは卑怯なことのきがしたからだ。


「そんなことはない。俺だって沢口さんの話に乗ったし、石川さんを振ったのは相沢の意志だ。渡辺さんが自分を責めるのは間違っている」


 こんなふうに、泣き出すほどに責めるほど悪いことはしていない。


「それに、俺は、渡辺さんは優しい人だと思っているよ。失恋した石川さんを慰めて、今もこうして心を痛めているじゃないか」


 同じような立場になった時、自分も同じように親身になってやれる自信が俺にはなかった。


「私はそんな……相川君に優しい人だと思ってもらう資格はないんですっ!」


 彼女は俺の言葉に反応すると、目に涙を溜め泣きながら俺に言葉を吐きだした。


「私は……私は……」


「ごめん、俺が無神経だった。無理しないでいいから」


 これまで見たことのない、激情を渡辺さんは見せた。怒鳴り、震え、支離滅裂で、情緒不安定。

 このままでは彼女が壊れてしまうのではないかと思った俺は、話を打ち切ることにした。


「無理ってなんですかっ! どうして……相川君はこんな時でも優しいんですかっ! 考えたくないのに……今考えちゃいけないのにっ!」


 彼女の両手が伸び、俺の服を強く掴む。服を引っ張りながら彼女は俯くと嗚咽を漏らした。

 突然の行動に、俺は混乱し、どうするのが正解なのかわからなくなる。


「私は、里穂さんが振られてしまったと聞いた時。心の中でほっとしたんです。自分でなくてよかったと、心の片隅で考えてしまったんです!」


 ここにきて渡辺さんは自分の心情を吐露する。


「恋愛なんだ。誰かが振られた時、自分と重ねてしまうのは仕方ないことだよ」


 正直、俺にだってその気持ちがなかったとはいわない。

 誰かが不幸になったとき、誰もが心の片隅でそう思うことだろう。


 だが、俺の言葉に彼女は首を横に振る。


「先程まで、私は里穂さんのことを一切考えてませんでした。考えていたのは、自分も同様の運命にあったのにそれを回避してホッとしたこと。そして、もうこのままの関係ではいられないという焦りです」


 渡辺さんは目から涙を溢しながら俺に訴えかけてくる。


「それって……どういう、こと?」


 俺は渡辺さんが放った言葉のせいで混乱する。それではまるで……。


「私も、今日、告白するつもりだったんです!」


 その言葉に、俺は大きな衝撃を受けた。



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