第30話 学園のマドンナは手を繋ぎたい

「いやー、今年も盛り上がったなー」


 花火が終わり、周囲の来場者がブルーシートをたたみ撤収していく。密集していた人がはけたお蔭で、風が流れてくるようになり、火照っている顔の熱が少し冷めてきた。


「この後、ちょっと公園を散歩してから帰ろっ!」


 そんな中、沢口さんはこの場の全員の顔を順番に見るとそんな提案をしてきた。



「今から駅に向かっても混んでるだろうし、私たちは終電まで余裕もあるかんね」


 石川さんが伸びをすると、早足で駅に向かう来場者を見た。この花火大会は規模がでかいので県外からも結構な人が来ているのだが、最寄り駅が近い俺たちは無理してすぐに電車に乗る必要はない。

 むしろ、行きの混み具合を思い出すと、浴衣姿の渡辺さんや沢口さんは時間をずらした方が正解だろう。


「なら、もう少しここらでだべって行くか」


 相沢も特に反対ではないようで、どこか適当に座れそうな場所を探し始めた。


「あっちに確かベンチがあったはずだぞ」


 この臨海公園には何度か来たことがある。隣に釣り施設があるので、駅から向かう際に通りかかるのだ。

 釣り施設よりで特に何もない場所なので、花火目的のひとたちは少ない、もしくは既に撤収していそうだ。


「なら、そっちに移動するか」


 俺が場所を告げると、相沢はあっさりと提案を受け入れた。


「あっ、それなら私は飲み物を買ってから行こうと思います」


 そんな中、渡辺さんが挙手して全員の視線を集める。


「美沙一人だと不安だなー、相川っち。ついて行ってあげてよ」


「……了解」


 一瞬躊躇った後にそう答える。実はここまでが既定路線だからだ。


「ついでに、私たちの分の飲み物も頼んでいいかな?」


「あっ、わかりました。大丈夫ですよ」


 こうして自然にグループから離れることで、まず人数を減らす。


「それじゃあ、私たちは先に座る場所を確保してるからさー」


 いきなり三人で抜けてしまうと露骨なので、後は沢口さんが口実をつけて離脱すれば二人きりになれるのが確定する。

 

「それじゃ、相川君。よろしくおねがいしますね」


「ああ、こちらこそ、よろしくね」


 両腕を後ろに回し、下から覗き込み笑う渡辺さん。俺は表情を取り繕うとそう返事をした。






 周囲がざわつく中、俺と渡辺さんは人の流れに沿って進んでいる。

 前や横から進んでくる人を、渡辺さんの盾となって守りながら周囲に気を配る。


 それというのも、自動販売機があるのは駅近くのトイレや休憩場がある施設の横だからだ。

 彼女は浴衣にサンダルといった装いをしているので、人に揉まれて足を踏まれてしまうと怪我をするおそれもある。そうならないように注意が必要だ。


「ん?」


 先程から、結構人にぶつかることが多い。

 駅に向かうのとは微妙な方向を目指しているからか、列がない場所を進むため様々な方位から人が来るせいだ。

 肩やらひじやらに接触があるが、いちいち気にしていては仕方ないと無視していた。


 だが、先程から一定の間隔で指先に何かが触れるのを感じる。

 後ろを見ると、近くには渡辺さんの姿があり、他に触れられそうな人物は見当たらない。


「渡辺さん?」


 俺が声を掛けると、彼女は吃驚して立ち止まった。


「その、申し訳ありません。少し歩き辛くて……ですね」


 渡辺さんはばつが悪そうな顔をしている。そしておずおずと俺を見ると……。


「もし良かったら、手を繋いでもらえませんか?」


 そして、期待するような瞳を俺に向けると、そんな言葉を口にした。

 確かに、浴衣のせいで足の動きが制限されていて大変そうなのはわかる。だが、ここは学園からもわりと近い臨海公園の花火大会会場だ。


 おそらく、今帰宅している中にも学園の生徒がいるのは間違いない。そんな中、学園のマドンナである渡辺さんと手を繋ぐのはリスキーではなかろうか?


「や、やっぱり、駄目ですよね?」


 渡辺さんは瞳を潤ませるとそんな言葉を口にした。

 俺はバッグから帽子を取り出し目元が隠れるように深く被ると手を出しだす。


 その動きを見た渡辺さんは、


「あ、ありがとうございます」


 おずおずと近寄ると、壊れ物に触れるかのように優しく手を重ねた。

 このままでは手が触れているだけの状態なので、歩けば離れてしまうだろう。


 渡辺さんに視線を向けると、こちらをじっと見上げているだけでそれ以上何か動くつもりもなさそうだ。

 俺は仕方なく彼女の手を握ると、


「あっ……」


 渡辺さんの声が漏れた。


「ごめん、嫌だった?」


 それならばと手を離そうとするのだが……。


「い、いえ……。緊張してしまって。相川君と手を繋ぐのは嫌ではないですが、どうしても……その……」


 顔を赤くし、目が合うと逸らす。俺たちの間に妙に気まずい空気が流れているのだが、手を繋いでいるせいでこの場から逃げるわけにもいかない。


「それじゃ、ゆっくり歩くからついてきて」


「はい、よろしくお願いします」


 俺が手を引くと、彼女はそう答え、身体を近付けついてきた。






 帰宅する来場者の列を遠目に見ながらペットボトルに口をつける。

 ここは駅入り口前にある自動販売機の横にあるベンチで、現在俺と渡辺さんはここで時間を潰している最中だ。


 主目的が相沢と石川さんを二人きりにするということなので、直ぐに飲み物を買って合流するというわけにもいかない。

 打ち合わせでは、沢口さんが抜け出してこちらに合流する予定になっているのだが、それだって、一度一緒に目的地まで行ってからでなければ離脱できない。


 目的地からここまでは結構離れているので、彼女を待つ間、俺と渡辺さんは二人きりということになる。


 肝心の渡辺さんはというと、ベンチに座りペットボトルを両手で持って真剣な目で宙を見ている。

 もしかすると、また家のことで悩んでいるのだろうか?


 いずれにせよ、いつまでもこのままというわけにもいかない。


「そう言えば、俺。花火大会って初めて見に来たんだ」


 俺が話し掛けると、渡辺さんがこちらを向く。


「実は、私もそうなんです。これまでは実家が許してくれなくて……」


「そう言えば、そっか」


 彼女の父親は、娘に対して厳しいらしく、友人と遊ぶことにも小言を言われるとか。


「でもですね、相川君に相談して、それで御父様に私がどうしたいか打ち明けたら、色々と許してもらえるようになったんですよ」


 親と話してみるように言った記憶があった。渡辺さんはその通りに実行したらしい。


「お蔭で、この前の旅行も、花火大会も参加することができました」


 彼女は苦笑いをすると「もっとも、御父様の手伝いをすることが条件なんですけどね」と付け加える。


「その手伝いというのが大変で……、お蔭でここしばらくは里穂さんとも真帆さんとも……そして、相川君とも遊ぶことができなかったんです」


 両手でペットボトルを弄りながら、どこか拗ねたような態度をみせる。

 俺の名前を呼ぶ瞬間、彼女が少し恥ずかしそうにチラリと俺を見た気がした。


「そっか、そうだったんだな……」


 旅行のあとから数週間が経ち、あれは社交辞令だったのかな? と考えていたが、そういった事情だったのだと聞き安心する。


「それって、どんな手伝いだったか聞いてもいいかな?」


 渡辺さんの自然な笑顔に、すっかり緊張感がほぐれる。


「主催するパーティーでゲストをもてなしたり、夏から始まる事業のプレオープンで体験レポートを書いたり、主に御父様のお仕事に関わるものが多かったです」


 彼女は右手を唇に持って行くと、この夏にしたことを思い出しながら語って行く。こうして話を聞くと、彼女は住む世界が違う人なのだなと実感する。


「大人に混ざってそんなことしてたんだ、よくやれたね……」


 自分だったらと思うととてもではないがこなせる気がしない。


「だって……相川君とこの夏遊びたかったので……それにはどうしても……」


「えっ?」


 ポロリと漏れた言葉に、俺は思わず聞き返してしまう。


「ち、違いますっ! いえ、違いませんけど……里穂さんや真帆さんや相川君とという意味ですから!」


 顔を真っ赤にして慌てて否定してくる。


「うん、勿論わかってるから、誤解しないから落ち着いて」


 一瞬、学園のマドンナが自分をと淡い期待を抱きそうになるのだが、よく考えて見ればこうしているのは相沢と石川さんをくっつけるための作戦の結果でしかない。

 過度に反応したり、下心をもったりすると彼女も困るだろう。


「…………わかってないじゃないですか」


「ん? 何か言った?」


 渡辺さんは俯き小声で何か呟いた。不満そうな顔をしてこちらを見ている。


「相川君はもっと、女性の心を勉強した方がいいと思っただけです」


「そ、そうかな……?」


 確かに、現在進行形で渡辺さんを不機嫌にさせてしまっているので、学ばなければいけないのかもしれない。


「まあ、そんな相川君だからこそ、私は……」


 気が付けば彼女の手が伸び、俺の小指へと触れている。花火を見ていた時と同じように。

 俺はこの行動にはどんな意味があるのか、考えていると……。


「美沙、お待たせ!」


「わっ、ひゃっ!」


 叫び声を上げて渡辺さんが手を離した。

 彼女は自分の指を隠すように抱え耳を赤くする。


「ん、どったの?」


 いつの間にか結構な時間が経っていたようで、沢口さんが合流してきた。

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