第19話 学園のマドンナは手料理を堪能する

「美沙、待ってたよー」


 沢口さんが走ってきて抱き着き、渡辺さんはよろけながらも彼女を受け止める。


「遅かったじゃん、美沙」


 和室から顔を覗かせた石川さんも、渡辺さんが居るのが当然とばかりに普通に話し掛ける。


「渡辺さん、大丈夫だった? 道に迷わなかった?」


「あ、はい。地図アプリを見ながらだったので平気でした」


 相沢まで出てきて渡辺さんに話し掛ける。


「えっと、ちょっと聞きたいんだけど……」


 俺は混乱すると、彼女たちに質問をする。

 三人は同時に振り返ると俺の顔を見た。


「渡辺さんは家の用事で来られないんじゃなかったの?」


 日中、カフェで確かにそのように聞いていたはずなのだ。だとしたら、どうしてこの場にいるのかが気になった。


「確かに家の用事がありました。だから遅れて向かう予定だったのですけど?」


 渡辺さんは口元に手を当て首を横に倒すとそう説明をする。俺が戸惑っていることに戸惑っている様子だった。


「つまり、相川っちは早とちりしたわけだ?」


 沢口さんが口元に手を当て、悪戯な視線を送ってくる。


「いや、明らかにミスリードだったよね?」


 その様子を見て確信した。沢口さんたちは嘘はついていないが、あえて続きを説明しなかったのだと。


「いいじゃん、美沙がきて相川も嬉しいでしょ?」


「いや、これはそう言う問題ではない気が……」


 石川さんの言葉に俺は眉根を歪める。こちらとしても心構えというものがあるのだ。

 いきなり、学園のマドンナとエンカウントするとか、事前に知っているのと知らないのでは覚悟が違う。


「もしかして、相川君は、私が来たらご迷惑でしたか?」


 俺が悩んでいると、渡辺さんは口元を隠し悲しそうな顔をした。


「酷いな相川、渡辺さんが悲しんでいるぞ」


 相沢が俺の隣に来て肩を抱いてくる。自分で仕掛けておきながら何てやつだろう。

 想像外の事態で取り乱してしまったとはいえ、渡辺さんには何の非もない。ここは訂正しておかないとならないだろう。


「いや、迷惑じゃないよ」


 実際のところ、渡辺さんがいたら楽しいだろうなと想像もした。本来なら「来てくれて嬉しいよ」とでも言った方が良いのかもしれないが、気障すぎるし、キモ過ぎるし、引かれてしまいそうなので付け足さないことにした。


「良かった、です」


 そんな俺の気を知らずに、渡辺さんは可愛らしい笑顔を向けてくる。今日一番落ち着く時間かもしれない。


 そんなこんなで、渡辺さんの来訪を受け入れ、場が一端落ち着くと、


「それにしても、少し遅かったよねー。後少し早ければ相川っちが釣った鯛の刺身が食べられたのに」


 右手を頬に当て、先程の料理を思い出している沢口さんがいた。


「そうなんですか?」


 沢口さんの言葉に、渡辺さんは首を傾げる。彼女が来るとわかっていたなら取り分けておいたというのに。既に刺身は俺たちの胃袋の中なので取り返しがつかない。


「美沙は御飯どうしたの?」


 石川さんは、渡辺さんが食事をしたのかどうか確認をする。


「こちらに向かうだけで時間がいっぱいいっぱいだったのでまだ、食べていないんですよ」


 用事とやらを終わらせて電車に乗ってこちらに向かったのだろう。食事をする時間がなかったらしい。


「あっ、私は今からコンビニで何か買ってきますから、気にしないでください」


 少し残念そうな表情が見える。彼女は沢口さんを剥がし、背を向け、玄関から出て行こうとする。


「ちょっと待って!」


「はい?」


 俺は彼女を呼び止めると、


「刺身は無理だけど簡単な料理ならできるから」


 彼女のために料理を作ることにした。





 「さて、ささっと作らないとな」


 俺が料理を作る間、渡辺さんには部屋で荷物整理をしたり風呂に入ってもらって時間をつぶしてもらうことになっている。

 遠くから電車を乗り継いで到着したということなので、疲れているだろう。

 あまり長時間待たせるのは可哀想だ。


 俺はまず、黒鯛の頭の部分を切り離すと、それに塩を振る。そうやって臭みを抜いている間にご飯を研ぎ、醤油、みりん、白だし、料理酒を入れ昆布を上に乗せる。


 鯛のお頭を軽く塩焼きにしてから研いだ米の上に乗せ釜で炊き始める。

 御飯が炊き上がるまでの間、他にやることがある。


 鯛の骨を手頃なサイズに切り、片栗粉をまぶして油で揚げると骨せんべいの完成だ。

 それだけではなく、あらかじめ塩を振っておいた鯛のあらに熱湯をかけて霜降り処理を行い、血合いや鱗を洗い流す。

 鍋に水を張り、鯛のあら、日本酒、生姜、大根を入れ沸騰させ、灰汁を取り除く。

 後は豆腐をいれて温まったら味噌を溶かし沸騰させ、よそった後に長ネギを散らして完成だ。


 釜の飯が炊きあがったので、蓋を開けてご飯を蒸らしつつ、鯛の身をほぐして散らしてやる。

 ものの一時間ほどで、鯛を使った料理が完成した。


「うん、中々良くできたな」


 本当は、明日の朝食にでもしようと考えていたのだが、渡辺さんに満足してもらえるならそれでいい。


 俺は完成した料理を盛り付けると、和室へと運んだ。



「うっそぉ、こんな美味しそうなのがまだ控えていたの?」


 和室に到着し、テーブルに食事を置くと沢口さんが料理を覗き込んで来た。

 先程までの眠そうな様子は見られず、すっかり元気になっている。


 沢口さんが目をキラキラと輝かせ料理を見ていると、


「なあ、相川。俺たちの分は……?」


「ない」


 喉をゴクリと鳴らした相沢が聞いてきた。


「お待たせしました」


 タイミングよく渡辺さんの声がしたので振り返る。

 浴衣を着ており、髪を後ろで纏めている。頬に赤みが差しており、温泉で旅の汚れを落としていたのだ。


「これが、相川君が作ってくれた料理なんですね」


「あ、うん」


 学園のマドンナの激レアな姿に心を奪われていると、渡辺さんは近付いてきて料理を見る。


「相川凄いじゃん。あんだけの時間でここまで……。真帆じゃないけど、家に欲しくなる」


 石川さんの言葉に渡辺さんは首を傾げる。彼女がいないあいだにしたやり取りだったので意味が解らないのだろう。


「一応、下処理もしたから、好みに合うといいんだけど、冷めないうちに食べてよ」


「はい、ありがとうございます」


 俺が促すと、彼女は椀を取ると味噌汁を飲んだ。


「鯛の出汁が効いていて美味しいです。とても優しい味ですね」


「「「ゴクリ」」」


 俺たちが見ている中、彼女が次に手を付けたのは鯛めしだ。

 上品な動きで箸を使い、ご飯を小さな口に運んでいく。


「鯛の身が甘くて、炊き立てのご飯もピンと立っていて凄く美味しいです」


「好みに応じて、そこの薬味を使ってみてね」


 小皿には、ネギと粗塩とわさびが備え付けてある。

 渡辺さんは俺の言う通りネギと塩をご飯にかけ食べた。


「塩がはいると鯛の甘みがより一層引き立ちます。こんな簡単に味が変えられるなんて楽しいですね」


「「「ゴクリ」」」


「料理の味付けは結構好みでわかれるからさ。最初から濃いめにすると、苦手かもしれないかなと思ったんだ」


「なるほど、ありがとうございます」


 俺がそう説明すると、渡辺さんは柔らかい笑顔で御礼を言った。


「これは、鯛の骨ですよね? 揚げてある……?」


 渡辺さんは骨せんべいを右手でつまむと口元へと運ぶ。

 パリパリとした音がして、少しすると飲み込んだ。


「不思議な味わいです。先程まで感じていた鯛の風味が噛むことに口に広がって、本当に美味しいです」


「「「ゴクリ」」」


 どうやら、満足いただけたようだ。

 俺は彼女が料理を堪能している間に、台所からある物を持ってくる。


「相川君、それは?」


「鯛の頬肉の部分を霜降り処理したあと調味料に漬け込んだんだ。短時間だけど味も染みてるころだから食べてみて」


 刺身するには小さい部分をほじくり出しておいたのだ。これなら、彼女も新鮮な味を味わえる。


「これは……美味しいです。新鮮な魚の風味が口いっぱいに広がります」


「「「ゴクリ」」」


「醤油と生姜に漬けたからね。鯛の中で一番美味しいのは頬肉という話もあるくらいだから良かったよ」


 ここまで気持ちの良い反応をしてもらえると、こちらとしても作った甲斐がある。


「ふぅ、美味しかったです」


 渡辺さんが最後の味噌汁を飲み、満足そうにしている。量を少なめにしていたので、もう少しは食べられるだろう。


「実はまだ最後が残っているんだ」


「えっ?」


 虚をつかれ驚く表情を俺に向けてくる渡辺さんに、俺は最後の料理を提供する。

 釜を開けて鯛めしをよそい、そこに薬味をパラパラ振る。

 そして、最後に鯛でとった出汁をかけてやれば……。


「これが、メインだ――」


「「「いい加減にしろおおおおおおお」」」


 俺が渡辺さんに器を渡そうとしたところ、三人が叫んだ。


「さっきから黙って見てれば美味しそうな物ばかり出しやがって」


「相川、あんた性格悪いっしょ!」


「美沙ばかりずるいよおおおおっ!」


 三人は我慢の限界とばかりに詰め寄ってくる。


「三人とも、散々刺身を食べただろ? 渡辺さんはまだ全然食べてないんだから優先するのは当然だろ?」


 飢えた野獣を手懐けるように話し掛ける。


「私は、これで十分ですから、もし相川君が良いなら、他の方にも召し上がっていただいた方が……」


 そんな皆の様子を見て、渡辺さんは天使のような提案をする。


「はぁ、仕方ない。それじゃ、これは渡辺さんに食べてもらって、残りは好きにしていいから」


 俺がそう言うと、三人は嬉々としてご飯をよそい始めた。

 鯛めしを味わいながら感想を言い合う三人を見ていると、


「相川君、相変わらず優しいんですね」


 いつの間にか横にきた渡辺さんがそう言い、楽しそうな顔をしているのだった。


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