第26話 学園のマドンナはそっと耳元で囁く

『プルルルルルル』


 スマホの着信音が鳴り響く。周囲で日の出を見ていた人たちも音の発信源が気になり顔を動かす。

 最初は渡辺さんの言葉に意識を集中していた俺も、流石に身近なところから聞こえるこの音を無視することができない。


 渡辺さんは、口を開いたまま言葉を止め呆然としている。少しして、我を取り戻すと……。


「あっ、私の電話みたいです」


 浴衣の袂からスマホを取り出し、通話ボタンを押し、耳に押し当てた。


「も、もしもし……?」


 渡辺さんが電話に出ると、女性の声が漏れて聞こえる。時々聞こえる声からして石川さんだろう。


「えっ? 今は……外です。ちょっと、散歩していたら日の出が綺麗だったので見惚れてしまって……うん。心配かけてしまってごめんなさい。今から戻ります」


 起きてみたら渡辺さんが見当たらないので電話してみたといったところだろう。

 通話を終えた渡辺さんは俺を見ると、おろおろと戸惑った様子で、それでも何かを言いたそうな表情を浮かべていた。


 途中で気合を入れ直し顔を上げるのだが、それも一瞬で、俺から顔を逸らすと最後には俯いてしまった。


「えっと……帰ろうか?」


「……はい」


 お互いに気まずい雰囲気が流れる。先程までは陽が昇る光景に感動していたのだが、電話一本ですべてが吹き飛んでしまったからだ。


 彼女に合わせて歩くが、砂を踏みしめる音も小さく、渡辺さんが心の底から落ち込んでいるのがわかった。


 俺はどうにか元気付けられないか考えるのだが……。


「渡辺さん」


「はい?」


「も、もし良かったら手を繋がない?」


「えっ?」


 俺は顔を赤くすると、彼女に提案をする。すると、渡辺さんは目を丸くしてまじまじと俺を見てきた。


「足元は砂だからバランスを崩すといけないし、さっきも繋いでたから……」


 彼女から握り返してきた時に聞いた「嫌じゃない」と言った時の嬉しそうな表情を信じる。これで少しでも元気が出るならと思い、似合わない提案をした自覚があるのだが……。


 さくさくと足音が響き、ぎゅっと俺の手が握られる。顔を上げると、陽の光をバックにこちらに微笑みかける渡辺さんがいた。


「ふふふ、元気もらっちゃいました」


 彼女はそう言うと、俺の隣に並び歩き出した。


「相川君。顔が真っ赤ですよ?」


 今までみたことがないような、それでもどこかで見たことがあるような表情を浮かべる。きっと、これまで一緒に接してきた中で渡辺さんは様々な顔を俺に見せてくれたので、その面影が少しずつ残っていたのだろう。


「そういう、渡辺さんこそ真っ赤だと思うよ?」


 俺は彼女が望んだように一歩踏み込むと、少しだけ意地悪な言葉を投げかける。これまでは学園のマドンナである彼女と距離を取っていた。

 だけど、今だけは自分に素直になり、彼女を信じ一歩踏み込んでみたい気分だったのだ。


「もうっ! 相川君は意地悪です」


 右手で顔を隠すとそっぽを向いてしまう。そんな渡辺さんが可愛らしくて自然と笑みが浮かぶ。


「宿に戻ったら、私は帰らないといけません」


 そう言った彼女はどこか未練があるように目を細め遠くを見ていた。


「……楽しかったもんな」


 短い時間ではあるが、随分と濃い時間を過ごしたものだと思っている。


「でも、私には心残りがあります」


 俺は本心を口にした彼女を見る。


「今日まで、相川君とほとんど話せてませんでしたから」


 今、たくさん話をしているのではないかと考えていると……。彼女は耳元に唇を寄せ囁いた。


「地元に戻ってからも、私と出掛けてもらえませんか?」


 右手から温もりが失われ、彼女が前を駆けて行く。

 気が付けば、なじみのある建物の近くまで来ていた。


 渡辺さんは一度だけ振り返ると笑顔を見せ、宿へと戻って行く。意味深にウインクをしてから……。




         ◇





「うーん、ここはどうやって解くんだ?」


 図書館で、テキストを広げ唸っている。8月になり、夏も真っ盛りとなったこの時期に、俺は夏休みの宿題を片付けるため図書館へと来ていた。


 家とは違い、クーラーが効いていて涼しい。

 家の場合は父親もおらず、一人でクーラーをつけるのは勿体ないと思ってしまうので、こうして利用しているのだ。


 周囲には同じく勉強をしている高校生や大学生などもおり、集中しやすい環境な上、自動販売機では各種飲み物が割と安い値段で手に入るため、休憩の際にも不自由はあまりなかったりする。


 そんなわけで、ここ数日こもっているわけなのだが……。


『ブブブブブブブ』


 俺のスマホが揺れる。図書館ということで音を切っていたのだが、ドキドキしながら画面をみて首を傾げる。


「誰だろ?」


 表示されているのは知らない番号だった。

 旅行先での最後に、渡辺さんから「私と出掛けてもらえませんか?」と言われている。


 そのせいか、妙な期待をするようになってしまい、少し席を外せば電話がなっていなかったか確認する癖がついてしまっていた。

 ところが、一向に渡辺さんから連絡もなく、気が付けば夏休みは8月へと突入、俺はやきもきしながら日々を過ごしている。


 ひとまず、非通知ではないので電話に出てみることにする。緊張しながら、俺が受信の文字にふれスマホを耳に当てると……。


『遅いよ! 相川っち!』


「………………なんだ、沢口さんか」


 俺は緊張が薄れ、溜息を吐く。


『何だとは失礼な、私がせっかく相川っちに電話をしてあげたんだよ! 小躍りして喜ぶ場面でしょう!』


「ごめん、今図書館だから踊るわけにはいかない」


 ちょうど休憩フロアにいるので、通話しても問題ないのだが、周囲は小声でしか話していないので、俺も声のトーンを落とした。


『もしかして、夏休みの宿題やってるの!? ラッキー、後で写させてよ!』


「ちゃんと自分の力でやらないと、夏休み明けに実力テストもあるから後悔することになるよ?」


 もっとも、それを抜きにしても見せるつもりはない。沢口さんのためにもならないし、そう言った不正は好きではないからだ。


『ちぇ、けちんぼ。別にいいもんねー』


 沢口さんも冗談で言っていたのだろう、軽口が電話口から聞こえる。


「それで、一体何の用なの?」


 電話番号については、おそらく相沢経由で聞いたのだろう。渡辺さんはその辺の意識がはっきりしているので、無許可で俺の番号を教えるとは考え辛い。相沢ならやりかねないとこれまでの経験で知っている。


 そもそも、沢口さんは俺と渡辺さんが繋がっていることすら知らないのだろうが……。


『そだ、皆で花火大会に行くんだけど来ない?』


 そんなことを考えていると、沢口さんが用件を切り出してきた。


「皆って、この前の旅行のメンバーってこと?」


 もしかすると、他に、彼女たちが学園で絡んでいる男子もいるかもしれない。


『うんうん、その通りだよ! どう?』


 俺は、沢口さんの言葉に違和感を覚える。

 もし、彼女が相沢から電話番号を聞いたというのなら、必要性がない。


 相沢経由で誘って来れば済む話だし、事実相沢とは週に二度はやり取りをしている。

 俺が推測を浮かべていると、沢口さんは更に言葉を繋げる。


『実は相川っちに相談があって……この後、会えない……かな?』


 彼女らしからぬしおらしい態度で、まるで恥じらうかのような声を出す。

 ちょうど宿題も一区切りを付いたところだし問題はない。


「構わないよ、どこに行けばいい?」


 一緒に海水浴まで行った仲だ。俺は沢口さんを友人と思っているので、彼女の相談というのなら無礙にはすまい。


『相川っち、今いるの駅前の図書館?』


「そうそう、駅ビルの六階にある図書館だよ」


『じゃあ、ヨンマルクでどうかな? 向かいのビルの四階にある』


「うん、ちょうど珈琲飲もうと思ってたから構わないよ」


『ありがとう、それじゃ待ってるねー』


 弾んだ声とともに電話が切れた。

 俺は置きっぱなしにしているテキストを片付けると、沢口さんの待つカフェへと向かうのだった。


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