第35話 学園のマドンナは納得する

 いきなりだが、危険予測についてどう考えるだろうか?


 俺はこれでも小さいころから釣りをしていたので、それなりに危険に対する身構えが人よりもできていると自負している。


 特に、小さなころは父親から海難事故のおそろしさを嫌という程叩きこまれたし、実際に釣りをしている際中、海に落ちて溺れた人も見たことがある。


 釣りに行った際「この堤防は足場が悪そうだ」「ここは幅が狭いので気をつけよう」「地面が濡れているということは時間帯で波しぶきかかるから気をつけよう」などなど、経験に基づいた行動は、自身の安全をより高めてくれる。


 現在、俺と渡辺さんは、海沿いにある大型レジャー施設へと来ている。

 ここは、海水を取り込んだプールの他に、温水プール、水着で利用できるレストランなどなど、遊ぶための施設が充実している。


 入場前に見た感じ、夏休みということもあってか親子連れが多そうだ。だが、こういう場所には夏の解放感に当てられた質の悪い連中も来ている。


 俺が初めて渡辺さんと話した時もそうだった。大学生くらいの男数人に囲まれて困っていた彼女に声を掛け助けた。


 レジャー施設に男子だけで来ている高校生や大学生はまず間違いなくナンパ目的。海の家の時は石川さんや沢口さんがいてくれたので平気だったが、ここには彼女たちはいない。そういった輩に迫られたら渡辺さんが安全という保障はないのだ。


 ここで先程言った、危険予測というやつが役に立つ。事前に起こり得る危険を予測して、そうならないように立ち回る方法だ。


 渡辺さんは綺麗なので、放っておけばまず男連中に声を掛けられてしまう。それこそ、活性が上がっている海面にコマセを撒いたがごとく、魚の様に群がってくるに違いない。


 そうなると、優しい彼女のこと、きっぱりと断ることができず、合流までに嫌な気分を味わい、泳ぐ前に疲れ果ててしまうかもしれない。

 なので、ここで一つ対策をしておくことにした。


 男女で施設に入った場合、着替えをするため一旦分かれるのだが、こういった場所だと大抵男の方が着替えるのが早い。

 渡辺さんが出てくる前にさっさと着替えを済ませた俺は、荷物をロッカーに押し込むと早々に更衣室をあとにした。


 その後、女子が出てくる更衣室の出口から見える場所に待機している。

 ここならば、渡辺さんが出てきた時、最初に発見するのが俺になるので、ナンパというトラブルを回避することができる。


 問題は、先程から出てきた女性にこちらを見られているということ。

 もしかすると、俺自身がナンパしようとしていると思われているのかもしれない。


 俺はいらぬトラブルを避けるため少し離れた場所で待機するのだが、結果は同じ。出てくる女性たちは判を押したかのように俺を見ては、それぞれの待ち合わせ相手の下へと向かって行った。


「暑いな……」


 じっとしているだけでも汗が出てくる。時計を見ると、現在の時刻は11時手前。入場までに多少待たされたのもあるが、そろそろ彼女と別れてから15分程が経過した。

 相沢から「女性を待つ時間というのも楽しみのうち」と聞いたのは、まだほんの一週間程前のことだっただろうか?

 今ならあいつが言っていた言葉の意味がわからなくもない。渡辺さんがどのような水着姿を見せてくれるのか、健全な高校生としてどうしても興味を持ってしまう。


 そんなことを考えていると、二人の女性が近付いてきた。

 大学生くらいだろうか、背は低いが大人びた大胆な水着を着ている。纏っている雰囲気が学園ですれ違う同級生の女子とは違い、明らかに人と話すのに慣れている様子だ。


「ねえ、君。何してるのかな?」


「さっきから、ずっとそこにいるよね?」


 二人は、俺の全身を見回すと、そんな言葉を掛けてきた。


「えっと、待ち合わせの最中です」


 もしかして、ずっと女子更衣室の出口を見ていたので不審者を疑われてしまったのだろうか?

 俺は、早く渡辺さんが出てきてくれないか焦りが浮かぶ。


「私たち喉が渇いてるんだよね」


「そうそう、何か飲みたい気分だよねー」


 ところが、彼女たちは話題を変えると急に喉の渇きを訴えかけてきた。

 不審者と思われていなかったことに安心する。そもそも、本当にそう思っていたのなら施設の職員か何かに話をするはず。そうでないとすると、別な目的があるはずなのだ。


 そして、海の家カフェでバイトしてきた経験がここで生きた。


「もし良かったら、私らと一緒に――」


「それだったら、ここの二階にあるレストランのフローズンカクテルがお勧めですよ。ネットでの評判も良くて、十数種類のフルーツを凍らせて削って盛り付けているらしく、写真映えして味も良いとか」


「「えっ?」」


 渡辺さんとのデートの下調べで知った口コミを伝える。

 バイト中にこの手の女性に「この辺どこかいいところないかな?」「案内してくれる人いないかな?」と聞かれたので、自然と名所や良い店を教えるのが上手くなった。


「あっ、もし向かうようでしたら、あっちの階段からが近いですよ」


「あっ……うん」


「ありがとうね」


 何やら女子大生の二人は釈然としないような表情を浮かべ、それでも俺の勧めを聞いて二階へと上がって行く。

 俺は、見知らぬ人を案内したということに達成感を覚え、一息吐くと……。


「お待たせしました、相川君」


 女子大生に説明している間に出てきたのか、渡辺さんから声を掛けられた。

 彼女は頬を膨らませると、俺を見上げている。


「どうしたの、渡辺さん?」


「いえ、相川君が何をなさっていたのかなと思いまして……」


 彼女は探るような様子で水晶のように透き通った瞳を向けてくる。


「ああ、今ね、女子大生の人たちが喉乾いたからって話し掛けてきたからさ、二階にあるレストランの評判の良いメニューを教えてあげたところなんだよ」


 俺は待っている間のことを彼女に告げる。すると渡辺さんは納得してくれたのか、


「……まあ、そうですよね。それでこそ相川君です。そんな相川君でなければ、私もこんなに苦労しませんでしたし」


 何やら疲れたような溜息を吐く。まるで同情するようなその声に俺は首を傾げた。


 もしかして彼女も更衣室を出て早々に、ナンパにあってしまったのだろうか? 

 俺が守るはずのところを、自分で応対したから疲労してしまったのかもしれない。


 俺は彼女の様子を確認する。


 今日彼女が着ているのは、様々な色をちりばめた花柄の水着だ。上と下がわかれていて、縁にはフリルがあしらわれている。

 渡辺さんはその上からシースルーの上着を着ており、髪はゴムで纏めているので、普段と違いうなじが見えている。


 海の時の水着も最高に似合っていると思ったは間違いない。だが、こうしてみると今日の水着はあの時以上に似合っていて可愛かった。


 女性の水着は褒めるべきという、相沢がいつか言った言葉に従い俺は動く。


「渡辺さん」


「はい、何ですか? 相川君?」


 女神のような美しさを放つ渡辺さんに俺は言った。


「そ、その水着、す……凄く似合っていて……か、可愛いよ」


 夏の暑さのせいではなく顔が熱い。自分でも真っ赤になっているのがわかる。

 ストレートに感想を口にするには勇気がいった。


 どうにか伝えることができたが、ここに来るまでに何度も精神力を削られ、今恥ずかしさがマックスになっている。


 俺は心臓がバクンバクンと鳴る音を聞きながら、渡辺さんは今どんな顔をしているのかが気になった。

 褒めたことで嬉しそうな顔をしているのか、彼女くらい綺麗なら褒められ慣れているので平然としているのか、語彙が足りていないから呆れているのか……。


 おそるおそる彼女の方を見ると、


「ふぇ……」


 彼女は両手で口元を覆い隠すと、全身を真っ赤にして慌てていた。


「きゅ、急に、何を……そんな……あうぅ……」


 俺と目が合うと、彼女はプシューと音を立てて固まってしまう。


「ご、ごめん! 急に、変なこといって」


 やはり失敗だったのか、彼女の様子を見て、俺は慌てて謝罪をする。


「いえ……嬉しいです、まさか、相川君から褒めてもらえるなんて、想像してませんでしたから」


「そりゃ褒めるよ、渡辺さんの水着楽しみにしていたし、お洒落してきてくれて、凄く嬉しかったから!」


「ううう……これ以上は言わないでください。心臓が止まってしまいます」


 渡辺さんは後ろを向き、俺も顔を逸らして互いに無言になる。

 しばらくして、彼女がこちらを窺うように顔を動かし、俺も彼女を見る。


 どうにか落ち着いてきたのか、渡辺さんは深呼吸をする。

 そして、俺に近付くと右手を伸ばし、俺の指をおそるおそる掴んだ。


「ん? どうしたの?」


 彼女の顔が近付いてくるのがわかった。俺が戸惑っていると、渡辺さんは耳元に唇を寄せると、


「相川君も水着似合ってます。今日も……凄く格好いいです」


 俺だけに聞こえる大きさで囁く。

 渡辺さんからの不意打ちに、今度は俺が動揺してしまう。


 耳には彼女の声とともに流れた吐息の感触が残っている。

 上目遣いに見つめてきながらも、恥ずかしそうにしている渡辺さんと目が合った。


 俺は何か言葉を返さなければならないと思うのだが、これ以上の応酬は致命傷になりかねない。結局、二人して無言で見つめ合った後、


「とりあえず、泳ごうか?」


「……はい。そうしましょう」


 気まずい空気を残しつつ、それでも隣り合って歩き、プールへと向かうのだった。



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