第46話 『わたし』の中で何かが変わる
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「いやー、本当にこのキャンプ最高! 帰りたくないよー」
食事を終えた私たちは、美沙の提案にいよりスターウォッチングを楽しむことにした。
事務所でキャンピングチェアをレンタルして、テントの周囲に置き、身をゆだねる。
身体を包み込むようなこの椅子は自由に角度を変えることができるのだが、ブラブラと揺れるブランコのようでついつい身体を揺らしてしまう。
家にあったらつい座ってしまいそうだ。
「まさか夏休み終了直前にこんな楽しい想いが出来るとは思わなかったよな」
隣に座る相沢が私に話し掛けてきた。彼と会うのは花火大会以来だったのだが、変わらぬ笑顔を向けてくる。
実はだが、私は相沢をまだ許していない。確かに恋愛は本人の自由だけど、里穂を振ったことには感情が追い付いていないのだ。
相川っちのお蔭でこうして夏休み終了直前に関係が修復できたのだが、もし、相沢と里穂が付き合ってくれていたら、もっと楽しい夏を過ごすことができたはず。
そんなわがままなことを考えてしまった。
「そうだね、最高の夏の想い出かも」
ところが、逆側に座っている里穂がそんな言葉を言う。
私たちに気を使っている部分もあるのだろうけど、穏やかに笑い、いつもの里穂らしさが出ている。
今回のキャンプで相沢と会って、気持ちに区切りを付けられたのかもしれない。
「美沙は、どう? 夏休み楽しかった?」
「えっ? そ……そうですね。とても……充実していたと思います」
突然話を振ったからか、夜空を見上げていたからか、美沙は焦った様子で返事をした。
「とはいっても、御父様の仕事の手伝いやら、夏休みの宿題もありましたから、中々遊んでばかりというわけにもいきませんでしたけどね……」
「ごめん、美沙。それ以上言わないで!」
私は耳の痛い単語に拒絶反応が出る。
「真帆……あんた、まさか?」
「うぐっ……仕方ないじゃん。こんな楽しそうなことを直前に言う相川っちが悪い!」
本当は、今頃、夏休みの宿題を必死にやっていなければならない時期だったのだ。
ところが、相川っちがこんな楽しそうな企画を持ってきたせいで、夏休みの宿題は家の机の上でページを開かれるのを今か今かと待っている状態だ。
「手伝わないからね」
「手伝えませんよ?」
二人の親友の冷たい視線が突き刺さる。こういう時、この二人はなあなあで済ませない。そう言う部分で気が合っているのだけど、せめてこっちが切り出すまでは言わないで欲しかった。
相沢を見ると、同じく暗い表情を浮かべている。あれは私と同じか、それ以上に宿題が残っているとみた。
「こうなったら相川っちに責任を……って、相川っち?」
彼なら、理不尽な振りをして泣きついても話相手になってくれる。そう考えて姿を探すと……。
「ああ、うん。ちょっと待ってね。もうすぐだから」
皆がスターウォッチングで盛り上がる中、彼はテント外に設置したテーブルの横に立ち、何やら作業をしていた。
明らかに慣れた手付きでポットを手にお湯を注ぐ。優しい目をしてそれに向き合い、嬉しそうに微笑む彼に一瞬、言葉が止まってしまう。
「相川は、さっきから何をしてるんだ?」
相沢が身体を起こし相川っちの方を見た。
「そろそろ、いいかな」
彼はテーブルに並べた紙コップにそれを注ぐと、トレイに乗せ、私たちの方へと運んできた。
「はい、暑いからこぼさないように気を付けて」
そう言って、里穂が座る椅子のドリンクホルダーにそれを置く。
「いい匂い、星空の下で飲む珈琲なんてお洒落じゃん」
里穂はコップに鼻を近付け香りを楽しむと、湯気が立ち昇る珈琲を飲んだ。
「これ、結構いい豆使ってるよな? 持ってきていたのか?」
相沢は渡された珈琲の臭いを嗅ぐと、相川っちにそんな質問をした。
「うん、こういうところで淹れた珈琲を飲むのが夢だったから。今日叶って良かったよ」
確かに、この夜空の中で飲む珈琲は最高のシチュエーションだろう。
そんな演出をしようとする相川っちが、珈琲を淹れている姿がずっと焼き付いて離れない。
「沢口さん、どうかしたの?」
いつの間にか、相川っちが私にも珈琲を配っていた。一瞬、ぼーっとしてしまい、から返事をしていた私は、慌てて珈琲を飲み評価をする。
「あっ……ううん。何だろうね……あははは、相川っちこの珈琲苦いよ!」
「砂糖とミルク入れたら?」
ドリンクホルダー袖にスティックシュガーとミルクのカプセルがちゃんと置いてある。
「あっ……そうだね」
なぜか焦りを浮かべた私は、いつものような返しが出来ず、相川っちから目を逸らすと砂糖とミルクを入れかき混ぜた。
「はい、渡辺さんも」
「ありがとうございます。相川君、珈琲淹れるの得意なんですね」
美沙と相川っちが笑顔で話すのに聞き耳を立ててしまった。
その後、相川っちはテント近くの、美沙の横に椅子を設置すると、私たちと同じくスターウォッチングを始めた。
時間が経ち、空に星々が輝き、なんだかここが日本ではないような錯覚を覚えてしまう。
時折、相沢や里穂が話し掛けてきてそれに応じ、途中で相川っちが珈琲のお代わりを持ってきてくれる。
最高の親友と最高のシチュエーションでキャンプをしているというのに、
(何だろう?)
胸がキュッと締まるような寂しさが心の片隅に居座っていた。
気付かぬ間に、私の視線は星ではなく、うっすらとしか見えない暗闇にいるはずの彼を見ている。
コップから立ち上る湯気はすでになく、口に含むと温くて甘苦い味が舌を刺激する。
きっと、この瞬間が、私にとっての夏――いや、人生の分岐点になったのだろうとおぼろげに感じるのだった。
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