第56話 沢口さんは怒鳴りつける
「それでは、食材を配ります」
講師はそう言って水槽を指差した。
中には大量の魚が泳いでいて、さながら水族館のような楽しさを覚える。
「こちらは『水産』の授業で午前中に釣ってきた魚になります。今回の実習では、こちらの魚類を用いた料理を作ってもらうことになります」
「えええええっ、魚とか触れねえし」
「やだ、気持ち悪い」
「こんな実習だったら受けなかったのに」
周囲から批判めいた声が聞こえる。
「静かにしてください。皆さんが普段している食事は動物の犠牲の上に成り立っています。調理師を目指すからにはまず、自分たちが何を取り扱っているのか正しく認識する必要があります」
講師の言葉に、全員が黙り込む。気持では納得いかないのか不満そうではあるが、ここでごねたところで授業内容が変わるものではない。
同じ班の皆の表情を見ると、男二人は不満そうな顔をし、女子三人は怯えたような表情を浮かべている。
他のグループの人間も、同じような様子で誰一人として食材を取りに行こうとしなかった。
そんな中、席を立ち水槽に歩いて行く人物がいる。
「いやー、新鮮なお魚って本当に美味しいんだよね。私も一度捌いてみたいとおもってたんだー」
明るい声で場の空気を変えようとしているのは沢口さん。
彼女は前に出ると水槽の中を覗き込み、講師に話しかけた。
「この中のお魚、好きに調理していいんですよね?」
「ええ、それぞれの魚のレシピはこちらのファイルに書いてあります。作りたい料理に合わせてどんどんやってみてください」
講師はホッとすると、沢口さんに回答した。
その姿を見て、他の班からもチラホラと人が動き始めた。
「えっと……どうしよっか?」
女子の一人がおそるおそると言った様子で聞いてくる。
男子二人は一切手を出すつもりがないのか反応せず、他の二人の女子も返事をすると自分に押し付けられると考え黙り込んだ。
「もし差し支えなければ、俺が魚とってくるけどいい?」
こうしている間にも魚が持って行かれている。あまり後の方になると料理のバリエーションが減ってしまうのだ。
「はっ、やだねー、こういう時に率先してポイント稼ごうとして」
「ちょっと皆から噂されてるからって調子に乗っちゃった感じかー?」
「あんたたち、見苦しい嫉妬はやめなよ。相川君お願いできるぅ?」
男二人に睨まれながら連れの女子が猫撫で声を出した。他の二人の女子はおろおろとしているので、どうやら俺が行くしかなさそうだ。
俺は「まかせて」と返事をすると、魚を仕入れに水槽へと向かった。
「それじゃあ、他の人は白米とか味噌汁をお願い」
魚を仕入れて戻った俺は、班の人間に指示を出す。
全員が生魚に触れることを拒否しているので、その他を分担してもらうことにした。
男二人は腕を組み睨みつけてきて、女子三人は分担を話し合い調理を開始する。
俺は持ってきた魚に目を向けた。
午前中に『水産』の授業で釣ってきたということは、相沢が釣った魚も混ざっているのだろうか?
魚の大きさや時間から考えると、船を出して少し沖合まで出た可能性がある。
尺超えしたアジやサバは脂が乗っていていかにも美味しそうで、こうして跳ねている姿を見るだけでも楽しくなってくる。
俺は魚のエラに包丁の刃を入れ血抜きをして真水で洗い始めた。
「ひっ」
背後では女子の悲鳴が聞こえる。味噌汁を作るかたわら様子を見に来たようだ。
俺は彼女たちの作業スピードに合わせながら、調理実習終了の時間を計算しながら、準備をしていく。
アジはアジフライと刺身に。サバは味噌煮に、イワシはなめろうに、確保できたカサゴは刺身にして、頭の部分は味噌汁の出汁に使ってもらう。
普段よりも人数が多いので張り切って腕を振るうと、あっという間に時間が経ち、気が付けばテーブルは料理で一杯になっていた。
「んっ、凄い美味しい! 相川君って料理までできるんだ凄いよねぇ~」
男二人と一緒にきた女子がそう言って俺に話し掛けてくる。
「本当ですね、この味噌汁も今まで飲んだことがない風味で美味しいです」
「今まで話したことなかったけど、相川君って実は万能なんじゃ?」
他の二人の女子もお世辞を言ってきた。
俺も自分の料理の味を見て満足している。一度に多魚種の料理をするのは楽しかったし、沖で採れた魚というのはそれはそれでまた違った味がして楽しいのだ。
男二人が無言で食事をし、四人で料理について盛り上がっていると……。
「やほー、相川っち!」
沢口さんがこちらのテーブルへと来た。
「どうしたの、沢口さん?」
俺が彼女に声を掛けると、
「相川っちの料理と物々交換しようかなと思って。アジの炊き込みご飯を使ったおにぎりです」
そう言って彼女はいびつな形のおにぎりを差し出してきた。
「はぁ、仕方ないな……、皆いいかな?」
「ええ、ほとんど相川君が作ったものですし」
「ま、まあ……いいんじゃない?」
俺が確認をすると女子二人がそう返答した。
「へへへ、相川っちの手作り、これを待ってた!」
沢口さんは俺の隣に座ると、箸を伸ばし食べ始める。
「うぅーん、やっぱりこっちの方が美味しい。刺身一つでも調理の仕方によって味が変わるんだね」
「まあ、血抜きとか冷やし方とか、捌くスピードで魚の身に熱を与えないようにしたりとかあるからね」
新鮮な魚をいかに美味しく食べるかが釣った者の責任なので、そこは一切手を抜かないことにしている。
俺は沢口さんが握ってくれたおにぎりを食べながら、女子が会話に花咲かせるのを聞いていたのだが……。
「でもよぉ、生きた魚を躊躇いもせずにとどめさせるとか残酷じゃね?」
「本当だよな、サイコパスかよって思ったわ!」
その言葉に、俺は心臓をわしづかみされたかのような気がする。
「大体、男の癖に料理なんてして、出来る自分アピールかっての」
「やだねー、根暗なやつは。こういう自分に得意な場面でしかでしゃばってこないで普段は目立たないように過ごしてるんだから」
男二人はどんどんと俺に対し悪意ある言葉を投げてくる。
その場の女子も黙り俺から視線を逸らす。先程まで美味しいと言って食べてくれていたのに、今では男二人の言葉を聞いて、薄気味悪いものをみるように俺に視線を向けている。
(やっぱり、人前で料理なんてするんじゃなかったな……)
渡辺さんや相沢など、気心の知れた友人に褒められたからか、過去の失敗を忘れてしまっていた。
中学生のころ、俺が釣りについて話した時も、同級生は同じような態度をとっていた。
調子に乗った男二人はいよいよ俺に対しての悪口を言い続ける。俺ははやくこの嫌な時間が終わらないかなと聞き流していると……。
「ふざけないでよっ!」
怒鳴り声が聞こえ、調理実習室が静まり返る。
「相川っちは、あんたたちの代わりに料理をしてくれたんでしょ!」
「いや、でも、沢口。生き物を殺せるのはちょっとおかしくね?」
男の一人が沢口さんに言い返した。
「誰だって、生きるのに他の生き物の命を奪ってる。実習前に講師も言ってたでしょ?」
「にしたって、残酷というか空気読めてないんじゃねえかな?」
もう一人の男が反論するのだが、
「そうやって、人に嫌なことを押し付ける方がどうかと思う」
「「うっ!」」
沢口さんは二人に冷たい視線を送る。
「少なくとも、相川っちは魚に感謝して美味しく食べられるように最大限の手間をかけている。それに対して君らは文句しか言ってないよ? 情けないと思わないの?」
沢口さんはそう言うと、周囲の人を見る。
その視線は俺に批難を向ける人たちを批難しているようだった。
少なくとも、この場に一人だけでも味方が存在する。そんなことを意識すると途端に心がほっとする。
「ちっ、沢口まで説教かよ。あーあ、やってらんねえー」
「こんなくそまずい飯食ってられっかよ」
「あっ、私もそろそろ……」
白けた様子を見せて三人が調理実習室を出ていく。
「相川っちに謝れっ!」
普段らしからぬ態度で俺のために怒る沢口さん。
「いいから、放っておこうよ」
俺はそんな彼女の肩を掴み止めた。
「でも、相川っちは悪くないんだよ?」
振り向いた彼女は目を潤ませている。先程までは怒りに身を任せていたようだが、俺のことを想って悲しんでくれていた。
「ほら、こっちで一緒に食事しよう」
「……うん」
こっちが泣きたい状況だったのに、俺は沢口さんをあやすと一緒に食事に戻る。
周囲の目は既に気にならず、今は彼女が笑顔を取り戻してくれるために必死で話し掛けるのだった。
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