第33話 学園のマドンナは告白する
大粒の涙を浮かべ俺を睨みつける渡辺さんの姿が映る。
彼女は今しがた、信じられない言葉を放ったのだが、まるで吹っ切れたかのような様子で俺に食ってかかっている。
互いの顔が近く、彼女の息が首筋に掛かる。俺はこんな時だというのに心臓がドキドキするのを感じた。
彼女に服を掴まれているので身動ぎすることもできず、さりとて今の言葉を聞き流すこともできずにいる。
渡辺さんは「自分も告白するつもりだった」と言ったのだ。
石川さんが振られて安心してしまったという言葉、この先これまでの関係ではいられないという言葉。何より、相沢ならば学園のマドンナと並び立っても、誰も文句を言わない。
おそらく、渡辺さんが好きな相手は相沢だ。
「えっと、駄目ってことはないと思うけど……、渡辺さんなら相沢もオーケーするかもしれないし」
胸が痛む。本心とは違う言葉を口にする。彼女がこれで少しでも自信を取り戻してくれるならばと、自分の心に嘘をつきながらもどうにか喋り続けるのだが……。
「わかってないじゃないですかっ!」
ところが、これが癇に障ったのか、渡辺さんは表情を歪ませる。
これ以上、妙な誤解で会話を進めるわけにはいかない。
「ごめん、支離滅裂でまったくわからない。ハッキリ言ってくれ」
先程まで、これが最後の会話になるのだと思っていた。まさか最後がこんな大喧嘩になると思っていなかったが、このままモヤモヤした気持ちを抱えるくらいなら聞いてやる。
彼女は一瞬黙り込むと思考を巡らせる。そして溜息を吐くと……。
「私も振られるのが、石川さんや相沢君への贖罪なのでしょうね」
渡辺さんは覚悟を決めたのか大きく深呼吸をする。そして、強い決意を秘めた瞳で俺を見ると……。
「あなたが好きです。相川君。私と付き合ってください!」
「えっと……俺?」
彼女の告白からしばらく思考がフリーズしていた。やっとのことで言葉の意味を理解した俺は、自分を指差すと渡辺さんに確認する。
「ええそうです。これまで散々アピールした中で脈がないことはわかっていましたよ。最後に『告白するつもりだった』と言っても相沢君と勘違いするくらいですからね。相川君が私をちっとも意識してくれていないのは知っていました」
決してそのようなことはないのだが、恋愛という不確定要素が強くセンシティブな内容において、自己分析というのは往々にエラーを起こすことが多い。
勝手な判断で好意を持たれていると決めつけると、高確率で振られる。それどころか暴走した恋愛感情が執着を生みストーカーになる未来まである。
俺は、渡辺さんに決してそんな嫌な気持ち押し付けたくなかった。だから、彼女は友人だと心に予防線を張り続けていた。
俺が固まっていると、彼女は壊れた蛇口の様に、想いを垂れ流し始めた。
「私は、初めて会った時から相川君のことが気になっていました。学園ですれ違う時も、校舎に貴方の姿を見かけた時も、いつも目で追いかけていたんです」
それは初めて聞く彼女の本心だった。
「どうにか話し掛けたくて、でも接点がないから……。漁港で大学生から助けてもらった時、どれほど嬉しかったか」
その後、段々と親しくなり話すようになったことを嬉しそうに語る。
「だんだん真帆さんと仲良くなる相川君を見て危機感を覚えました。新学期に髪をセットして登校したら人気が出て、誰かに告白されるんじゃないかと焦りもありました。だから私は今日、告白するつもりだったんです」
これまで考えていたことを語り終えたあとの渡辺さんは、冷静に戻っていた。
「私の想いは全部伝えました。もう、心残りはありません」
彼女はスッキリした表情を浮かべると「告白の返事をお願いします」と俺に促す。
先程から信じられないことばかり起こり、俺の脳はとっくにオーバーヒートしているのだが、それでも彼女に返事をしなければならないことだけは理解できた。
渡辺さんが俺のことを好き。その事実を念頭に置きながら夢に浮かれたような気分で返事をする。
「俺も、渡辺さんが好きです」
「んんっ!?」
俺が返事をすると、渡辺さんは驚いた表情を浮かべる。
「だ、だだだ、だって! そんな素振り見せなかったじゃないですか!」
彼女は高速で目を左右に泳がせると焦りを浮かべる。
「そんなの、見せるわけないだろ! もし俺が好意を見せていたら、今の関係が終わってしまうと思ってたんだから!」
彼女と過ごした時間は、俺にとってかけがいのないものだった。
一緒に釣りをしている時も、一緒に水族館に行った時も、浜辺を歩いた時も、花火を見ている時も……。
彼女に笑顔を向けられるたび、何度も表情を取り繕った。彼女に遊びに誘われるたび、勘違いしないように自制した。
渡辺さんと一緒にいると、饒舌になる自分がいる。
彼女に喜んでほしくて、いつもより活発になる自分がいる。
「俺は渡辺さんが好きだ。俺と付き合って欲しい」
いまだ混乱している彼女に、俺は手を差し出し交際を申し込んだ。
「ど、どうしましょう?」
彼女は泣きそうな笑いそうな表情を浮かべ俺の手を見ている。
右手を宙に漂わせ、俺の手を取るかで悩んでいるようだ。
「私、振られるつもりで……。不幸になることで里穂さんへの贖罪にするつもりだったんです。ここで相川君の手を取ってしまったら、最悪の女になってしまいます」
確かに言わんとしていることは理解できる。親友が振られたその日に告白をして、自分は付き合うことになる。
俺も罪悪感が浮かんでいるので同じ気持ちだ。だけど、ここまで俺の心を暴いておきながらなかったことにされても困る。
「たとえ、世界中を敵に回したとしても、俺は渡辺さんと付き合いたい」
彼女は顔を上げると真っすぐに俺を見る。瞳が揺らぎ不安そうな顔をしている。
「確かに、振ったり振られたりした親友がいるのに、俺たちが付き合い始めるというのは空気を読まない行為かもしれない。だけど、俺は前から渡辺さんが好きだし、渡辺さんも俺のことを好きだと言ってくれた。いまさらなかったことにして、これまで通り友だちに戻るのは無理だろ?」
俺はそんな演技できる気がしないし、彼女にそんな態度をとられるのも嫌だ。
「そ、それは……そうですけど……」
渡辺さんは口元に手を当て悩む。
「それに、ここで離れたら、接点がない俺たちは疎遠になると思うんだ」
「それは、嫌です!」
相沢と石川さんを抜きにして俺たちが交友を続けるのは不自然すぎる。もしそれがあるとすれば、今より関係を進めなければならない。
俺の提案に彼女は悩み、何度も手を止める。だが最後には……。
「里穂さん、ごめんなさい」
次の瞬間、渡辺さんが俺の手を握り締めた。
「私も、世界中を敵に回しても相川君と付き合いたいです」
彼女の頬を一筋の涙が伝う。
「相川君。大好きです。私を彼女にしてください」
そう言って俺の告白を受け入れてくれた渡辺さんの笑顔は、今まで見た中で一番美しかった。
「ここまでで大丈夫です。あそこに見えるのが私の家なので」
渡辺さんと恋人同士になってから直ぐ、余韻にひたる間もなく随分と遅い時刻になっていることに気付いた。
俺は慌てて彼女を家まで送るのだが、その手前で彼女が「ここまででいい」と言い出した。
「もう目と鼻の先だから危険はないとおもうけど、本当にここまででいいの?」
付き合うことになったせいか、これまでよりも気持ちが溢れてきてしまう。
今では理性的に話すことを心掛けていたのだが、両想いだとわかってしまうとできるだけ一緒にいたいと考えてしまう。
「ここがいいんです。家の前まで来てしまうと、家族に見られてしまうかもしれませんから」
渡辺さんは少し恥ずかしそうに目を伏せると、チラリと俺を見た。その仕草が可愛くてドキッとしてしまう。
確かにそれは気まずいことこの上ない。
ただの友人ならば平静を装うこともできなくはないのだが、付き合いたてで気持ちがふわついている今、御両親に会おうものなら取り繕うこともできず悪印象を与えかねない。
「わかった。それじゃあ、渡辺さん。またメッセージ送るから」
少し照れながらも、俺は彼女にメッセージを送ることを告げる。これまでは節度ある距離を保つため、用件以外で連絡したことがなかったのだが、今日からは恋人同士。好きにメッセージを送ることも許される。
「えっと、それは嬉しいのですが……その……」
ところが、彼女はキョロキョロと周りを見回すと、何やら確認をする。
「えいっ!」
そして、急に抱き着いてきた。
浴衣越しに彼女の温もりを感じる。フローラルな香りが鼻先を掠め、突然の事態に心臓が高鳴った。
「せっかく想いが通じたんですから、このままお別れしたくなかったんです」
至近距離に彼女の顔がある。潤んだ瞳に、スラリとした鼻筋、形の良い唇。じっと見ているだけで思わず吸い寄せられてしまいそうになる。
そんな途轍もない破壊力をもつ彼女の魅力に、俺は理性を総動員してどうにか抗っていると……。
「こうして、抱き合っていると幸せを感じます。相川君は幸せを感じてくれていますか?」
「ぐはっ!」
彼女が首を傾げると、あまりの可愛さに心臓が爆発しそうになった。渡辺さんは返答を待ち、じっと俺を見つめている。
恥ずかしい自覚があるのか、耳を真っ赤にし、俯いてしまった。
俺は覚悟を決めると、気持ちを告げた。
「俺も、渡辺さんと触れ合えて幸せ、です」
次の瞬間、渡辺さんは俺から離れると、両手で顔を覆った。
「わ、渡辺さん!?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと恥ずかしくて、顔を見せられません」
渡辺さんの顔から湯気が出ている。大胆な行動を取ったわりに照れている。アンバランスなのが面白い。
しばらくして立ち直ると、
「そ、それじゃあ、また……」
ぎこちない動きで背を向けると、渡辺さんは家に向かい歩いて行く。途中、何度も振り返り俺が見送っているのを見ると笑みを浮かべた。
門の前に辿り着き、潜り抜ける前に彼女は俺に手を振る。俺も手を振り返すと幸せそうな顔をして家に入って行った。
俺は彼女が視界から消えると、両手で顔を覆いその場にしゃがみこんでしまった。
「可愛すぎるだろ……」
彼女の気持ちを知り、自分の気持ちを告げてしまったせいか、堰き止めていた感情が溢れ出してしまう。
俺は、先程の渡辺さんの姿を何度も頭の中で再生しながら家に帰るのだった。
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